マインド
August 27, 2015
自分の世界を広げて刺激を受けるって大事だなあ
翻訳に関するセミナーに参加したり、興味深い作品との出会いがあったりと、あちこち出かけたわけではありませんが、充実した夏を過ごしています。
恐らくこのブログで何度も書いているのですが、「今の状態が一番いい」と感じられても、そこから一歩も動かないのは良くないです。世の中がまったく変化しないというのはありません。気づいたら「一番いい状態」が時代遅れになっていて、「これは何とかしなければ」と思っても、すぐに対応できない可能性があります。
そんなわけで、結果として「現状維持」のままだとしても、「ではこの快適な自分の環境の周囲はどうなっているのかな」という視点で、業界や世の中を見渡してみるというのは大切です。そうすると、完全な「現状維持」ではなく、一部環境に適応させるという選択があるかもしれません。
それと、新しい世界に触れるのはいいなあ、としみじみ思います。自分の興味や関心が刺激されて、思考回路に新しい要素が加わって、活発に動くような感じがします。セミナー参加は物理的な移動がありますが、読書は外出しなくてもできます。オンラインの書店を利用すれば、自宅から一歩も出なくても本が手に入る、便利な世の中になりました。そう言えば、オンラインのセミナーというのもありますね。
ぐちゃぐちゃ書いてしまいましたが、自分の世界を広げるのは、「昨日までとは違う自分」になれるきっかけだと思います。偉そうに言うと、変化(成長)の機会、でしょうか。
フリーランスで生きていくには、周囲の変化に自分も合わせる柔軟性が必要です。例えばですが、今の時代、紙の辞書と原稿用紙で翻訳をしているという人は、まずいないのではないでしょうか。新しいテクノロジー(という表現自体、なんだか年寄りじみた感じがしますが)を取り入れるというのも、立派な適応です。
何歳になっても「ぜひREMIさんに」と選ばれる人間になるべく、努力していこうと思います。
恐らくこのブログで何度も書いているのですが、「今の状態が一番いい」と感じられても、そこから一歩も動かないのは良くないです。世の中がまったく変化しないというのはありません。気づいたら「一番いい状態」が時代遅れになっていて、「これは何とかしなければ」と思っても、すぐに対応できない可能性があります。
そんなわけで、結果として「現状維持」のままだとしても、「ではこの快適な自分の環境の周囲はどうなっているのかな」という視点で、業界や世の中を見渡してみるというのは大切です。そうすると、完全な「現状維持」ではなく、一部環境に適応させるという選択があるかもしれません。
それと、新しい世界に触れるのはいいなあ、としみじみ思います。自分の興味や関心が刺激されて、思考回路に新しい要素が加わって、活発に動くような感じがします。セミナー参加は物理的な移動がありますが、読書は外出しなくてもできます。オンラインの書店を利用すれば、自宅から一歩も出なくても本が手に入る、便利な世の中になりました。そう言えば、オンラインのセミナーというのもありますね。
ぐちゃぐちゃ書いてしまいましたが、自分の世界を広げるのは、「昨日までとは違う自分」になれるきっかけだと思います。偉そうに言うと、変化(成長)の機会、でしょうか。
フリーランスで生きていくには、周囲の変化に自分も合わせる柔軟性が必要です。例えばですが、今の時代、紙の辞書と原稿用紙で翻訳をしているという人は、まずいないのではないでしょうか。新しいテクノロジー(という表現自体、なんだか年寄りじみた感じがしますが)を取り入れるというのも、立派な適応です。
何歳になっても「ぜひREMIさんに」と選ばれる人間になるべく、努力していこうと思います。
August 20, 2015
自分のやりたいことで一生懸命です
なんというか、それなりの年齢と経験を積んではいるので、「よりよい社会」「暮らしやすい世の中」についてもっと考えるべきなのかもしれません。ですが最近は、
「仕事やらなくちゃ〜」
「意地でも時間を作って小説書くぞ〜」
「来月のクレジットカードの支払いがすごいことになった〜」
「Windows8.1の勝手が分からない〜」
「展覧会行けてない〜」
みたいなことばかり考える生活です(汗)
「やりたいこと」があって、それに向けてまっすぐ進んでいるつもりなのですが、それが社会と積極的に関ってどうこうする、みたいな世界でないと、見事に精神的には内向きですね。でも本人的には、とても充実した毎日を送っているのです。
