学び

October 10, 2013

* 分かっているからこそラジオの語学講座は最初からしっかり聞く

まだ1回目しか聞いていないのですが、PCを起動しなくてもiPod touchで聞けるというのは、とても便利です。iPod touchも「便利なおもちゃ」ではありますが、真面目にテキストを開いて向かいあっていれば、音声に集中できます。

フランス語講座で挫折が続いた理由が分かりました。最初の基礎の基礎的な内容は、「分かっているから」と「ながら聞き」ですませていたのです。これをやると、よく分かっていないところも「ながら聞き」をするようになってしまいます。そうすると、だんだん分からなくなってフェードアウトしてしまうのです。

英語の講座も、「分かっているから」と「ながら聞き」をしてはいけません。結局頭に入らず、分かっている内容でもついて行けず、続きません。この4年ほど、このパターンで途中で挫折している私が言うのですから、間違いありません。

そんなわけで、基礎中の基礎ですが、「音声に集中して、テキストを見ながら聞く」というのが、私の場合は大切です。

それにしても、「実践ビジネス英語」は、聞いているぶんには問題なく理解できるのですが、同じ内容を発言できるとは到底思えません……。このアンバランスを解消する、少なくとも差を縮める努力をするのが大切ですね。

ところで、CaptureStreamで作業したところ、1つだけ番組の途中で切れてしまっていたものがありました。1つだけ、極端に短いものがあったのです。これは、該当する録音データをフォルダから外して(削除してもいいです)、再度CaptureStreamを動かせば大丈夫です。既にある録音はスキップするので、フォルダから外したものだけを再度取り込みます。

作業後に確認したところ、きちんと最後まで入っていました。番組の長さで確認しただけですが。

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October 07, 2013

* 今度こそ、NHKラジオの語学講座を最後まで聞くぞ!

いまどきは、「語学講座」ではないのですね。ともあれ、7年後のオリンピックを目指して、語学講座を聞くことにしました。聞くだけでなく、きちんと勉強しなければいけません。
買って来た講座テキスト一覧
自分でも、いつまで続くやら、と思わないでもないのですが、ここは自分を信じて「最後まで聞くぞ!」と考えます。英語の講座はどちらも途中からなのですが、話が分からなくなるというものでもないので大丈夫。と思っています。

ちょっとタイミング遅くない? と思う人もいるかもしれませんが、ストリーミング派なので問題ありません。「ながら」で聞くのではなく、きちんと集中して聞くために、今回はiPodを使おうと考えています。好きな時間に好きな場所で聞ける方法を、いろいろと調べてみました。参考にしたサイトはこちらです。いっそのことテキストも電子版で……というところですが、テキストにあれこれ書き込むと「勉強したなあ」と思えるタイプなので、まずは従来のテキストでチャレンジです。

ですが、テキスト4冊を持ち歩くというのはかさばります。電子ストアによっては印刷可能なところもあるので、電子版とプリントアウトしたものを併用する、というのも「あり」かもしれません。プリントアウトしたものはPDF化、というところでしょうか。

――なんて偉そうに語る前に、まずは1か月、いや1週間続けるところからです。

ドイツ語は応用編のみなので、週に合計12レッスンということになります。1つのレッスンは15分ですが、合計すると時間がそれなりにかかるので、何曜日にどれを聞く、というのをしっかり決めようと思います。本当は「いつ聞く」までも、しっかりと決めるべきでしょうね。

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June 30, 2013

* シンポジウム「領土とナショナリティー」(第29回 日本ドイツ学会総会・シンポジウム)

お昼を挟んで、午後の部です。
  1. 領土と国益——ドイツ東方国境紛争から日本を展望する 佐藤成基(法政大学教授)
    第二次大戦でオーデル=ナイセ線以東の領土を失ったドイツは、戦後東方国境をめぐってポーランドとの間に紛争が発生した。しかしその紛争は、ドイツの全面的な領土の放棄という形で最終的な解決をみた。これは20世紀の国境紛争史のなかでは特異な例である。なぜそのようなことが可能だったのだろか。また、この紛争解決の経緯は、現在日本が抱える領土問題にとって何らかの指針となるのか。本報告ではこれらの問題について考えてみたい。

