マインド
January 04, 2016
New Year's resolution 2016(新年の抱負)
誕生日が6月なので、新年に一度方針を決めて、約半年後の誕生日に再確認する、というパターンになっていることに気づきました(気づくまで何年かかっているんだ、というのは置いておいて)。
まあ、私のように易きに流れやすいタイプには、この間隔がちょうどいいのでしょう。
そんなわけで、現時点で「今年の抱負!」と思っているのはこれです。
悩んでいるヒマがあったら行動しろ
行動しなければチャンスは得られない
……抱負と言うよりは、受験生が机の前に貼りつけている標語みたいな感じですね。
平均寿命を考えると、人生まだまだ続く、と言えます。でも、10年後も元気で今のような生活ができる保証はありません。
――だとしたら、今までやってきたみたいに「思い切って飛び込もうか、でも自信がないから次の機会にしておこうか」などと悩んでいたら、無駄に時間を使うだけなのです。これはこの年齢にならなくてもそうなのですけれど、「まだ次の機会がある」と思える状況(=若い)だと、そういう考え方に流れてしまうし、時間はたっぷりあると思っているから、時間の浪費だとは気づかないし、思いもしないのです。
人生は長いとは言え、有限です。そこで、「どうしよう〜」などと悩んでいるヒマがあったら、やりたいことは積極的に掴みに行かねば!! と思いました。入力していたらなぜかエクスクラメーションマーク(!)を二度押ししてしまったのですが、今の気持ちに合っているので、そのままにしておきます……。
仕事だとこういうチャレンジをするのですが、仕事以外だと「自信がない」が出てしまうのですよね。――こう書くと仕事では自信満々のように見えますがそうではなくて、みっともなくても何でも仕事は取りに行かねばならない、という意識があるのです。
この大胆さを、仕事以外で出せるように努力します。……あ、何にチャレンジするかをはっきり書いていなかったのですが、「小説を書いて何らかの賞に応募する」ということです。
「何もしなかったから得られる結果がなかった」ではなく、「チャレンジしました」と言えるようにするのが今年の目標です。
他のことは何も考えていないというわけではないのですが、最近強く考えていることを書きました。
まあ、私のように易きに流れやすいタイプには、この間隔がちょうどいいのでしょう。
そんなわけで、現時点で「今年の抱負!」と思っているのはこれです。
悩んでいるヒマがあったら行動しろ
行動しなければチャンスは得られない
……抱負と言うよりは、受験生が机の前に貼りつけている標語みたいな感じですね。
平均寿命を考えると、人生まだまだ続く、と言えます。でも、10年後も元気で今のような生活ができる保証はありません。
――だとしたら、今までやってきたみたいに「思い切って飛び込もうか、でも自信がないから次の機会にしておこうか」などと悩んでいたら、無駄に時間を使うだけなのです。これはこの年齢にならなくてもそうなのですけれど、「まだ次の機会がある」と思える状況(=若い)だと、そういう考え方に流れてしまうし、時間はたっぷりあると思っているから、時間の浪費だとは気づかないし、思いもしないのです。
人生は長いとは言え、有限です。そこで、「どうしよう〜」などと悩んでいるヒマがあったら、やりたいことは積極的に掴みに行かねば!! と思いました。入力していたらなぜかエクスクラメーションマーク(!)を二度押ししてしまったのですが、今の気持ちに合っているので、そのままにしておきます……。
仕事だとこういうチャレンジをするのですが、仕事以外だと「自信がない」が出てしまうのですよね。――こう書くと仕事では自信満々のように見えますがそうではなくて、みっともなくても何でも仕事は取りに行かねばならない、という意識があるのです。
この大胆さを、仕事以外で出せるように努力します。……あ、何にチャレンジするかをはっきり書いていなかったのですが、「小説を書いて何らかの賞に応募する」ということです。
「何もしなかったから得られる結果がなかった」ではなく、「チャレンジしました」と言えるようにするのが今年の目標です。
他のことは何も考えていないというわけではないのですが、最近強く考えていることを書きました。
November 04, 2015
もっと自分に自信を持ってもいいはず……なんだけど……な……
この、「いまいち自分を信用しきれない」感じは、なんとかならないものでしょうか。って、自分でどうにかしなくてはいけないものであることは、分かっているのですが。
まあ、これまで「ああすればよかったのに」とか「こうしておけばよかった」という後悔を積み重ねてきているので、「どうせ自分は、また途中であきらめてしまうに違いない」とか、「これは上手く行かないパターンだな」とか勝手に思ってしまうのです。
――と書いているだけで、「うーむ、こういう気持ちを乗り越えるって、結構大変かも」と思ってしまいます。なにしろ、そういう方向で考え続けて長いですから、これを切り替えるとなると、表現はよろしくないですが、必要なのは自分自身で自分を洗脳することですね。
まずは、「自分は昔と変わらず進歩せず、同じ失敗を繰り返す」という考えに傾いてしまうところで、「いやいや、自分は変われるんだ」と認識を改めるところでしょうか。
考えてみれば、子供の時分から一切進歩していないということはないので、私にも、以前とは違ってできるようになったことがあるはずなのです。そういうことをちょっとずつでも自信につなげて、「今までできなかったことも、この年齢になってもできるんだ」という気持ちを持ち続けなければ、と思います。
最近、そういうところで自分を信じきれずに負けたなあ、と思ったことがあるので、今度こそ、本当に今度こそ! という思いを持って進みたいです。
まあ、これまで「ああすればよかったのに」とか「こうしておけばよかった」という後悔を積み重ねてきているので、「どうせ自分は、また途中であきらめてしまうに違いない」とか、「これは上手く行かないパターンだな」とか勝手に思ってしまうのです。
――と書いているだけで、「うーむ、こういう気持ちを乗り越えるって、結構大変かも」と思ってしまいます。なにしろ、そういう方向で考え続けて長いですから、これを切り替えるとなると、表現はよろしくないですが、必要なのは自分自身で自分を洗脳することですね。
まずは、「自分は昔と変わらず進歩せず、同じ失敗を繰り返す」という考えに傾いてしまうところで、「いやいや、自分は変われるんだ」と認識を改めるところでしょうか。
考えてみれば、子供の時分から一切進歩していないということはないので、私にも、以前とは違ってできるようになったことがあるはずなのです。そういうことをちょっとずつでも自信につなげて、「今までできなかったことも、この年齢になってもできるんだ」という気持ちを持ち続けなければ、と思います。
最近、そういうところで自分を信じきれずに負けたなあ、と思ったことがあるので、今度こそ、本当に今度こそ! という思いを持って進みたいです。
November 01, 2015
やりたいことがあるなら、まず動け、自分!
