コミュニケーション

June 22, 2015

* 「勉強しないと生き残れない」って普通のことじゃないの?

食べ物を買うついでに、コンビニで雑誌の棚をついついチェックします。で、見つけたのがこちら。

AERA 2015年 6/29 号 [雑誌]
朝日新聞出版
2015-06-22


表紙の特集の見出しを見て、「おや、とうとうこんな話が」と思い、ぱらぱらとめくってみました(すみません、立ち読みです)。

見出しだけの予想では、「学生は遊ぶ暇もなくたくさん勉強しなくちゃいけないとか、学歴が将来の選択肢もあれこれ決めちゃうとか、そんな感じの話かな?」と思ったのですが、ちょっと違いました。

出版社のサイトの、今号の情報が載っているページはこちらです。

なるほど、社会人になっても勉強が続くよ、という話か……というところで、「いやいや、社会人になっても勉強しなくちゃいけないというのは、フリーランスにとって当たり前なんですけど」と思いました。

よくよく見ると、縮小する労働市場で会社に依存せずキャリア形成するにはなんて書いてあるではないですか。

見出しだけ見ると、「えー、キャリアって会社に依存して形成できるものなの?」と思ってしまいます。きちんと内容を読みながら書いているわけではないので、あーだこーだと論じることはしませんが。

自分の価値を高めるために勉強を続けなければならないというのは、フリーランスの翻訳者として働いている人にしたら当然のことなので、「こういうことも記事になるのね」と思いました。

そういう、ある1つの仕事でのキャリア形成のための勉強でなく、ジョブチェンジ……というか、「労働市場で生き残るため、付加価値を付ける(それまでの経歴とあまり関係ない場合もあり)」ための勉強も紹介されていました。

MBA、プログラミング、英語…3大スキルの効用という見出しだけを見ての感想ですが、私が今まで「自称翻訳者」からスタートしてなんとかやってこれているのも、「英語ができるから」というのが大きいなあ、と思います。

「英語(に限らず外国語)ができる」というのは、ただ単に外国の人とコミュニケーションが取れるというだけでなく、「日本語を使用したコミュニケーションでも、多様性に配慮して柔軟に対応できる」という側面があると思うのです。

私の場合、分かりやすく言うと「母語が同じ人同士でも、話が通じないときがあるのね」と発見し、「多くの人に理解される(誤解・曲解をされにくい)表現」を意識するようになりました。そもそも翻訳の仕事でこういうことをやってきているわけですが、外国語→日本語のときだけでなく、日本語→日本語でもそういう意識が必要なのだと分かった、という感じです。

まとまりなく書いてしまいましたが、普通の会社勤めをした経験のない私には「普通の世界」だったので、「そうか、これがスタンダードになるのか」と思っています。

ついでに言うと、「従来の働き方+勉強」だけが評価されるのでなく、いろいろなバックグラウンドを持った人、やむをえない理由でキャリアを中断せざるを得なかった人が、自ら学んで身に付けた知識や技能で、労働市場で正当に評価されるようになるといいなあ、と思います。って、今回の記事からは飛躍していますけれど。

uriel_archangel at 18:30 | 仕事 
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October 21, 2011

* 嫌なことがあっても他人には見せないほうがいい

――ということを、先ほどお風呂に入っていて思い出したので、書きます。

以前通っていた英会話サロンでは、春・夏・冬に、集中コースというのがありました。1日3時間×5日、みっちりお勉強します、というものです。

今思い出すと初めて参加した集中コースだったのですが、同じクラスにいた1人が、担当した先生と相性が悪かったのです。確か3日くらいは同じクラスにいたのですが、スタッフに「このクラスは無理」と言ったようでした。後半の2日ほどは、他の先生が彼女の対応をしていました。

こういう経緯を思い出す前に、彼女が授業中に居心地が悪そうにしていた姿を思い出しました。実は、誰か1人でもグループにそういう人がいると、他の人も居心地が悪くなってしまうのです。だから、彼女のその様子を思い出すと、自分もやりにくかったなあ、ということも思い出すします。

せっかく高いお金を払って参加するのですから、今になってみると、こういうときは、最大限楽しむ・新しいことを吸収する努力が必要だなあ、と思います。

――なんて偉そうに書いていますが、私自身も、先生と合わないとか、クラスの雰囲気になじめなかったとかで、もったいない参加の仕方をしていたこともあると思います(英語だけでなく、ドイツ語でも)。

これは、仕事でも同じことだと思います。事務の仕事をしていて、相手の物言いに「むむっ」と思うときもありますが、そういうのは決して表に出しません。というか、出さないのがオトナってやつだと思うのです。ここで感情をあらわにしなくなるのが「社会との妥協」だとか「本当の自分を殺している」だとか、そういうことを言う人は、こんな辺境のブログを読みに来ないとは思いますが……。

と、このところ取引先のスタッフに嫌われているらしく、電話をするとあからさまに無愛想な対応をされる私は思うのでした。世の中、これでやっていけるんだと大いに驚いた次第です。さらりと書きましたが実話ですよ〜。

uriel_archangel at 23:48 | 日々の記録 
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June 14, 2011

* 「正論」を述べるときこそ慎重に

自分が考える正論を誰かに伝えるのはとても難しいことだと、常々考えています。自分にとってそれが正論と思われるのは、自分の視点からものごとを見ているからであって、誰もが同じ視点から見ているとは限りません。このように相対的なものなので、自分の考える「正論」が絶対に正しいとも断言できません。

でも、人は、正義感や使命感にかられると、強い口調で主張してしまうものです。頭ごなしに「こう考えるべき」「それは間違っている」などと言われたら、たとえ理性が「正しいこと」と判断したとしても、感情がそれを認めないでしょう。これはもったいないことだと思います。

私は、そのような経験は少ないのですが、意見が異なる相手に自分の主張を理解してもらうときには、なるべく相手にとって気持ちよく進む方向に話を進めます。具体的にこうする、というのは上手く説明できないのですが、まずは相手の話を聞きます。自分の意見を相手に伝えるのは、相手の考え方を知ってからです。考え方が分かれば、どうやって伝えれば受け入れてもらいやすいかを考えることができるからです。

一見遠回りに見える方法です。でも、事前に準備をしっかりすることで、相手に主張を理解してもらえれば、相手の意見に耳を傾けずに一方的に主張して、無駄に話し合いが長引くよりも、よっぽど効率的だと思っています。


uriel_archangel at 23:58 | 日々の記録 
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