August 09, 2011

* 「今日と同じ明日」が訪れる保障はないから日々「最善」を積み重ねよう

――という趣旨のことを、既に4月に自分のブログやmixiの日記にちらりと書いていました。

当時はきちんと書かなかったこともあるので、情報を追加しつつ再度書きます。3.11の直後と言えるでしょうか、3月末に、叔母が突然亡くなりました。朝起きてこないので叔父が様子を見に行ったら……とのことでした。寝床のそばに置いてあった灰皿に燃え尽きたタバコがあったとのことで、本当に一瞬のことだったようです。

叔母は体が丈夫で、めったに病気にならない人でした。4月には初孫の入学式があり、とても楽しみにしていたそうです。毎年4月の初めには、親戚が叔父の家に集まり、お花見をしつつ叔母の美味しい料理を楽しむのが定番でした。もう叔母は食材の発注もしていました。お花見は数日後だし、入学式もあと1週間、というときでした。

私たちは手配していた航空券の変更が難しく、当初の予定のまま大阪に向かいました。告別式の翌日になってしまいましたが。お花見を中止にしても食材が無駄になるだけだから、ということで、従妹が途中までできていた料理を仕上げたりして、いつもとは違いますが「食事会」をしました。

3.11で、「普通とは何か」を突き付けられたように感じましたが、叔母の死も、私に「日常とは何か」を考えさせました。自然災害だけでなく、突然の病気でも、それまで「普通」「日常」だと思っていたことがそうではなくなってしまうことがあるのだ、と実感しました。

だとしたら、「明日できることは今日しなくてもいい」と考えるのは大きな間違いではないか、という結論に達しました。なにしろ、自分たちが考える「いつもと同じ明日」が訪れるとは限らないのですから。

つまり、「毎日、『今日は、今の自分ができる最善を尽くした』と思えるように過ごそう」ということです。

確かに、毎日ベストを尽くしているとは言い切れない状況です。こう思った当時と比べると、地震は回数も規模も小さくなり、「非日常」の感覚は薄れてきています。でも、一度こうやって「毎日最善を尽くそう」と考えたことは、決して無駄ではないはずです。

もっと、自分の行動にこのときの決心を反映できるように、努力していきます。

uriel_archangel at 23:26 | 日々の記録 
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