――と、自分を鼓舞するために書いておきます。
おしまい。
……ではあまりにあまりなので、もうちょっとつらつらと書きます。
「あのときこうしておけばよかった」と後になって後悔するようなことはしたくないなあ、と思うことが増えてきました。日本人女性の平均寿命は80歳を超えていて(きちんと調べていないので、こんな感じで書いておきます)、私の人生もまだまだ続きます。というか、続くはずです。
それでもやはり、これまでと比べると、不測の事態が起こる可能性が高くなります。10代のころのように、5年後10年後もこういう生活が続く、と楽観的には考えられません。
だとしたら、「今回はいいや」なんて言っている場合ではないのです。今チャンスがあるなら、今掴みに行かないとダメなんです。次のチャンスがあったとしても、自分が今と同じコンディションでいられる保証はありません。
傍から見たらジタバタしているようにしか見えないかもしれませんが、チャンスが来たらすかさず動けるように、コンディションを整えることが大切だと実感しました。
まあ、「それ、前にも書いてるよ」という内容かもしれませんが、骨身にしみたので再度書いておきます。こういうことを書くのは、これで最後にしなければ……。
おしまい。
……ではあまりにあまりなので、もうちょっとつらつらと書きます。
「あのときこうしておけばよかった」と後になって後悔するようなことはしたくないなあ、と思うことが増えてきました。日本人女性の平均寿命は80歳を超えていて(きちんと調べていないので、こんな感じで書いておきます)、私の人生もまだまだ続きます。というか、続くはずです。
それでもやはり、これまでと比べると、不測の事態が起こる可能性が高くなります。10代のころのように、5年後10年後もこういう生活が続く、と楽観的には考えられません。
だとしたら、「今回はいいや」なんて言っている場合ではないのです。今チャンスがあるなら、今掴みに行かないとダメなんです。次のチャンスがあったとしても、自分が今と同じコンディションでいられる保証はありません。
傍から見たらジタバタしているようにしか見えないかもしれませんが、チャンスが来たらすかさず動けるように、コンディションを整えることが大切だと実感しました。
まあ、「それ、前にも書いてるよ」という内容かもしれませんが、骨身にしみたので再度書いておきます。こういうことを書くのは、これで最後にしなければ……。
October 16, 2015
コーディネーターさんと世間話で情報収集
最初に書いておきますと、それまでの関係の積み重ねとか相性とか、いろいろ条件がありますので、「誰に対してもチャレンジ!」とは言いません。
どういうことかと言いますと、香水探しのときもそうなのですが、ショッピングで「興味がある、買いたい気持ちも十分にある」というときは、これでも店員さんとお話して情報収集するのが億劫でないタイプなのです。なので、仕事のときもそういうふうに、窓口になっている方からお話を聞きましょう、という感じで、連絡があった案件と直接関係ないことも話すことがあります。
これは本当に、先方が「急いで翻訳者の手配をしなければ!」となっているときには邪魔でしかないので、タイミングにもよります。あと、メールだけでやり取りが終わる場合は、こういうのも難しいですよね。
これは私の経験ですが、コーディネーターさんのほうから、「この人の近況が知りたいな」と思って(メールでなく、いろいろ話が聞き出せるから)電話してくる、という場合もあります。これは、相手に時間の余裕があるわけですからチャンスです。
こちらの近況を話すついでに、先方の状況も聞き出してしまえばいいのです。「最近はどういう分野が多いですか」とか、「今の自分はこういう状況なのですが、それでもできる仕事はありますか」とか。これまた相手との相性次第なのですが、そんな感じでいろいろ情報収集できますよ。
「話を聞きたい!」と思う意中の相手から連絡がない場合は、思い切って「近況のお知らせ」的なメールを送ってみましょう。それで反応がなかったとしても、not foundでメールが戻ってくるのでないかぎり、一応相手とはつながっていることになりますから、「音信不通」からランクアップした、と思えばいいのです。
そういうふうに送った「近況のお知らせ」に目を留めてもらって、久々に連絡があったという経験もあります。なので、「いつでも、どこでも、誰とでも」ではないですが、全く効果がないわけでもないので、あてにならない方法ではありますが希望を持ってください、というところでしょう。
「こういうことをするのってどうだろう」という懸念もあるかもしれませんが、「武士は食わねど高楊枝」でやっいける状態にない人間は、悪あがきに見えるようなことでも動きましょう。それができないという人は、フリーランスは向いていないのではないかと思います。
そして、そうやってあがいているうちに、「武士は食わねど高楊枝」をやっていられる身分になります(保証はありませんが)。
どういうことかと言いますと、香水探しのときもそうなのですが、ショッピングで「興味がある、買いたい気持ちも十分にある」というときは、これでも店員さんとお話して情報収集するのが億劫でないタイプなのです。なので、仕事のときもそういうふうに、窓口になっている方からお話を聞きましょう、という感じで、連絡があった案件と直接関係ないことも話すことがあります。