  2. 失われた東部領/回復された西部領――ドイツ・ポーランドの領土とオーデル・ナイセ国境 吉岡 潤(津田塾大学准教授)
    第二次世界大戦の結果、ポーランドはドイツから領土を獲得する。戦後政権は新たにポーランドの領土となる地を非ドイツ化し、「ポーランド人の」領土にしようとした。領土・民族問題の20世紀的解決なるものが想定できるとすれば、これはその極端な型の一つだったと言えはしまいか。本報告では、ポーランドで「回復領」と呼ばれた旧ドイツ東部領のポーランド化の諸相を検討し、同地がドイツ・ポーランドの現代史において担った意味について考察する。

  3. 多民族国家の解体と「ドイツ人」意識の変容 ―両次大戦間期ルーマニアにおけるユダヤ系およびドイツ系ドイツ語話者を事例に― 藤田 恭子 (東北大学教授)
    第一次世界大戦後にハプスブルク領からルーマニア領となった地域には、数多くのユダヤ系およびドイツ系ドイツ語話者が居住していた。「帝国民」であると同時にドイツ語を母語とする「ドイツ人」でもあるといった多民族国家時代の多重的自己意識は、国民国家内のマイノリティとなった後、共有不能となる。ドイツ政府による「在外ドイツ人」政策にも触れつつ、ドイツの外周地域の視点から、「ナショナル・アイデンティティ」をめぐる問題の一端を照射する。

  4. 領土と国籍・市民権−「ナショナルなもの」を考える 広渡 清吾(専修大学教授)
    近代国家は、「主権」を絶対的要素とし、主権の対象として、「領土と国民」を実在的与件とする。土地に対する支配は、通常その土地に住む人々に対する支配を含むが、近代において国家と国民の関係は、土地に対する支配とは独立に、観念的、抽象的な「保護と忠誠の関係」として次第に確立する。この関係を表現する制度が、国籍である。また、歴史をみると、戦争等に起因する領土の変更が、そこに住む人々の国籍の変更を産み出すことがある。他方で、国籍者は、その国のなかで完全な市民権を有するが、歴史的にも、概念的にも国籍と市民権は異なった機能を担う。これらの問題をドイツと日本に例をとりながら分析し、現代において「ナショナルなもの」を再検討する手掛かりをえたい。

  5. ヘルゴラント島と竹島/独島 ⎯ 日独比較の観点から ラインハルト・ツェルナー(ボン大学教授)
    Ausgehend von einem Vergleich der Ereignisse um die Rückgabe der Insel Helgoland und die Forderung nach Rückgabe der Inselfelsen Takeshima / Dokdo analysiert der Vortrag die historischen Positionen und Argumentationen der japanischen und koreanischen Seite. Er stellt die Frage, warum die interkulturelle Kommunikation in diesem Fall bislang gescheitert ist. Er setzt sich für eine Lösung ein, die der symbolischen und politischen Bedeutung dieser Inseln für die japanisch-koreanischen Beziehungen entspricht.(報告は日本語でおこなわれます。)
最初の2つは、第二次世界大戦後のドイツ・ポーランド国境が確定するまでの流れや、オーデル・ナイセ線以東で起きていたことを、それぞれドイツ側・ポーランド側から見ています。実は、そもそも(西)ドイツ側の主張も詳しく知らなかったのですが、ポーランドを専門とする方のお話がうかがえたのは、とても貴重な機会でした。今の日本の状況を見ていると、「そういう選択肢って、可能なのかな?」と思うような、オーデル・ナイセ以東の領土の放棄がなぜ行えたのかというのは、とても興味深い話でした。

そして、新たにポーランド領となった地域がどのようにポーランド化(並びに非ドイツ化)されたかという話は、やはり興味深いものでした。現代の日本では想像しにくいですが、ドイツ系だからと言って「自分はドイツ人だ」と主張する人たちばかりではなく、一方でその地にずっと住んでいたポーランド系の人々は「この地がポーランド領となったことは喜ばしい」と感じていた人ばかりでもないのです。帰属意識というのは、時代だけでなく、個人個人でも異なるものなのだと感じます。

さらに不勉強だったのですが、ドイツに追放された人々は、暴力的に住む場所を追われた人たちばかりではなく、終戦前に自発的にドイツ本国に戻った人々や、ポツダム協定に基づいて移住した人々もいたそうです。とは言え、第二次世界大戦で領土を広げた場所に移った人々が戻ってきた、というものではなく、先祖代々暮らしてきた土地を離れなければならなかった、というのは変わりませんが。

