June 14, 2011
「正論」を述べるときこそ慎重に
自分が考える正論を誰かに伝えるのはとても難しいことだと、常々考えています。自分にとってそれが正論と思われるのは、自分の視点からものごとを見ているからであって、誰もが同じ視点から見ているとは限りません。このように相対的なものなので、自分の考える「正論」が絶対に正しいとも断言できません。
でも、人は、正義感や使命感にかられると、強い口調で主張してしまうものです。頭ごなしに「こう考えるべき」「それは間違っている」などと言われたら、たとえ理性が「正しいこと」と判断したとしても、感情がそれを認めないでしょう。これはもったいないことだと思います。
私は、そのような経験は少ないのですが、意見が異なる相手に自分の主張を理解してもらうときには、なるべく相手にとって気持ちよく進む方向に話を進めます。具体的にこうする、というのは上手く説明できないのですが、まずは相手の話を聞きます。自分の意見を相手に伝えるのは、相手の考え方を知ってからです。考え方が分かれば、どうやって伝えれば受け入れてもらいやすいかを考えることができるからです。
一見遠回りに見える方法です。でも、事前に準備をしっかりすることで、相手に主張を理解してもらえれば、相手の意見に耳を傾けずに一方的に主張して、無駄に話し合いが長引くよりも、よっぽど効率的だと思っています。
でも、人は、正義感や使命感にかられると、強い口調で主張してしまうものです。頭ごなしに「こう考えるべき」「それは間違っている」などと言われたら、たとえ理性が「正しいこと」と判断したとしても、感情がそれを認めないでしょう。これはもったいないことだと思います。
私は、そのような経験は少ないのですが、意見が異なる相手に自分の主張を理解してもらうときには、なるべく相手にとって気持ちよく進む方向に話を進めます。具体的にこうする、というのは上手く説明できないのですが、まずは相手の話を聞きます。自分の意見を相手に伝えるのは、相手の考え方を知ってからです。考え方が分かれば、どうやって伝えれば受け入れてもらいやすいかを考えることができるからです。
一見遠回りに見える方法です。でも、事前に準備をしっかりすることで、相手に主張を理解してもらえれば、相手の意見に耳を傾けずに一方的に主張して、無駄に話し合いが長引くよりも、よっぽど効率的だと思っています。