これは本当に、先方が「急いで翻訳者の手配をしなければ!」となっているときには邪魔でしかないので、タイミングにもよります。あと、メールだけでやり取りが終わる場合は、こういうのも難しいですよね。
これは私の経験ですが、コーディネーターさんのほうから、「この人の近況が知りたいな」と思って(メールでなく、いろいろ話が聞き出せるから)電話してくる、という場合もあります。これは、相手に時間の余裕があるわけですからチャンスです。
こちらの近況を話すついでに、先方の状況も聞き出してしまえばいいのです。「最近はどういう分野が多いですか」とか、「今の自分はこういう状況なのですが、それでもできる仕事はありますか」とか。これまた相手との相性次第なのですが、そんな感じでいろいろ情報収集できますよ。
「話を聞きたい!」と思う意中の相手から連絡がない場合は、思い切って「近況のお知らせ」的なメールを送ってみましょう。それで反応がなかったとしても、not foundでメールが戻ってくるのでないかぎり、一応相手とはつながっていることになりますから、「音信不通」からランクアップした、と思えばいいのです。
そういうふうに送った「近況のお知らせ」に目を留めてもらって、久々に連絡があったという経験もあります。なので、「いつでも、どこでも、誰とでも」ではないですが、全く効果がないわけでもないので、あてにならない方法ではありますが希望を持ってください、というところでしょう。
「こういうことをするのってどうだろう」という懸念もあるかもしれませんが、「武士は食わねど高楊枝」でやっいける状態にない人間は、悪あがきに見えるようなことでも動きましょう。それができないという人は、フリーランスは向いていないのではないかと思います。
そして、そうやってあがいているうちに、「武士は食わねど高楊枝」をやっていられる身分になります(保証はありませんが)。
October 15, 2015
暗い雲の向こうで太陽が輝いている
昨日の朝、空を見たらこんな感じでした。
雲の合間から明るい光が神秘的な雰囲気で差し込んでいます。光の角度から、「ああ、太陽はあのあたりにあるのだな」というのが分かりました。そんなわけで、時間がないというのに思わず撮影してしまいました。それなりに撮影できていますが、やはり自分の目で見たときのほうが、光の感じがきれいだったなあ、と思います。
そして実際に外に出てみて驚いたのですが、このときの天気は「曇り」で、太陽の姿も光も見えません。ああやって空を見ていなかったら、太陽が雲の向こうで明るく輝いていることは、想像もつかないでしょう。
ここで突然話が飛躍しますが、人生もこういう状態なのだなあ、と思いました。
不思議なもので、私だけかもしれませんが、「今は見えないけれど、雲の向こうでは太陽が輝いているんだよ」と思うと、「ああ、この曇り空がすべてではないんだな」という気分になります。逆境というか、自分にとってよくない状態にあっても、世の中すべてがそういう状況ではないのです。
さらに言えばそういう状態は一時的なもので、雲が払われればすぐそこに明るい太陽がある、と考えると、「太陽は意外と近くにあるんだ。じゃあ、姿を見せるまで頑張ろう」と思えます。
ただ単に楽観的ということかもしれませんが、「今は見えないけれど、太陽はすぐ近くで輝いている」と思って、あれこれ取り組んでいこうという思いを強くしました。
雲の合間から明るい光が神秘的な雰囲気で差し込んでいます。光の角度から、「ああ、太陽はあのあたりにあるのだな」というのが分かりました。そんなわけで、時間がないというのに思わず撮影してしまいました。それなりに撮影できていますが、やはり自分の目で見たときのほうが、光の感じがきれいだったなあ、と思います。
そして実際に外に出てみて驚いたのですが、このときの天気は「曇り」で、太陽の姿も光も見えません。ああやって空を見ていなかったら、太陽が雲の向こうで明るく輝いていることは、想像もつかないでしょう。
ここで突然話が飛躍しますが、人生もこういう状態なのだなあ、と思いました。
不思議なもので、私だけかもしれませんが、「今は見えないけれど、雲の向こうでは太陽が輝いているんだよ」と思うと、「ああ、この曇り空がすべてではないんだな」という気分になります。逆境というか、自分にとってよくない状態にあっても、世の中すべてがそういう状況ではないのです。
さらに言えばそういう状態は一時的なもので、雲が払われればすぐそこに明るい太陽がある、と考えると、「太陽は意外と近くにあるんだ。じゃあ、姿を見せるまで頑張ろう」と思えます。
ただ単に楽観的ということかもしれませんが、「今は見えないけれど、太陽はすぐ近くで輝いている」と思って、あれこれ取り組んでいこうという思いを強くしました。
September 28, 2015
「いいこと」の種をまく
「情けは人のためならず」ではありませんが、人間の言動は、忘れたころに本人に戻って来るんだよなあ、というのを感じる出来事が続きました。誰かにキツい言葉を投げかけていたら、後で同じような言葉を投げつけられます(投げかけた相手から来るとは限らない)。誰かに無意味に厳しい姿勢を取っていたら、自分も誰かにそういう態度を取られるのです(これまた、厳しい姿勢で接した相手からとは限らない)。
本人に意識がなくても、他人を傷つける言動をすると、報いというか結果というか、そういうものが来るんだなあ、と思います。だとすると、こういう表現を好まない人もいるかもしれませんが、「波風を立てないようにする」というのは結構大切です。