そして、このようなドイツ本国を離れた場所に住むドイツ系住民(ドイツ語話者)の状況を調べたのが、3番目の内容です。ハプスブルク領からルーマニア領となった地域の人々は、ドイツ人としての意識を持ち、連帯を意識していました。それと同時に、ジーベンビュルゲン(トランシルヴァニア)などの故郷への帰属意識もありました。

ですが、このような連帯も、ナチ党が権力を掌握するにつれ、ドイツ語話者でもユダヤ系の人々が排除されていきます。今もこのような地域にはごく少数のドイツ系住民(Siebenbürger Sachsenなど)が住んでいるようですが、今回のテーマではカバーしていないので、ドイツ国外に暮らすドイツ系住民の現状は分かりません。

ユダヤ人であっても自分はドイツ人だ、という意識はもちろんあったわけで、ドイツ人として第一次世界大戦に従軍した人もいました。アンネ・フランクの父オットー・フランクも、その1人でした。こういう帰属意識というのは、本人の意思に関係なく、時の権力者によって恣意的に解釈され、利用されてしまうものなのだなあと思います。

4番目の内容では、単純に「ドイツ民族=ドイツ国家の構成員」とはならなくなった、ということが分かりました。「ドイツ民族の国家」ではなく、「多様な民族からなる国家」へと転換しようとしているようです。ドイツに限らず、近代の「国民国家(Nation-state)」という概念は古いものとなり、新たな国家の形が模索されているのでしょう。日本はまだまだ、こういう段階には至らないなあと思います。

最後は、ドイツがどのようにしてヘルゴラント島をイギリスから復帰させたかを、日本と韓国の問題と比較していました。でもまあ、いろいろと条件が違うので、「こうすれば解決!」というものはないようです。

何人かの方が共通して言っていたのは、「国益とは何か。領土を守ることだけか。近隣諸国に自分たちが脅威だと思わせないことも国益となるのではないか」ということでした。これは実際、ドイツが行ってきたことですが……。この方法が日本と周辺国の間で通用するとは思えないのは、マスコミや周囲の意見に悪い影響を受けているからなのでしょうか。

このシンポジウムで登壇者が本当に伝えたいことから目をそらしている感じがするのは否定できませんが、学ぶことや考えるところの多い内容でした。

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June 29, 2013

* フォーラム・台所は誰のものか?−−『ナチスのキッチン』が切り拓く地平(第29回 日本ドイツ学会総会・シンポジウム)

――1週間前の話なのですが、ようやくまとめて書いています。とは言っても、内容が盛りだくさんなので、2度に分けて書こうかと。前回も書きましたが、日本ドイツ学会のホームページはこちらです。

午前のフォーラムは、タイトルのものを選びました。午後のシンポジウムに比べれば、開催時間は2時間と短いものでしたが、凝縮した内容のものでした。
  1. 『ナチスのキッチン』前後 藤原辰史 (京都大学准教授)
    『ナチスのキッチン』は、近代ドイツの台所の合理化過程を、建築、台所道具、家政学、レシピなど、さまざまな観点から論じたものである。この概略を説明したあと、今後の課題と展望について、これまでの書評を参考にしながら考えたい。
  2. 日本女性史におけるドイツのキュッヘ 北川圭子(北海道工業大学客員教授)
    戦後,建築家たちは挙って民主的住宅を模索し、台所空間の改革を提案した。その先鋒が浜口ミホである。ミホは、その範をドイツのWohn Kucheに求めた。DKと命名されたこの空間は、若い世代の人気の的となり、わが国の住生活を一変させ,延いては女性の地位向上の象徴となった。また、住空間に生活最小限住宅追究という科学的視点も 導入させた。しかし,DK のルーツがWohn Kucheであることは歴史の闇に埋もれた。
  3. 戦時下日本とドイツの花嫁学校研究 - 日本の新聞・雑誌の記事を中心として 伊藤 めぐみ(早稲田大学 東洋英和女学院大学非常勤講師)
    ‘本において、1930年代に入り設立されていく花嫁学校の展開過程と特質を三期に分けて報告する。▲疋ぅ弔硫峅燃惺擦よび母親学校の概要を当時日本で出された新聞・雑誌の記事を中心に報告するとともにそれらの記事から、上記の機関が当時どのような関心を持たれ、受け止められていたのかを考察したい。
実はこの『ナチスのキッチン』そのものについては未読の状態で行ったのですが、それでも非常に興味深い内容でした。「『ナチスのキッチン』前後」では、このフォーラムの導入という感じで、出版後の反響やそこから見えてきた課題について、説明していました。これだけ話題になるということは、それだけ切り口が斬新だったのだろうなあ、と思います(未読なものでこの程度の感想ですみません)。書籍が購入できるコーナーもあってので、もしかしたら「著者のサイン入り」にできたのかもしれませんが、財政能力が欠けているため断念しました。がくり。