「やりたいこと」が多すぎなのだろうなあ、と思います。で、その中に、「世界の来し方行く末を考える」みたいなのが入っていない、ということで。考えていないわけではないのですが、どこかにまとめて書く時間がないのです。
まあ、たいていそういう風に思い浮かんだことというのは、独断と偏見に満ちていて毒だらけなので、そのまま表に出すと危険というのもあります。そういうものを外に出したところで、私だけでなく、誰の得にもならないですから。フッと思い浮かぶことはあっても、表に出したいという気持ちも機会もないので、自分の中にまたブクブクブクと沈めておく感じです。
そうやって自分の中で発酵させたものが(腐敗じゃありません)、かなーりマイルドな状態になって、忘れたころにどこかでぽろっと出てくるかもしれません。
そんな感じです。
「仕事やらなくちゃ〜」
「意地でも時間を作って小説書くぞ〜」
「来月のクレジットカードの支払いがすごいことになった〜」
「Windows8.1の勝手が分からない〜」
「展覧会行けてない〜」
みたいなことばかり考える生活です(汗)
「やりたいこと」があって、それに向けてまっすぐ進んでいるつもりなのですが、それが社会と積極的に関ってどうこうする、みたいな世界でないと、見事に精神的には内向きですね。でも本人的には、とても充実した毎日を送っているのです。
「やりたいこと」が多すぎなのだろうなあ、と思います。で、その中に、「世界の来し方行く末を考える」みたいなのが入っていない、ということで。考えていないわけではないのですが、どこかにまとめて書く時間がないのです。
まあ、たいていそういう風に思い浮かんだことというのは、独断と偏見に満ちていて毒だらけなので、そのまま表に出すと危険というのもあります。そういうものを外に出したところで、私だけでなく、誰の得にもならないですから。フッと思い浮かぶことはあっても、表に出したいという気持ちも機会もないので、自分の中にまたブクブクブクと沈めておく感じです。
そうやって自分の中で発酵させたものが(腐敗じゃありません)、かなーりマイルドな状態になって、忘れたころにどこかでぽろっと出てくるかもしれません。
そんな感じです。
July 22, 2015
仕事のストレスはドカ食いの直接の原因ではなかった
何日か前にも書きましたが……。
実は最近、バタバタしていたのもあって、体重計からご無沙汰していたのです。そこで昨夜、「ダイエットには自分の体重の確認が不可欠!」と、勇気を振り絞って久々に体重計にのってみたところ……
減ってるではありませんか! おぼろげな記憶の中にある1か月くらい前の数字と比較すると、明らかに2kgちかく違うのです。これは「以前より減った」と判断してよい差だと思います。
これまでは、体重計に乗らないと自分の状況が把握できずに食べ過ぎてしまい、体重が増えるというのが定番でした。でも今回は、減っています。
結局、体重が増えていないのは、仕事のことでストレスがかかっても「あー、食べなきゃやってられない!」にならないからなのですよね。で、今の私がこういう気持ちにならないのは、恐らく「自分が本当にやりたいことをする時間が、今の生活の中でも作れる」ということが分かったからだろう、ということなのです(前回書いた話です)。
そう考えると、私にとって、仕事のストレスはドカ食いの直接の原因ではないのです。恐らく、「自分が本当にやりたいことができていない状況」が根っこにあると、他のことでストレスを感じたときに、「あー、もう限界!」になってしまうのでしょう。
やはり、自分と向き合って、「自分にとって一番大切なものは何か」というのを知るのが大切なんだなあ、と思いました。
実は最近、バタバタしていたのもあって、体重計からご無沙汰していたのです。そこで昨夜、「ダイエットには自分の体重の確認が不可欠!」と、勇気を振り絞って久々に体重計にのってみたところ……
減ってるではありませんか! おぼろげな記憶の中にある1か月くらい前の数字と比較すると、明らかに2kgちかく違うのです。これは「以前より減った」と判断してよい差だと思います。
これまでは、体重計に乗らないと自分の状況が把握できずに食べ過ぎてしまい、体重が増えるというのが定番でした。でも今回は、減っています。
結局、体重が増えていないのは、仕事のことでストレスがかかっても「あー、食べなきゃやってられない!」にならないからなのですよね。で、今の私がこういう気持ちにならないのは、恐らく「自分が本当にやりたいことをする時間が、今の生活の中でも作れる」ということが分かったからだろう、ということなのです(前回書いた話です)。