なんだか後ろ向き・消極的に聞こえますが、私自身は「自分が使われたくない言葉を人に対して使わない」「自分がされたくないことを人にはしない」を心がけています。
「ちょっと待て それはやっても いいことか」
の世界に近いですね……。そうすると、基本的に世の中に対してROMな人間になります(汗) このスタンスは精神的ひきこもりを助長しているわけですが、誰かを不快な気分にするよりはいいでしょう、と開き直っています。
――で、その代わり、「いいこと」は実行しようと思っています。具体的に何かというと、誰かのサポート(困っている人に「役立つかも」な情報を提供する、レベルですが)、という程度ですけれど。
「いいこと」の種をまいたら、自分にその果実がもたらされる……という期待はしないことにします。かと言って好き勝手に、本能の赴くままの言動を重ねて「いやなこと」の種をまいたとします。それが勝手に育ったら、本来関係のないはずの人でも、大きくなった「いやなこと」が目にとまるとイヤな気分になると思うのです。当事者はなおさらです。
でも、「いいこと」の種から芽が出て育ったら、それは関係ない人が見ても「いい気分」というか、少なくとも心が乱されるようなことはありません。まあそうやって、自分の周囲にはせめて「いいこと」の種をまいて、「いやなこと」の種から自分の身を守ろうというライフハック(?)ではありますが。
そんなわけで、地道に「いいこと」の種をまいていこうと考えています。
本人に意識がなくても、他人を傷つける言動をすると、報いというか結果というか、そういうものが来るんだなあ、と思います。だとすると、こういう表現を好まない人もいるかもしれませんが、「波風を立てないようにする」というのは結構大切です。
なんだか後ろ向き・消極的に聞こえますが、私自身は「自分が使われたくない言葉を人に対して使わない」「自分がされたくないことを人にはしない」を心がけています。
「ちょっと待て それはやっても いいことか」
の世界に近いですね……。そうすると、基本的に世の中に対してROMな人間になります(汗) このスタンスは精神的ひきこもりを助長しているわけですが、誰かを不快な気分にするよりはいいでしょう、と開き直っています。
――で、その代わり、「いいこと」は実行しようと思っています。具体的に何かというと、誰かのサポート(困っている人に「役立つかも」な情報を提供する、レベルですが)、という程度ですけれど。
「いいこと」の種をまいたら、自分にその果実がもたらされる……という期待はしないことにします。かと言って好き勝手に、本能の赴くままの言動を重ねて「いやなこと」の種をまいたとします。それが勝手に育ったら、本来関係のないはずの人でも、大きくなった「いやなこと」が目にとまるとイヤな気分になると思うのです。当事者はなおさらです。
でも、「いいこと」の種から芽が出て育ったら、それは関係ない人が見ても「いい気分」というか、少なくとも心が乱されるようなことはありません。まあそうやって、自分の周囲にはせめて「いいこと」の種をまいて、「いやなこと」の種から自分の身を守ろうというライフハック(?)ではありますが。
そんなわけで、地道に「いいこと」の種をまいていこうと考えています。
September 18, 2015
年齢とともに重ねた経験が役立つ
――と、最近思えるようになりました。今回は趣味に関する話です。
でもその前提には、「柔軟なものの考え方ができる」というのが大切です。で、私自身は、そういうふうにできているなあ、と思っているので、こういうふうに偉そうに書いちゃうわけです。
小説を書くのが好きな子供だったので、若いときは、「△歳にして○○賞受賞!」なんてのにあこがれました。でも、実際にそういうふうに称される人は、あこがれている人のごく一部です。大多数の人間は何も達成できないまま、「△歳にして」の数字が「宣伝のポイントにならない」という年齢になります。
ここで、数字がかなり大きくなればまた注目のチャンスはあるでしょうが、こうなるとゴルフのエージシューターの世界みたいになってきます。しかも寿命は有限で、どこで途切れるかは分かりません。
そして、「若くして○○賞受賞」と言われるような年齢を過ぎてしまうと、生活が忙しくて「自分のやりたいこと」に手を付ける余裕がなくなってしまいます。そんなわけで私は「小説は趣味で書いていければいいや〜」などと思って過ごしていました(しかも書かない)。
でも、子供が「とても手のかかる時期(または、周囲が『親として子供に手をかけるのが当然だろう』と思う時期)」を抜けたこともあり、再び時間とココロに余裕ができました。そこで今度こそ時間を作ってあれこれ作業しているのですが、「若くないからこそできることもあるなあ」と感じています。
若くみずみずしい感性というのは確かに素晴らしいものですが、年齢を経てそういうものがなくなった(弱まった?)としても、それを補える知識が蓄積されています。それと、「若くみずみずしい感性」は若いだけにちょっと硬いというか頑固なところがあって、「これ」と思うもの以外を受け入れられないこともあります(私はそういうタイプでした)。
でも、人生何十年も続けていると、思い通りに行かないことばかりです。「全部自分が決められる」状態で何かが託されることはほとんどなく、あれこれ条件付きで何とかしなければならないことが多いです。