以降は、ドイツ以外の専門分野の研究者が、『ナチスのキッチン』と関連する内容の発表をします。

次は、「日本女性史におけるドイツのキュッヘ」です。戦後の公団住宅におけるDK(ダイニングキッチン)の誕生に、日本の女性建築家第一号の浜口ミホが大きくかかわっており、彼女の発想のルーツはドイツのWohnkücheにあったということでした。戦前の建築家の視線は上流社会に向かっていました。庶民の住宅への関心は低かったため、「生活最小限住宅」という発想が顧みられることはなかったようです。戦後に建築や女性を取り巻く状況が変化し、庶民の住宅に変化がもたらされたそうです。

ダイニング・キッチンはこうして誕生した―女性建築家第一号浜口ミホが目指したもの (はなしシリーズ)ダイニング・キッチンはこうして誕生した―女性建築家第一号浜口ミホが目指したもの (はなしシリーズ) [単行本]
著者:北川 圭子
出版:技報堂出版
(2002-01)

スピーカーの著書なのですが、お話をうかがった後だと、とても気になります。

その次が、「戦時下日本とドイツの花嫁学校研究 - 日本の新聞・雑誌の記事を中心として」です。高等女学校を初めとする女子教育機関が、良妻賢母教育に十分な効果をあげていないということで、「花嫁養成を直接目的とする」1932年に設立された「御茶の水女子家庭寮」が、いわゆる「花嫁学校」の嚆矢だそうです。そして、日本の花嫁学校を参考に、当時のドイツでも花嫁学校や母親学校というような組織が作られたらしい、ということでした。本当に影響を受けていたのかは分からないのですが、同じ時期に同じような目的で、教育機関が作られています。

でも、日本とドイツで、別々の形で展開していくところがとても興味深く感じられました。ドイツでは労働者の多い地区に最初に作られ、親衛隊員と結婚するには党の花嫁学校を卒業しなければならないくらいだったそうです。一方で、勤労動員が必要になった日本では、都市部の花嫁学校は不要不急のものとしてとらえられるようになり、閉鎖された学校もあったようです。この種の学校は、ドイツでは社会福祉の面が強く、日本では「余裕のある家庭の娘の習い事」という感じになったように思います。

日本とドイツの比較というより、「今も昔も、どうして日本だと目標から離れたところに着地するのだろう」というのが、とても印象的な内容でした。そして、女性手帳を花嫁学校と同じと批判する人たちがそう感じる理由が、はっきりと、とは言えませんが、根っこにあるものが同じなのだろうなあ、というのはぼんやりと感じられました。

ほどよく記憶が薄れているので詳しくは書けませんでしたが(そもそも有料で参加するものなので、ここにあれこれ書くわけにもいきません)、非常に興味深いものでした。

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May 27, 2013

* 三森ゆりか氏講演会「言葉の力」―これからの日本に必要な言語教育@ASF

この週末は、2年ぶりにオールソフィアンの集い(All Sophians' Festival, ASF)に参加しました。あちこち参加したいとは思ったのですが、諸般の事情により、しっかりと参加できたのはこの講演会と、学科の同窓会(同期入学のみの集まり)だけでした。興味深い企画は、あれこれあったのですけれど。

ともあれ今回は、この講演会について書きます。

実は私は、今回のテーマに非常に興味を持ったことがありました。それっていつだっけ、と思って調べたら(こういうときに、たまーに、であっても、ブログを書き続けていたことが役立ちます)、なんと2006年のことでした。もう7年前になるのですね。

そのとき書いたのがこちら。結局「行動したい」と思ったにもかかわらず、何もしなかったというか、できなかったようです。たぶん、息子の小学校入学もあり、仕事が忙しくなったこともあり、具体的に動く余裕がなくなったのでしょう。

このとき書いた、「外国語以前に、母語である日本語で、きちんと自分の意見や感じたことを表現したり、相手の意図を読み取ったりする訓練をするべき」というのは、今も思っています。

当時、こういうことを学ぶにはどうすればいいかということを調べてたどりついたのが、「読書へのアニマシオン(こちらのサイトで説明されています)」と、今回の「言語技術」でした。どちらが先か忘れてしまったのですが、「フィンランドメソッド」も関連する書籍を読んで調べました。

