August 02, 2013
進むべきは「誰かと同じ道」ではなく「自分の道」
誰にでも、「この人のようになりたい」という、いわばロールモデルのような人がいるのではないでしょうか。
子供のときは、一番身近な大人(家族や学校の先生など)が、そういう役割を果たしていたと思います。だんだん成長して世界が広がるにつれて、仕事で知り合った人や、マスメディアやネット、書籍などで活躍を見聞きした人が、その対象になっていくでしょう。
でもだんだん、何も疑わずに受け入れる段階を過ぎると、「この人のここはちょっと……」というところが見えてきます。「この人のこういうところはとても素晴らしいと思うけれど、この部分は自分にとって受け入れられない」というのが出てきます。
当たり前のことなのですが、いくら相手が素晴らしい人物と言っても、そういう「自分には受け入れられない」というところまで受け入れる必要はないのだなあ、と思います。
学歴や経歴が相手と違いすぎて「私にはあの人のようにふるまえない」と思うのと同じように、生活習慣やものの考え方が違うから、「私にはあの人のようにふるまえない」と思うのも、十分に考えられることだし、おかしいことではないのです。
あこがれの人とまったく同じように考え、行動する必要はないのだなあ、と思いました。本当に、当たり前のことなのですけれど。それよりも、自分にとって心地よいというか、精神的に負担の少ない「自分だけの道」を進めばいいのだ、という結論に達しました。
――結局私の場合は、「今までどおり」ということになりそうです(笑)
子供のときは、一番身近な大人(家族や学校の先生など)が、そういう役割を果たしていたと思います。だんだん成長して世界が広がるにつれて、仕事で知り合った人や、マスメディアやネット、書籍などで活躍を見聞きした人が、その対象になっていくでしょう。
でもだんだん、何も疑わずに受け入れる段階を過ぎると、「この人のここはちょっと……」というところが見えてきます。「この人のこういうところはとても素晴らしいと思うけれど、この部分は自分にとって受け入れられない」というのが出てきます。
当たり前のことなのですが、いくら相手が素晴らしい人物と言っても、そういう「自分には受け入れられない」というところまで受け入れる必要はないのだなあ、と思います。
学歴や経歴が相手と違いすぎて「私にはあの人のようにふるまえない」と思うのと同じように、生活習慣やものの考え方が違うから、「私にはあの人のようにふるまえない」と思うのも、十分に考えられることだし、おかしいことではないのです。
あこがれの人とまったく同じように考え、行動する必要はないのだなあ、と思いました。本当に、当たり前のことなのですけれど。それよりも、自分にとって心地よいというか、精神的に負担の少ない「自分だけの道」を進めばいいのだ、という結論に達しました。
――結局私の場合は、「今までどおり」ということになりそうです(笑)