おかげで、若いときより逆に頭が柔らかくなったかな〜、と思っています。おろしたての真っ白なボードでなければ何も書けなかった人間が、多少形がゆがんでいたりここぞというところに書き込みがあったりするボードでも、できる範囲で最大限の努力をして書けるようになった、という感じです。
もちろん、どんなときも柔軟に考えられるかというと、そんなことはないとは思います。それと、こういう考え方を「妥協している」とか「ひよっている」とか、そういうふうに感じる人もいるでしょう。
でも私自身は、「与えられた環境下で最大限努力する」のは価値のあることだ、と思えるようになりました。目指すゴールへの最短距離が取れなくても、どうやってそこを目指すか考えること自体も面白いものです。言い方を変えると、「人生、何でも楽しんだもの勝ち」というところでしょうか。
そんな状態で、「若くなくてもできるんだ」ということで、「自分が書いたものが、たくさんの人に楽しんでもらえる」を目指して頑張ろうと思います。
でもその前提には、「柔軟なものの考え方ができる」というのが大切です。で、私自身は、そういうふうにできているなあ、と思っているので、こういうふうに偉そうに書いちゃうわけです。
小説を書くのが好きな子供だったので、若いときは、「△歳にして○○賞受賞!」なんてのにあこがれました。でも、実際にそういうふうに称される人は、あこがれている人のごく一部です。大多数の人間は何も達成できないまま、「△歳にして」の数字が「宣伝のポイントにならない」という年齢になります。
ここで、数字がかなり大きくなればまた注目のチャンスはあるでしょうが、こうなるとゴルフのエージシューターの世界みたいになってきます。しかも寿命は有限で、どこで途切れるかは分かりません。
そして、「若くして○○賞受賞」と言われるような年齢を過ぎてしまうと、生活が忙しくて「自分のやりたいこと」に手を付ける余裕がなくなってしまいます。そんなわけで私は「小説は趣味で書いていければいいや〜」などと思って過ごしていました(しかも書かない)。
でも、子供が「とても手のかかる時期(または、周囲が『親として子供に手をかけるのが当然だろう』と思う時期)」を抜けたこともあり、再び時間とココロに余裕ができました。そこで今度こそ時間を作ってあれこれ作業しているのですが、「若くないからこそできることもあるなあ」と感じています。
若くみずみずしい感性というのは確かに素晴らしいものですが、年齢を経てそういうものがなくなった(弱まった?)としても、それを補える知識が蓄積されています。それと、「若くみずみずしい感性」は若いだけにちょっと硬いというか頑固なところがあって、「これ」と思うもの以外を受け入れられないこともあります(私はそういうタイプでした)。
でも、人生何十年も続けていると、思い通りに行かないことばかりです。「全部自分が決められる」状態で何かが託されることはほとんどなく、あれこれ条件付きで何とかしなければならないことが多いです。
おかげで、若いときより逆に頭が柔らかくなったかな〜、と思っています。おろしたての真っ白なボードでなければ何も書けなかった人間が、多少形がゆがんでいたりここぞというところに書き込みがあったりするボードでも、できる範囲で最大限の努力をして書けるようになった、という感じです。
もちろん、どんなときも柔軟に考えられるかというと、そんなことはないとは思います。それと、こういう考え方を「妥協している」とか「ひよっている」とか、そういうふうに感じる人もいるでしょう。
でも私自身は、「与えられた環境下で最大限努力する」のは価値のあることだ、と思えるようになりました。目指すゴールへの最短距離が取れなくても、どうやってそこを目指すか考えること自体も面白いものです。言い方を変えると、「人生、何でも楽しんだもの勝ち」というところでしょうか。
そんな状態で、「若くなくてもできるんだ」ということで、「自分が書いたものが、たくさんの人に楽しんでもらえる」を目指して頑張ろうと思います。
September 09, 2015
「相性のいい取引先」は人それぞれ
分かりやすく言うと、兼業翻訳者の私は「高単価&短納期」の取引先は相性が悪いです。というか、スケジュールがぴったり合わないと対応できません(できるときもあります)。でも、専業でバリバリやっているという人にとっては、キャパシティに余裕がある限り、「よっしゃー、ばっちこーい」という気分になるのではないでしょうか。
私は、「単価は高いに越したことはありませんが、そこまで高くなくてもいいので(ただし、ものには限度というものがあります)、代わりに余裕のある納期をください」というタイプです。最近はどの取引先も、納期の余裕がない案件が多いので、全体的にお声がかかりにくくなっていますが。そういう中でも条件に合う仕事は探せばあるもので、なんとかいろいろなものが回るようになりました。
こんな感じで、どういう仕事が「条件がいい」と思えるかはその人の環境次第です。子供がまだ小学生なので、金曜午後に依頼があって月曜納品、みたいな仕事は避けたいという人もいれば、そういう制限がなく「人が休みたいときに働くのが売りです!」という人もいるでしょう。
ちなみに私は、子供はいますが部活三昧だし、旅費が割高になって、人も多い時期にわざわざ旅行をする気にならないタイプです。なので、「お盆や年末年始に出かける予定を入れないので、この時期に働くのは構わない」タイプです。(部活を引退したら受験生モードで、結局出かける予定のない生活になる……のかな?)