いろいろと調べてみた結果、「ああ、私がやらなくても、他にやっている人がいるんだ」と思ったので、「よし、やるぞっ!」という勢いで、ぶわーっとふくらんでいたモチベーションが、「なーんだ」と、きゅーっと縮んだのではないかとも思います(汗)

今回の公演は、時間が限られていることもあり、概要にさっと触れ、後半のワークショップは参加者が考えるというよりも、模擬授業をさっと流す、程度のものでした。でも、十分にエッセンスは感じられます。

これから書くことは、講演会の内容だけでなく、私自身がこれまで考えてきたことも含めたものになりますので、その点ご承知おきください。

「暗黙の了解」「お約束」的に理解されていることを共有できない相手は、外国人だけでなく、同じ日本語を母語とする人にもいます。以前であれば、そういう人は「空気が読めない」「分からない」で切り捨てていけばよかったのでしょうが、現在はそういう状態ではありません。

だとしたら、日本のこれまでの文化の中で使われてきた日本語と比較すると不自然に聞こえるかもしれませんが、「相手にはっきりと分かりやすく伝える技術」というのは必要になるでしょう。そして、この手法を英語(に限らず、他の外国語)でも適用すれば、「コミュニケーションの齟齬」というものは起こりにくくなるのです。その原因は、英語の発音の流暢さでなく、「どのように伝えるか」の差なのです。

三森さんが各国の教科書や学習内容を調べた結果、欧州・ロシア・北米・南米・アフリカ・中近東・オセアニア・アジア各国、ともかくほとんどの国で、同じ内容が小学校から系統だてて教えられていました。それが、レトリック(修辞学)やクリティカル・リーディング(分析的に鑑賞する手法)です。話題になったフィンランドメソッドも、実はフィンランドだけでやっているというものではなく、各国で行われていました。

私も含め、ある程度の年齢になってからの留学で、授業についていけないという経験をした人は多いでしょう。これは、日本では、しっかりした論文の書き方や議論の手法を教えられてこなかった、ということが大きいのです。外国語ができないのが問題ではなく、こういう分析手法の基礎が身についていないのが問題でした。

それをどうやって身に付けるか、ということで、難しい文章を読む読解力のない段階では、絵(写真)を分析することから始まります。そこから絵本、文章、と進むのです。こういう分析の手法はあらゆる学問の基礎になります。理系の学問はもとより、音楽のアナリーゼも、素材が文章から音楽に変わるだけなのだそうです。

本を読んだだけでは分からなかったことも、実際にワークショップで体験してみて、「こういう感じなのか」と思いました。そして、これを経験しているかいないかでは、違いが大きいと思いました。

日本ではよくある「なんとなく」「分からない」は、こういう教育を行う場では通用しません。自分が何を考えているか、何が分かってどこから分からないかは、きちんと言語化できなければいけないのです。

また、文章や絵を多角的な視点から見ることも学びます。三人称で書かれた物語を、ある特定の人物の視点から見た場合はどうなるか。また逆に、一人称で書かれた物語を、他の人物の視点から見た場合はどうなるか。誰が何を知っていてどう行動し、誰はどの人物のどんな行動を知らないか、という分析が求められます。

突拍子もない発展に聞こえるかもしれませんが、こういう分析は、恐らく「自分は何ものか」という認識にもつながると思います。誰の意見にもどんな出来事にも左右されない、「自分」という存在を意識するのです。

やっぱり、こういうことはきちんと考えなければいけないなあ、と思いました。こういうことを教える教室を開きたいという夢があったなあ、と思い出しつつ、では今の自分にそういうことをする余裕はあるのか、と思いつつ、講演会の会場を後にしました。
三森ゆりかさんが所長を務められています。
そして今日、このような記事を目にしました。
実は、グローバル化とはハイコンテクストな社会が、ローコンテクストな社会に転換していく過程の一環なのです。国内でさえ、世代や趣味が違うと「話が通じない」関係が増えていますね。そこに、外国から様々な価値観を持った人々が参入してくるわけです。

イマドキの若者であれ、海外出身者であれ、職場や教室にコンテクストを共有していない人が現れると、“空気読め”では通じない。そのとき必要となるのが「教養」です。この教養とは、単なる知識や語学力ではなく、「ハイコンテクストなものをローコンテクストに翻訳する能力」のことです。
……ということで、結局は問題の根源は一緒、なのです。

