September 18, 2015

* 年齢とともに重ねた経験が役立つ

――と、最近思えるようになりました。今回は趣味に関する話です。

でもその前提には、「柔軟なものの考え方ができる」というのが大切です。で、私自身は、そういうふうにできているなあ、と思っているので、こういうふうに偉そうに書いちゃうわけです。

小説を書くのが好きな子供だったので、若いときは、「△歳にして○○賞受賞!」なんてのにあこがれました。でも、実際にそういうふうに称される人は、あこがれている人のごく一部です。大多数の人間は何も達成できないまま、「△歳にして」の数字が「宣伝のポイントにならない」という年齢になります。

ここで、数字がかなり大きくなればまた注目のチャンスはあるでしょうが、こうなるとゴルフのエージシューターの世界みたいになってきます。しかも寿命は有限で、どこで途切れるかは分かりません。

そして、「若くして○○賞受賞」と言われるような年齢を過ぎてしまうと、生活が忙しくて「自分のやりたいこと」に手を付ける余裕がなくなってしまいます。そんなわけで私は「小説は趣味で書いていければいいや〜」などと思って過ごしていました(しかも書かない)。

でも、子供が「とても手のかかる時期(または、周囲が『親として子供に手をかけるのが当然だろう』と思う時期)」を抜けたこともあり、再び時間とココロに余裕ができました。そこで今度こそ時間を作ってあれこれ作業しているのですが、「若くないからこそできることもあるなあ」と感じています。

若くみずみずしい感性というのは確かに素晴らしいものですが、年齢を経てそういうものがなくなった(弱まった?)としても、それを補える知識が蓄積されています。それと、「若くみずみずしい感性」は若いだけにちょっと硬いというか頑固なところがあって、「これ」と思うもの以外を受け入れられないこともあります(私はそういうタイプでした)。

でも、人生何十年も続けていると、思い通りに行かないことばかりです。「全部自分が決められる」状態で何かが託されることはほとんどなく、あれこれ条件付きで何とかしなければならないことが多いです。

おかげで、若いときより逆に頭が柔らかくなったかな〜、と思っています。おろしたての真っ白なボードでなければ何も書けなかった人間が、多少形がゆがんでいたりここぞというところに書き込みがあったりするボードでも、できる範囲で最大限の努力をして書けるようになった、という感じです。

もちろん、どんなときも柔軟に考えられるかというと、そんなことはないとは思います。それと、こういう考え方を「妥協している」とか「ひよっている」とか、そういうふうに感じる人もいるでしょう。

でも私自身は、「与えられた環境下で最大限努力する」のは価値のあることだ、と思えるようになりました。目指すゴールへの最短距離が取れなくても、どうやってそこを目指すか考えること自体も面白いものです。言い方を変えると、「人生、何でも楽しんだもの勝ち」というところでしょうか。

そんな状態で、「若くなくてもできるんだ」ということで、「自分が書いたものが、たくさんの人に楽しんでもらえる」を目指して頑張ろうと思います。

uriel_archangel at 21:20 | 日々の記録 
Permalink | Comments(0) | TrackBack(0)
 

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
Profile

REMI

REMI on Twitter
Message to REMI

REMI宛てに非公開のメッセージを送信できます

名前
メール
本文
Recent Comments
QRコード
QRコード