March 21, 2011

* ふるさとを愛する心がある限り、人々は立ち上がる

2ヶ月ちかく前に、こんなことを書いていました。

「国家」はアテにしないほうがいい……かな
……「夜警国家」「福祉国家」としての役割は、すべての国民が満足できるものではないでしょうが、それなりに維持できるだろうと思います。ですが、文明開化・殖産興業・富国強兵や高度経済成長時代のように、「国の庇護の下に活発に活動する」という表現がしっくりくる時代ではないように思います。

私たちは、国がどうということは気にせずに、庇護の有無も気にせずに、「これは」と思う活動を続けなければならないのだろうなあ、と思います。そのなかで、選択肢として海外で活動する、というのも自然に生まれるだろうと思います。

これもよく言われますが、国民(人間)のいない国家は成立しませんが、国家がなくても人間は生きていけます。本当は、そういうふうに思わせるような国家は、そこに住む人々が、何とかすべく立ち上がるべきなのでしょう。

これを書いたときと今とでは、どちらかが夢なのではないかと思ってしまうくらい、大きく状況が変わっています。

私が住んでいる場所は、今後も安全という保証はありませんが、幸いにも今回の大地震では、地震や津波の大きな被害を受けることはありませんでした。でも、文字通り津波に飲み込まれ、住む場所はおろかコミュニティにも壊滅的な損害を受けた人たちがいます。愛する家族や友人、コミュニティの仲間を失った人たちがいます。

地震や津波だけでなく、原子力発電所の問題でも苦しんでいる人たちがいます。

こういうときに、国家はどのように動くのが最適なのでしょう。そして、私たちが選挙で選んだ政治家や行政に関わる人たちは、その「最適な答え」に沿って動いてくれるのでしょうか。

もしも動かないのであれば、私たちは、私たちの願いを実現するために行動できる政治家を選ばなければなりません。行政に関わる人たちがどう動くかは分かりません。だとしたら、自分たちの意思が反映できるところでは、できる限り反映させる努力をしなければならないでしょう。

そして、なかなか変わらないからと言って、あきらめてはいけないのだと思います。今回の記事のタイトルにもしましたが、「国家」に愛着がなくても、どんなに「国」が何もしてくれなくても、今までの自分をはぐくんでくれたコミュニティへの愛情ゆえに、人々は立ち上がるでしょう。

彼らに無駄な努力をさせないように、私たちは、そうやって立ち上がる人々をサポートすべく、どんなにちっぽけに見えることでも行動しなければならないと思います。

――なんて偉そうに書きましたが、まだ具体的にどうすればいいのかが見える状況ではありません。長期戦になりますから、無理をしすぎることなく、できることを着実に実行していきたいと思います。

uriel_archangel at 21:58 | 日々の記録 
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