立て続けにこういうものを見聞きするというのは、すごい偶然です。何かあるのかも、ですね。

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April 08, 2013

* 今さらながら"The Elements of Style"

たぶん、高校の英語のグラマーの授業で、「英文の書き方」みたいな話はあったと思うのです。でも、細かいところがきちんと分かっていないことを、この年齢になって痛感しています。普段から言っているとおり、私は英語圏に住んでいた経験も留学経験もないので、どうしてもそういうところは甘くなってしまいます。

そしてさらに、こういう年齢になると、「しっかりした書き方ができないと、『あらまあ、この人の書く文章と言ったら……!』みたいな扱いを受けそう」という考え方をするようになり、「基本はおさえておこう」という気分になりました。

こういうときの基本は、"The Chicago Manual of Style"なのです。

The Chicago Manual of StyleThe Chicago Manual of Style [ハードカバー]
出版:Univ of Chicago Pr (T)
(2010-08)

これを持ち歩いてすき間時間に読む、というわけにもいきません。Kindle版があればなあ、と思うのですが。そこで目をつけたのは、もっと薄くて読みやすい本です。

The Elements of Style, Fourth EditionThe Elements of Style, Fourth Edition [ペーパーバック]
著者:William Strunk Jr.
出版:Longman
(2000-01-15)

……と、ページを表示させてびっくり。Amazonさんに、「あなた、2002年にこれ買ってますよ」と言われてしまいました(汗) あわてて、このテの本が並んでいる(だけの)本棚を見てみたところ、確かに持っています。恐らくNiftyの翻訳フォーラムや翻訳関係のムックなどで紹介されていて、ええい、と買ったのでしょう。

でも、いちいち細かいですが、やっぱりペーパーバックとは言っても、場所は取ります。こうなったら、残るのはこれです。

THE ELEMENTS OF STYLE (UPDATED 2011 EDITION)THE ELEMENTS OF STYLE (UPDATED 2011 EDITION) [Kindle版]
著者:William Strunk
出版:The Elements of Style Press
(2011-06-27)

いろいろなeditionがあるので、どれが一番いいかは分からないのですが、Amazon.comで一番評価が高かったものを選びました(確か)。ここで紹介しているのはAmazon.co.jpのサイトのものですが、私自身は、iPod touchのKindleにAmazon.comのアカウントを設定しているので、そちらで購入しました。

今の為替レートだと、Amazon.co.jpのほうが多少安く手に入るかもしれません。でも、1 clickで手続きできるし、送料もなにも関係ありません。「洋書はiPod touchに入れて、積極的に読む」ということで、このようにしました。

――というか、そもそもまだAmazon.co.jp用のKindleは手に入れていないのですけれどね。

そんなわけで、本当に少しずつですが、読んでいます。簡潔な文章でビシビシと書いているので、分かりやすいです。早速「あれ、そういうルールだったっけ?」ということもあり、たいへん勉強になっています。

これで、いつ書くか分からない外国語のブログも、きちんとした体裁で書けるぞ〜、と思っています。

実はこの「正しい文章の書き方」、ドイツ語のほうも、きちんと理解しているわけではないのですよね。ドイツ語と英語とでは違うところもあるので、この年齢になってちゃんとできるのかな? と思うところもあります。でも、頑張りますよ〜。

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June 17, 2012

* ちきりんさん( @InsideCHIKIRIN )の『世界を歩いて考えよう!』を読みました

最初に本を手にして、パラパラとページをめくって思ったのは、「ちきりんさんは、本当に、あちこちを旅行しているなあ」ということでした。アフリカのサファリのような大自然が支配するような場所から社会主義体制下だったソ連まで、「世界中」と言ってもいいくらい、地球上の各地を訪れています。

私のように、旅したことがある場所に偏りがある人間からすると、ちきりんさんがまだ行ってない場所は、あとは極地くらい? と思ってしまいますが、おそらくご本人は、「まだまだ行っていない場所はたくさんあります」とおっしゃることでしょう。

ともあれ、これはちきりんさんの旅行記(=旅先で何があったか)というより、彼女が「旅先で体験したことから何を考えたか」をたどる本だと思います。

「妄想族」の私は、旅の途中で1人になる時間があると(たとえばホテルの客室や、移動中の車内など)、旅の途中で見たことや聞いたことをきっかけに、いろいろなことを考えるのが好きでした。なので、「ちきりんさん、私と同じことしてる!」とは断言できませんが、異国の地で経験したことをきっかけに、他の人が何を考えたのかが分かる本というのは、私にとって大変興味深いものです。