先ほどから何度も書いていますが、「高くない」にも限度というものがありますが、「単価はそんなに高くないけれど、たくさん仕事をくれる取引先」を評価する人もいるでしょう。まあ、「どれくらいの収入が必要か」「どれくらい作業できるか」を考えて、いろいろな取引先を組み合わせるのが大事だと思います。
で、またまた当然ですが、能力が高ければ「納期に余裕がありつつ単価も高い」仕事が可能になります。相性のいい取引先を増やすためには、自分の能力を高めるのも大事なのです。
翻訳の仕事でお断りする場面が増えると(翻訳の仕事の依頼があまりないな〜、という時期もそうですが)、「兼業じゃなければな〜」と思うこともなくもないです(回りくどい表現ですね)。でも、もっと大変なときに、今の職場にはとてもお世話になりました。上司が兼業翻訳者という立場に理解があって、とにかく融通が利きます。
さらに「ここ、私がいないと回らないのよね〜」という感じがビシビシと伝わってくるので、「退職する」という選択肢はありません。従業員が増えたら、働く時間や日数を減らす、という可能性は、大いにありますけれど。
私は、「単価は高いに越したことはありませんが、そこまで高くなくてもいいので(ただし、ものには限度というものがあります)、代わりに余裕のある納期をください」というタイプです。最近はどの取引先も、納期の余裕がない案件が多いので、全体的にお声がかかりにくくなっていますが。そういう中でも条件に合う仕事は探せばあるもので、なんとかいろいろなものが回るようになりました。
こんな感じで、どういう仕事が「条件がいい」と思えるかはその人の環境次第です。子供がまだ小学生なので、金曜午後に依頼があって月曜納品、みたいな仕事は避けたいという人もいれば、そういう制限がなく「人が休みたいときに働くのが売りです!」という人もいるでしょう。
ちなみに私は、子供はいますが部活三昧だし、旅費が割高になって、人も多い時期にわざわざ旅行をする気にならないタイプです。なので、「お盆や年末年始に出かける予定を入れないので、この時期に働くのは構わない」タイプです。(部活を引退したら受験生モードで、結局出かける予定のない生活になる……のかな?)
先ほどから何度も書いていますが、「高くない」にも限度というものがありますが、「単価はそんなに高くないけれど、たくさん仕事をくれる取引先」を評価する人もいるでしょう。まあ、「どれくらいの収入が必要か」「どれくらい作業できるか」を考えて、いろいろな取引先を組み合わせるのが大事だと思います。
で、またまた当然ですが、能力が高ければ「納期に余裕がありつつ単価も高い」仕事が可能になります。相性のいい取引先を増やすためには、自分の能力を高めるのも大事なのです。
翻訳の仕事でお断りする場面が増えると(翻訳の仕事の依頼があまりないな〜、という時期もそうですが)、「兼業じゃなければな〜」と思うこともなくもないです(回りくどい表現ですね)。でも、もっと大変なときに、今の職場にはとてもお世話になりました。上司が兼業翻訳者という立場に理解があって、とにかく融通が利きます。
さらに「ここ、私がいないと回らないのよね〜」という感じがビシビシと伝わってくるので、「退職する」という選択肢はありません。従業員が増えたら、働く時間や日数を減らす、という可能性は、大いにありますけれど。
September 07, 2015
ポジティブなフィードバックは仕事でも趣味でも嬉しいものです
汎用性の高い表現にしようとしたら、横文字だらけになってしまいましたよ。
週末に、中学高校のミニ同窓会がありました。参加者は20人くらい? という小規模なものです。最近のことから思い出話から、話に花が咲きまくりました。
自称永遠の17歳と言っても、卒業してから年数は経っているし、実は同じクラスになったことがないという人もいます。それでも、多感な中学高校の6年を同じ環境で過ごしていると、大学以降に進んだ道が様々でも、すぐに「自分がかつていた場所」を思い出す空間ができるのがいいですね。
なんというか、私は履歴書は立派な感じに作れますが、内情はそんなにご立派なものではありません。でも、仕事をバリバリやっているかいないかとか、結婚しているとかしていないとか、している場合は配偶者がどういう地位にあるのかとか、そういうことは気にせずにいられるのもありがたいです。
多分、そういうことが気になる人もいると思います。でも、こう言うと偉そうなのですが、自分が引っかかっているところが、相手が鏡になって反射されて、はねかえってくるだけなんです。そして、相手に「劣等感を感じるところをえぐり出してやろう」という意思はありません。だから、自分自身が気にしていなければ、本当に気楽に過ごせます。そういう精神状態になるまでのほうが大変かもしれませんが……。
ともあれ、こういう考え方は残念ながらどの集団でも通用するというわけではありませんが、「懐かしい仲間とおしゃべりしたい」という気持ちがあれば、楽しく過ごせる空間だと思います。様々な場所や立場で努力する友人たちの話は、本当に刺激になりました。
