April 16, 2012

* 2012年関西旅行記その3・平城宮跡資料館編

奈良西大寺駅で、大きな荷物をコインロッカーに預けました。てくてく歩いて平城宮跡に向かいます。

まず最初に、お手洗いが使えるし……ということで入った平城宮跡資料館で、予想以上に長居をすることになりました。無料で入れるのですが、予想以上に内容が充実していました。

思わず写真を撮影してしまいました。

平城宮跡資料館1


これは、仕事をする部屋ですね。手前(真ん中右端)に見えるのは、碁盤です。

平城宮跡資料館2


手前は琴(筝?)かな〜、と思うのですが、撮影した本人としては、メインはその奥の双六です。今のバックギャモンですね。

平城宮跡資料館3


食事の再現をしています。当時は今のように保存方法が発達しているわけではないですから、私たちから見るとかなりびっくりするようなもの(鮮度や味付けの面で)を食べていたのではないかと思います。

私が一番気に入ったのは、木簡(発掘された木簡のレプリカ)の展示です。お役所は書類が大切! というのは今も昔も変わらないようで、たくさん出てくるのですね。その中にある似顔絵や落書きが、とてもいい感じなのです。「昔も今も、絵心って変わらないのねえ」という感じです。

平城宮跡資料館4


平城宮跡資料館5


なんだか、1300年ちかく前の人と言っても、私たちとあまり変わらない感じで、親しみが持てますよね。

平城宮跡資料館6


右奥の絵は、兄が修学旅行で焼き物に描いた顔を思い出します……(笑)

こういう展示以外の「考古科学コーナー」も、さすが最先端! という感じで興味深かったです。「発掘速報展」では「発掘を体験してみよう!」みたいなコーナーもあり、夢中になった息子はものさしを持って座り込み、熱心に測っていました。「どの遺構がどの順番に作られたかを考える」というのもあり、考古学って科学なんだなあ、と実感しました。

特別展では、東日本大震災での文化財レスキューについても紹介していました。資料をなるべく傷めずに元の状態に戻すためにフリーズドライが使われているなど、興味深かったです。各地から専門家が文化財レスキューに向かうものの、優先順位の問題もあり、なかなか難しいようです。

文化財レスキューを特集したテレビ番組が流れていたのですが、そこで印象的だったのは、「貝塚遺跡はほとんどが津波の被害を受けていなかった」ということです。昔の人たちは、「大津波が到達しないところ」を選んで住んでいたのですね。

伊東乾氏の「なぜ津波で洗われる地域に家を作ったのか? あれから1年、正しく怖がる放射能【3】」にもあったのですが、三陸地域で人が平地に暮らすようになったのは、高度成長期のようです。全部の地域でこれが当てはまるかは分かりませんが……。

――と、あれこれ書きましたが、平城宮跡はまだまだ続きます(汗)

uriel_archangel at 11:27 | 日々の記録 
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