例えば各地の美術館の成り立ちなど、「あ、これ、私も同じように考えたんだよね〜」ということもあれば、シンガポール航空から見える都市国家の生き残り戦略など、「なるほど、全然考えたこともなかった」ということもあります。こうやって、自分の知らなかった視点や考え方を知ることができるのも、この本を読んで楽しめた点です。

このように書いていて思ったのは、ちきりんさんのように様々な視点から多角的に物事を見るためには、「考える訓練」が必要だ、ということです。意識していろいろな角度から見てみよう、と思わなければ、「人とは違うけれど、いつも変わらぬ自分の視点」になってしまいますし、新たな発見は得られにくいと思います。

先ほどの美術館の成り立ちの違いについては、私は「歴史が好き」という視点があったので、考えることができました。でもシンガポールについては、「現代の世界情勢」や「経済」という視点がないので、考えも及びませんでした(シンガポールには行ったことがないですが……)。

旅に出たら、常にいろいろな発見をしなければならない、というわけではありません。海外に行かなくても、日本国内の旅行でも、それどころかインターネットで自分の知らない話を読むことでも、「考える訓練」ができていれば、新たな発見があります。

そして、考えることで、知識や視野が広がります。見つけた素材の「切り方」は、バリエーションを増やしたいと思います。「意識して、もっといろいろな方法で考えよう」というのが、この本を読んでの感想です。そのためには、『自分の頭で考えよう!』で、考え方のおさらいをしましょう、というところでしょうか。実際読みかけなので(汗)

――というわけで、これでも一生懸命書いたので、『世界を歩いて考えよう!』の書評コンテストに応募します。

社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!
著者:ちきりん
販売元:大和書房
(2012-05-19)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

今度はこちらを読みます↓

自分のアタマで考えよう自分のアタマで考えよう
著者:ちきりん
販売元:ダイヤモンド社
(2011-10-28)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


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May 10, 2012

* NHKの英語講座に勝手に提案してみる

自分がどういう講座を聞いていてどんな感じか、というのは別の機会にして……。

NHKの英語講座は、英語グランドデザインに基づいて難易度を設定するようになりました。結構大きなリニューアルです。まさに「NHKの英語講座は、グローバル対応です!」の世界です。

息子の場合は、小学校の時から親しんできたということで、「基礎英語2」「基礎英語3」を聞いています。身になっているかどうかは分かりませんが、楽しんではいるようです。スクールもこの調子なので、親は気にはしていません。

ずっと英語に親しんできていて、そのときに合ったレベルを選べばいい、ということであればいいのですが、ネットで見てみると、「『基礎英語1』が難しくなった!」という声が多いです。

確かに、先ほどのグランドデザインに関するページで、
CEFRのレベル分けでは、いちばんやさしいA1レベルからいちばん難しいC2まで全部で6つのレベル設定があります。
ただ、日本語はヨーロッパ言語に比べて英語との隔たりが大きい言語なので、特に小学生にはA1でもレベルが高すぎます。そこでA1よりもさらに初歩の「A0」というレベルを設定しました。表にあるとおり、“ごく簡単な表現を聞き取って、名前や年齢を伝えられる”というレベル設定で、NHKの英語講座のなかでは「プレキソ英語」がこのA0に相当します。
とあります。

つまり、このレベル分けで言うと、以前は基礎英語1は「A0〜A1」だったのですが、「プレキソ英語」が設置されたことでA0に相当する部分がなくなってしまい、「英語に関する知識ゼロの状態で、『基礎英語1』から始める」というのが難しくなってしまった、ということになるようです。

要は「6年生でプレキソ英語から始めれば、スムーズに基礎英語1に移行できます」ということになるのですが、「基礎英語1」を始めようとした時点でそんなこと言われても……となってしまいます。確かに小学校で英語の授業は始まっていますが、すべての小学校に児童への英語教育のエキスパートがいるというわけではないですから、全員が全員、A1にすんなり入っていける知識を身につけているかは、怪しいですよね。

英語講座にグローバル対応のレベル分けをしたら、(アルファベット表記の言葉ではないので仕方ないのですが)ガラパゴスな日本のシステムに合わなくなってしまった、という状況になってしまったわけです。

