June 18, 2015
「私は今のままでも既に"one and only"の存在である」は消費者としても大切な考え方である
なんだそりゃ、というタイトルになりましたが、今朝テレビを見ていて、ふとそんなことを思いました。
何のCMだったか忘れたのですが、メッセージを要約すると
「これ(注:商品やサービス)で、あなたは変われる。世界まで変わる」
なのです。こうやってざっくり書くと、どの広告もこんなもんだな、とは思います。
それを見ていてふと、
「いやそれ、別にその商品やサービスが新しい世界を連れて来るわけじゃないから」
と思ったのです。手に入れた何かが具体的に何かをしてくれるわけではなくて、それを持ったり使ったりした人の意識が変わるから、世界が変わったように見えるだけなのです。
確かにきっかけとして分かりやすいので、例えばダイエットのためのウォーキングを頑張りたいから新しいトレーニングウェアを買いたいとか(これは私です……)、今までの自分から変わりたいからこれまで着たことない洋服を買いたいとか、そういうのはあると思います。
でも、新しいトレーニングウェアが体重を減らしてくれるとか、今まで着たことのない洋服が新しい自分を連れてきてくれるとか、そんなことはないのです。「これで私は変われる」と自分が思うから、きちんと運動をして体重が減ったり、イメージチェンジしたりできるのです。
――ああ、自分にそのまま跳ね返ってくる感が(汗)
ともあれ、きちんと「私は私、今のままで素晴らしい私」という自己肯定感は、「賢い消費者」であるためにも大切だなあ、と思います。
書いていて思い出したのですが、恐らくCMでは分かりやすさを意識してでしょうけれど、
「『今のままのダメな自分』も、これで変われる」
というスタンスだったのです。これに非常に引っかかりました。
確かに、仕事では、能力もないのに優秀な人間だと思うのは問題外です。でも、「確かに改善すべきところがあるけれど、私は今のままで既にかけがえのない存在なんだ」とか、「いろいろあるけれど、私は今の自分に満足している」と考えられたら、そういうCMを見たときに「これがあれば、今のダメダメな私は変われるかも!」なんてことにならないと思うのです。
「丸腰の自分は不完全だけれど、何かを手に入れることで変われる」というのは、中毒のきっかけみたいなものです。
大風呂敷を広げた挙句に収拾がつかなくなった感があるのですが、「自分を変えよう」というのを、「これまでの自分を脱ぎ捨てて、まったく新しい自分になる」ではなく、「今の自分に何かを追加して、もっと素晴らしい自分になる」という発想に変えられれば、他力本願のように何かにすがる、というのは減らせるかな、と思いました。
何のCMだったか忘れたのですが、メッセージを要約すると
「これ(注:商品やサービス)で、あなたは変われる。世界まで変わる」
なのです。こうやってざっくり書くと、どの広告もこんなもんだな、とは思います。
それを見ていてふと、
「いやそれ、別にその商品やサービスが新しい世界を連れて来るわけじゃないから」
と思ったのです。手に入れた何かが具体的に何かをしてくれるわけではなくて、それを持ったり使ったりした人の意識が変わるから、世界が変わったように見えるだけなのです。
確かにきっかけとして分かりやすいので、例えばダイエットのためのウォーキングを頑張りたいから新しいトレーニングウェアを買いたいとか(これは私です……)、今までの自分から変わりたいからこれまで着たことない洋服を買いたいとか、そういうのはあると思います。
でも、新しいトレーニングウェアが体重を減らしてくれるとか、今まで着たことのない洋服が新しい自分を連れてきてくれるとか、そんなことはないのです。「これで私は変われる」と自分が思うから、きちんと運動をして体重が減ったり、イメージチェンジしたりできるのです。
――ああ、自分にそのまま跳ね返ってくる感が(汗)
ともあれ、きちんと「私は私、今のままで素晴らしい私」という自己肯定感は、「賢い消費者」であるためにも大切だなあ、と思います。
書いていて思い出したのですが、恐らくCMでは分かりやすさを意識してでしょうけれど、
「『今のままのダメな自分』も、これで変われる」
というスタンスだったのです。これに非常に引っかかりました。
確かに、仕事では、能力もないのに優秀な人間だと思うのは問題外です。でも、「確かに改善すべきところがあるけれど、私は今のままで既にかけがえのない存在なんだ」とか、「いろいろあるけれど、私は今の自分に満足している」と考えられたら、そういうCMを見たときに「これがあれば、今のダメダメな私は変われるかも!」なんてことにならないと思うのです。
「丸腰の自分は不完全だけれど、何かを手に入れることで変われる」というのは、中毒のきっかけみたいなものです。
大風呂敷を広げた挙句に収拾がつかなくなった感があるのですが、「自分を変えよう」というのを、「これまでの自分を脱ぎ捨てて、まったく新しい自分になる」ではなく、「今の自分に何かを追加して、もっと素晴らしい自分になる」という発想に変えられれば、他力本願のように何かにすがる、というのは減らせるかな、と思いました。