May 14, 2011

* 現在の放射性物質とかつての貧困や飢餓と、どちらが危険か?

――ということを、TwitterのTLを見ていてふと思いました。

2011/05/13 19:08:39
たまたまこの時代の日本に生まれて仕事にも食事にもガジェットにも恵まれたように、たまたま震災の影響で他の時代の人々よりちょっと多くの放射線を浴びることになった。どの時代どこで生まれたのと比べて、そう不幸なことではない。そろそろ悶々と寝よう

確かに、化石燃料を使っての発電の環境への負荷、再生可能なエネルギーを用いての発電の効率や採算性(将来的には改善されるのでしょうけれど)、そして電力需要の増加とそれを肯定する社会情勢を考えると、原子力発電という選択肢は避けられなかったのだろうと思います。

ですが、今回の件で、原子力発電は事故が起きたときのリスクが大きすぎると思いました。さらに、危機管理がきちんとできる組織であれば、問題が起きてもきちんと対処できるのでしょうが、東京電力の対応を見ている限り、「彼らには安心して任せられない」と思ってしまう状況です。いまさらですが、自分たちが暮らしていた生活が、まさに砂上の楼閣であったと実感しました。

放射性物質やそれによる被曝の問題は、後日健康に影響があったとしても、「被曝が原因かは特定できない」ことにあると知りました。私たちは、漠然とした不安の中で過ごさなければなりません。東京を、日本を脱出したとしても、被曝の可能性がある地域にいたという事実がある限り、不安を完全に取り除くことはできません。

では、原子力発電などない時代のほうがよかったのかというと、そうも言いきれない現実があります。医学が未発達で衛生に関する知識が不十分だったため、今なら何の問題もなく助かるような病気やけがでも、人々は命を落としました。現代の私たちから見たら、貴族でも貧民でも、リスクに大きな違いはなかったと思います。

さらに、飢饉も頻繁に起こりました。時代が進んで農業が進歩すると、収穫量は増えますが、それでも今ほどの管理はできません。人間は満腹でいるより、空腹を抱えて暮らしていた時代のほうが圧倒的に長いと思います。

私はほとんど日本の絵画を見ないので、ヨーロッパでの話ですが、美術館でいろいろな絵画を見ていると、「この絵が描かれた当時は死が身近で、画家たちも死者を日常のものとして見ているから、こういうふうにリアリティをもって描けるんだろうなあ」と思います。

「死と隣り合わせのそんな生活に比べたら、ただちには健康に影響を及ぼさない範囲で放射性物質が存在する今の生活のほうが、安全で安心でしょう」という意見もあるかもしれません。

確かに、ある意味では正しいですが……納得できません。私たちは、そうならない道を模索するべきです。いまさら、という声もあるかもしれませんが、今からでも、何も考えないよりはずっとましです。

どんな技術でも、「人間が完全に管理・制御できない部分」というのはあるでしょう。でも、原子力の利用は、その部分のリスクが大きすぎると思うのです。

原子力発電をただちに全部停止するというのは、難しいかもしれません。再生可能エネルギーを効率よく電力に変換する技術を発展させつつ、原子力を縮小の方向にもっていく……というのが、現実的な道だろうと思います。

でもその前に、現在稼働している原子力発電所は本当に安全なのか、地震などでトラブルがあった際に対応できるのかをきちんと見極めることが重要です。もしも安全に問題があったら、電力の供給よりも、まずはその解決に尽力すべきです。原子力発電においては、「想定外」があってはならないと思います。

uriel_archangel at 13:04 | 日々の記録 
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