自分の仕事や得意とするもので、社会に対して何ができるか、というようなことを考えている人がいる一方で、私のやりたいことというのが、端的に言うと「マイワールドに籠って自分の作り上げた妄想に浸りたい」という自分勝手なものなので、「社会のこととか深く考えてなくてスミマセン」という感じなのですが(汗) でも、そういう我が道を行くスタンスも理解してくれるので、本当にありがたいです。
そんな状態ですが、複数の人から(具体的な数字は挙げないところでお察しください、というやつです)、「中学のときにREMIさんが書いていた文章(小説とかではなく、普通の日記?のような文章)が面白かった」とか、「今書いている文章(ブログとか小説とか)も楽しみにしている」と言ってもらって、とっても嬉しかったです。
――で、これって仕事でも同じだなあ、と思ったのです。事務の仕事でも翻訳でも、自分が作ったものを「この前のあれ、助かりました」とか「とっても分かりやすかったです」みたいに言ってもらえると、「頑張ろう」という気分になります。
実際に成果物を使う人から、そういうふうに直接言ってもらえる(またはエージェント経由で話を聞く)のが一番励みになりますが、エージェントの人の「個人的にいいと思った」レベルの発言でも、やる気アップです。魔法の言葉ですね。
なので、エージェントの人は、「この人は手放したくない」という翻訳者さんがいたら、そういう「ぷちぷちヨイショ」で「気分よく仕事を引き受けてもらおう」という努力を続けると、効果的ではないかと思います。即効性はないかもしれませんが、地味〜に効いてくると思いますよ。
別に、「ホメてホメて」とおねだりしているわけではありません。もちろん、自分で自分のモチベーションを維持するために努力をしています(そういうものも込みでフリーランスです)。でも、そういう努力以上に、自分以外の人のフィードバック(できれば良い内容のもの)は励みになるのです。足場の悪いところで一生懸命ジャンプしていたら、足元にサッとトランポリンを置いてもらえた、という感じです。
細々と書いている小説だって、無言の読者1000人よりも、具体的な感想をもらえる読者が1人でもいるほうが、「よし、この調子で書くぞ」と思えます。自分が書いていて楽しいのも大切なのですが、楽しみに読んでくれる人の存在は、本当に貴重なです。
プチ同窓会自体も楽しかったのですが、「私が書いているものを楽しんでくれる人がいたし、今もいる」というのが感じられたのも、本当に嬉しかったです。次回の集まりでは、私も誰かにポジティブな行動ができればいいな、というかそうする努力をしようと思いました。
――で終わればキレイなのですが、家族に対して自分がポジティブな働きかけをしているか、というところで「うーん」となったので、そういうところも改善したいと思います。
週末に、中学高校のミニ同窓会がありました。参加者は20人くらい? という小規模なものです。最近のことから思い出話から、話に花が咲きまくりました。
自称永遠の17歳と言っても、卒業してから年数は経っているし、実は同じクラスになったことがないという人もいます。それでも、多感な中学高校の6年を同じ環境で過ごしていると、大学以降に進んだ道が様々でも、すぐに「自分がかつていた場所」を思い出す空間ができるのがいいですね。
なんというか、私は履歴書は立派な感じに作れますが、内情はそんなにご立派なものではありません。でも、仕事をバリバリやっているかいないかとか、結婚しているとかしていないとか、している場合は配偶者がどういう地位にあるのかとか、そういうことは気にせずにいられるのもありがたいです。
多分、そういうことが気になる人もいると思います。でも、こう言うと偉そうなのですが、自分が引っかかっているところが、相手が鏡になって反射されて、はねかえってくるだけなんです。そして、相手に「劣等感を感じるところをえぐり出してやろう」という意思はありません。だから、自分自身が気にしていなければ、本当に気楽に過ごせます。そういう精神状態になるまでのほうが大変かもしれませんが……。
ともあれ、こういう考え方は残念ながらどの集団でも通用するというわけではありませんが、「懐かしい仲間とおしゃべりしたい」という気持ちがあれば、楽しく過ごせる空間だと思います。様々な場所や立場で努力する友人たちの話は、本当に刺激になりました。
自分の仕事や得意とするもので、社会に対して何ができるか、というようなことを考えている人がいる一方で、私のやりたいことというのが、端的に言うと「マイワールドに籠って自分の作り上げた妄想に浸りたい」という自分勝手なものなので、「社会のこととか深く考えてなくてスミマセン」という感じなのですが(汗) でも、そういう我が道を行くスタンスも理解してくれるので、本当にありがたいです。
そんな状態ですが、複数の人から(具体的な数字は挙げないところでお察しください、というやつです)、「中学のときにREMIさんが書いていた文章(小説とかではなく、普通の日記?のような文章)が面白かった」とか、「今書いている文章(ブログとか小説とか)も楽しみにしている」と言ってもらって、とっても嬉しかったです。