「6年生で『プレキソ英語』!」というのが浸透しないと、しばらくこういう「『基礎英語1』から始めようと思っていたら、レベルが高くてついていけない」は続くと思います。

そんなわけで、勝手に提案なのですが、
  • テレビでもラジオでもいいので、春休みの時期に「プレキソ英語」レベルの番組を短期集中で放送して、スムーズに「基礎英語1」に移行できるようにする
  • 「基礎英語1」の活用に必要な「プレキソ英語」の重要性をもっと広める
が必要だと思います。

小学校6年の3月に、「4月から『基礎英語1』と思って書店に行って、テキストを見てびっくり」ならいいのですが、「放送を聞いてびっくり」だと、追いつくのも大変です。なので、「『基礎英語1』の前に、春休みから英語を始めよう!」ということで、書店で「基礎英語1」の隣に「プレキソ英語・春休み集中講座」的なものが置いてあれば、気づいてくれる人もいるでしょうし、「基礎英語1」に挫折してしまう人も減るのではないかと思います。

しばらく考えていたことなので、好き勝手に書いてみました。

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April 07, 2012

* NHK語学番組のテキストを買いました・2012息子編

4月2日から放送は始まっていますが、もともとストリーミングを利用するつもりなので、今からでも十分間に合います。

ちょうど2人で歩いているときに書店の前を通りかかったので、実際にテキストを手に取って選ばせることにしました。根が真面目というか、英語が好きだからか、「ラジオ講座聞いたほうがいいよ」という私のお誘い(?)も、嫌がりませんでした。

――まあ、親のお財布で買うので、挫折しても(まったく聞かなくても)苦にならないですよね。

「見て選んでね」という私の言葉に、最初は「え、『基礎英語1』じゃないの?」だったのですが、実際にテキスト(出てくる英語のレベル)を確認したところ、「やさしすぎる」とのことなので、これはパス。そして、他のテキストも確認した結果……
の2つを並行して聞いてみることにしました。というか、平日にこれで30分使うというのは、ちゃんと分かっているかな? というのが、ちょっと心配になります。どういう意味かというと、「聞くのをあっさりやめかねない」懸念があります。

息子は興味深そうにテキストをぱらぱらとめくっていましたが、本人いわく、「受験勉強に集中していたから、英語を忘れている」のだそうです。でも、小さい時から続けていることなので、こういう講座や授業などをきっかけに、するすると思い出すのではないかと、私は楽観的に考えています。

――というか、絶対に役立つものなので、投げ出さずに続けてほしいなあと思います。まずはそこからですね(汗)

uriel_archangel at 23:05 | 子どものこと | 学び
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April 02, 2012

* NHK語学番組のテキストを買いました・2012

ようやく、テキストをあれこれ見比べてきました。

結局、息子用のテキストは購入しませんでした。何しろ自分が「基礎英語」「続基礎英語」しかない時代のリスナーなので、「基礎英語2」と「基礎英語3」の差が今ひとつピンとこないという……(汗) 英語を仕事で使っていても、英語を教えているわけではないので、こういうところが大雑把です。はい。

でも、別に基礎英語だけで英語を何とかしようというわけではないので、学校の英語の授業で文法をきっちり教えてもらいつつ、(ラジオの講座を聴くのであれば)「基礎英語3」が無難かなあ、と思います。「基礎英語1」は当然のことですが、「基礎英語2」でも、「こんなの分かるよ(文法はともかく聞けば分かりますから)」になってしまい、継続するのが難しくなりそうです。

レベル的に、新番組の「英会話タイムトライアル」や「3か月トピック英会話」も楽しめそうですね。そして、レベルに関係なく「リトル・チャロ」は楽しめそうです。

自分用に購入したのは、次のテキストです。
  • 英会話タイムトライアル
  • 攻略!英語リスニング
  • 実践ビジネス英語
  • まいにちドイツ語
  • まいにちフランス語
こんなにできるのかよ、と自分に突っ込みを入れたくなりますね……(汗)

でも、なぜか昔から、「フランス語は教養として身につけるべし!」という思いがあり、「勉強しなくちゃ!」と思うのです。おかげでカタコト程度はできますが、ここからもうちょっと踏み出したい! と、毎年思っているのです。

ドイツ語は、仕事柄inputが多いので、outputのきっかけにでも……ということで。英語は、テレビの「スーパープレゼンテーション」も気になるので、チェックしようかなあ、と思っています。ますますこの先が思いやられます……。

uriel_archangel at 23:20 | 学び | お買い物
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