September 06, 2010
「都市論」との出会いとその後
外国語学部は、卒論は必修ではなかった。でも、講義ばかりで卒業するのもなあと思い、何か論文を書こうと思いたった。中世ヨーロッパ好きな私は、中世に関する論文を書こうと思い、あれこれと考えていた。
大学4年になる年の冬に、あることをきっかけに、「なぜ、同じように歴史があるのに、ヨーロッパと日本の都市の姿は、こんなにも違うのだろう」と思った。そこで、大ざっぱではあるが、「日本とドイツの都市計画比較」というテーマを考えた。ここで、初めて「都市論」という分野があることを知った。
ゼミのことでは興味深い経験をしているのだが、これはやはり別の機会に触れることとして、ここでは都市論についてのみ言及することにする。
大きな書店で、江戸の町と東京の町の比較や、震災復興・戦災復興に関する書物を購入した。一方で、ドイツに関してはミュンヒェンに関するものしか入手できなかった。こういう資料が豊富にありそうな東京大学に行って貸し出してもらえばよかったのかもしれないが、学部生ということで、この程度しかできなかった。
ドイツのゲーテ・インスティテュートに行ったときに、ミュンヒェンに旅行に行くついでに何か資料はないものかと思ったが、根性が足りず(当時は読むスピードが速くなかったこともあって)、結局ドイツで書籍を購入するということはなかった。
当時はインターネットもそれほど発達しておらず、本人にそういう頭がなかったこともあって、ネットで資料探しもしなかった。当時は、サーチエンジンというものはなかったか、一般的なものではなかったと思う。そこまでネットを使いこなせていなかった。
結局、ドイツ語の資料がないままで卒論を進めるという、外国語学部でなければ成立しない状態だった。3年次に史学科の西洋中世に関するゼミに参加していたので、「こんなのではダメだなあ」というのは分かっていたのだが……。
資料は春から集めていたが、実質的に書いたのは締め切り前の2週間ほどだった。しかも、書いているうちに、「都市計画の違いは、市民意識の違いだ」と思うにいたった。ドイツの人々は、「自分たちが町づくりに参加している」という意識があるから、自分の権利を主張するばかりでなく、公共の利益のための制限も受け入れるのだ、と思った。実際は、こんなに「きれいごと」ばかりではないかもしれないが。
締め切り直前になって、「テーマを『ドイツと日本の市民意識の比較』にしたいなあ」と思ったが、当然ながらそれはかなわなかった。と言うか、もう間に合わない。提出しなければ卒業できないので、書き上げて、締め切り当日に何とか提出した。
外国語学部では、書いただけ立派ということなのか、論文を発表するとか、口頭試問があるとか、そんなことはなく、提出しただけで無事単位が取れ、卒業することができた。
今では、このときの知識を仕事で役立てて……ということは、残念ながらない。学部で書いた論文を発展させて大学院進学、というのも、自分の興味の対象を考えると難しい。
だが、それまでまったく縁も興味もなかった分野に触れ、これまでヨーロッパに目を向けてばかりだった自分が、自らの足もとである東京に目を向けるきっかけができた。特に、震災復興に尽力した後藤新平という素晴らしい人物を知ることができたのは、自分にとって大いにプラスだと思っている。
大学4年になる年の冬に、あることをきっかけに、「なぜ、同じように歴史があるのに、ヨーロッパと日本の都市の姿は、こんなにも違うのだろう」と思った。そこで、大ざっぱではあるが、「日本とドイツの都市計画比較」というテーマを考えた。ここで、初めて「都市論」という分野があることを知った。
ゼミのことでは興味深い経験をしているのだが、これはやはり別の機会に触れることとして、ここでは都市論についてのみ言及することにする。
大きな書店で、江戸の町と東京の町の比較や、震災復興・戦災復興に関する書物を購入した。一方で、ドイツに関してはミュンヒェンに関するものしか入手できなかった。こういう資料が豊富にありそうな東京大学に行って貸し出してもらえばよかったのかもしれないが、学部生ということで、この程度しかできなかった。
ドイツのゲーテ・インスティテュートに行ったときに、ミュンヒェンに旅行に行くついでに何か資料はないものかと思ったが、根性が足りず(当時は読むスピードが速くなかったこともあって)、結局ドイツで書籍を購入するということはなかった。
当時はインターネットもそれほど発達しておらず、本人にそういう頭がなかったこともあって、ネットで資料探しもしなかった。当時は、サーチエンジンというものはなかったか、一般的なものではなかったと思う。そこまでネットを使いこなせていなかった。
結局、ドイツ語の資料がないままで卒論を進めるという、外国語学部でなければ成立しない状態だった。3年次に史学科の西洋中世に関するゼミに参加していたので、「こんなのではダメだなあ」というのは分かっていたのだが……。
資料は春から集めていたが、実質的に書いたのは締め切り前の2週間ほどだった。しかも、書いているうちに、「都市計画の違いは、市民意識の違いだ」と思うにいたった。ドイツの人々は、「自分たちが町づくりに参加している」という意識があるから、自分の権利を主張するばかりでなく、公共の利益のための制限も受け入れるのだ、と思った。実際は、こんなに「きれいごと」ばかりではないかもしれないが。
締め切り直前になって、「テーマを『ドイツと日本の市民意識の比較』にしたいなあ」と思ったが、当然ながらそれはかなわなかった。と言うか、もう間に合わない。提出しなければ卒業できないので、書き上げて、締め切り当日に何とか提出した。
外国語学部では、書いただけ立派ということなのか、論文を発表するとか、口頭試問があるとか、そんなことはなく、提出しただけで無事単位が取れ、卒業することができた。
今では、このときの知識を仕事で役立てて……ということは、残念ながらない。学部で書いた論文を発展させて大学院進学、というのも、自分の興味の対象を考えると難しい。
だが、それまでまったく縁も興味もなかった分野に触れ、これまでヨーロッパに目を向けてばかりだった自分が、自らの足もとである東京に目を向けるきっかけができた。特に、震災復興に尽力した後藤新平という素晴らしい人物を知ることができたのは、自分にとって大いにプラスだと思っている。