――で、これって仕事でも同じだなあ、と思ったのです。事務の仕事でも翻訳でも、自分が作ったものを「この前のあれ、助かりました」とか「とっても分かりやすかったです」みたいに言ってもらえると、「頑張ろう」という気分になります。
実際に成果物を使う人から、そういうふうに直接言ってもらえる(またはエージェント経由で話を聞く)のが一番励みになりますが、エージェントの人の「個人的にいいと思った」レベルの発言でも、やる気アップです。魔法の言葉ですね。
なので、エージェントの人は、「この人は手放したくない」という翻訳者さんがいたら、そういう「ぷちぷちヨイショ」で「気分よく仕事を引き受けてもらおう」という努力を続けると、効果的ではないかと思います。即効性はないかもしれませんが、地味〜に効いてくると思いますよ。
別に、「ホメてホメて」とおねだりしているわけではありません。もちろん、自分で自分のモチベーションを維持するために努力をしています(そういうものも込みでフリーランスです)。でも、そういう努力以上に、自分以外の人のフィードバック(できれば良い内容のもの)は励みになるのです。足場の悪いところで一生懸命ジャンプしていたら、足元にサッとトランポリンを置いてもらえた、という感じです。
細々と書いている小説だって、無言の読者1000人よりも、具体的な感想をもらえる読者が1人でもいるほうが、「よし、この調子で書くぞ」と思えます。自分が書いていて楽しいのも大切なのですが、楽しみに読んでくれる人の存在は、本当に貴重なです。
プチ同窓会自体も楽しかったのですが、「私が書いているものを楽しんでくれる人がいたし、今もいる」というのが感じられたのも、本当に嬉しかったです。次回の集まりでは、私も誰かにポジティブな行動ができればいいな、というかそうする努力をしようと思いました。
――で終わればキレイなのですが、家族に対して自分がポジティブな働きかけをしているか、というところで「うーん」となったので、そういうところも改善したいと思います。
September 04, 2015
「やってみたい仕事」が私に来ないのは、別の仕事でもっと必要とされているから
――と、最近考えています。
興味はあるけれどお声がかからない……という仕事は、たぶん、自分でない他の誰かでも十分できるものなのです。興味の有無に関係なく、「これはREMIさんでないとできない」と思われている仕事が、私にまわってくるのです。
まあ、負け惜しみと言えばそれまでなのですが、自分の目の前を通り過ぎていく魅力的に見える仕事に対して、そういう気分でお見送りすることにしています。確かに、興味のある内容の仕事のほうが、気持ちの入り具合が違うとは思います。でも、「これ、やりたいと思っていたんです!」という仕事が必ず自分のもとに来るとは限りません。
そういうときは考え方を切り替えて、「自分では、こういう仕事は得意じゃないと思っているんだけれど、恐らく他の人は、そういうふうに思っている自分よりもできないんだ」と理解するようにします。「そうか、私はこういう仕事ができるんだ」と思えば、仕事への取り組み方も変わります。
「得意じゃないんだけどな〜」と思っているとなぜか発生してしまうミスも、「できる!」と思っていれば防げます。個人の感想です。自信を持って油断して作業すると、当然ながらミスは発生します。「できる!」と思いながら慎重に丁寧に、が大事です。
偉そうに書いていて思ったのですが、最近、事務仕事でポロポロと取りこぼしているところがあるなあと、あれこれ思い出しています。気を引き締めなければ、です。
興味はあるけれどお声がかからない……という仕事は、たぶん、自分でない他の誰かでも十分できるものなのです。興味の有無に関係なく、「これはREMIさんでないとできない」と思われている仕事が、私にまわってくるのです。
まあ、負け惜しみと言えばそれまでなのですが、自分の目の前を通り過ぎていく魅力的に見える仕事に対して、そういう気分でお見送りすることにしています。確かに、興味のある内容の仕事のほうが、気持ちの入り具合が違うとは思います。でも、「これ、やりたいと思っていたんです!」という仕事が必ず自分のもとに来るとは限りません。
そういうときは考え方を切り替えて、「自分では、こういう仕事は得意じゃないと思っているんだけれど、恐らく他の人は、そういうふうに思っている自分よりもできないんだ」と理解するようにします。「そうか、私はこういう仕事ができるんだ」と思えば、仕事への取り組み方も変わります。
「得意じゃないんだけどな〜」と思っているとなぜか発生してしまうミスも、「できる!」と思っていれば防げます。個人の感想です。自信を持って油断して作業すると、当然ながらミスは発生します。「できる!」と思いながら慎重に丁寧に、が大事です。
偉そうに書いていて思ったのですが、最近、事務仕事でポロポロと取りこぼしているところがあるなあと、あれこれ思い出しています。気を引き締めなければ、です。