そう考えると、私にとって、仕事のストレスはドカ食いの直接の原因ではないのです。恐らく、「自分が本当にやりたいことができていない状況」が根っこにあると、他のことでストレスを感じたときに、「あー、もう限界!」になってしまうのでしょう。
やはり、自分と向き合って、「自分にとって一番大切なものは何か」というのを知るのが大切なんだなあ、と思いました。
July 17, 2015
精神的な満足感って大事なんだなあ
……というのを、最近実感しています。
何日か前に、「やりたいと思っていたことがあるけれど、そんなことをする時間は取れないとずっと考えていた。でも、やってみたらできた」という話を書きました。その続き、みたいなものでしょうか。
私は(特に仕事関係で)ストレスがかかると、何かを食べないと気が済まないタイプです。不思議な表現だと思うでしょうが、「空腹が許せない」というのがぴったりな状態です。
でも最近は、ストレスがかからない生活というわけではないのですが(今までとあまり変わっていません)、そういう「自分ではコントロールできないモヤモヤした焦り」というのを、あまり感じなくなっています。
どうしてだろうと思ったのですが、思い当たる変化と言えば、その「今までやりたいと思っていたことをする時間が取れることが分かった」ことなのです。以来、このことは「やることリスト」に入っているというか、ちょっとした時間を利用して取り組んだりしています。
些細なことですが、精神的な満足感がどれだけ重要かに気付きました。「本当に自分がしたいと思っていること」は、大切にしなくてはいけないということですね。
何日か前に、「やりたいと思っていたことがあるけれど、そんなことをする時間は取れないとずっと考えていた。でも、やってみたらできた」という話を書きました。その続き、みたいなものでしょうか。
私は(特に仕事関係で)ストレスがかかると、何かを食べないと気が済まないタイプです。不思議な表現だと思うでしょうが、「空腹が許せない」というのがぴったりな状態です。
でも最近は、ストレスがかからない生活というわけではないのですが(今までとあまり変わっていません)、そういう「自分ではコントロールできないモヤモヤした焦り」というのを、あまり感じなくなっています。
どうしてだろうと思ったのですが、思い当たる変化と言えば、その「今までやりたいと思っていたことをする時間が取れることが分かった」ことなのです。以来、このことは「やることリスト」に入っているというか、ちょっとした時間を利用して取り組んだりしています。
些細なことですが、精神的な満足感がどれだけ重要かに気付きました。「本当に自分がしたいと思っていること」は、大切にしなくてはいけないということですね。
July 15, 2015
新しいペンダントをゲット・2015年7月その2
前回が「その1」ということは、「その2」があるわけです。末端価格(笑)よりはお得に手に入れているはずですが、それなりの金額なので、「その3」はありませんよ……。
「バルティックアンバー」だそうです。薔薇の花はインタリオ(沈み彫り)とのことですが、裏から見ると、茎は彫っているのが見えますが、葉や花の部分は上に乗っかっていると思います。琥珀の上に水晶か樹脂があり、立体感から考えると、琥珀の部分だけでこれは表現できないと思うのです。
こちらは写真を見て「琥珀の色と薔薇の花がきれい!」と一目ぼれでした。
以前、大きな琥珀を使ったペンダントを持っていたのですが、3.11で家の中がひっくり返ったときに行方不明になってしまいました。地震から何か月か経って、「あれ、そう言えば、あそこにぶら下げていたはずのペンダントがない!」と気づいたというレベルなのですが……(汗)
そういうこともあって、デザインなどはまったく違いますが、また琥珀が手に入ってうれしいです。
こういう天然石を使ったアクセサリーは、「パワーストーンとしての効果」とか、そういうことを考えて選ぶより、偽物か本物かも気にせず、「自分が好きな色やデザインか」というのを重視したほうがいいと思います。
そこで、「これだけの金額を出しても惜しくない」と思えれば買う、というスタンスであれば、「偽物にこんなにお金を出した!」という思いをすることもないです。
以前行った展覧会の解説で見たのですが、昔の人々も、本物の貴石が手に入らないときは、着色した代理品を使っていたそうです。でも大切なのは、モノが本物かどうかより、自分の決意がどれだけ本物か、です。
「バルティックアンバー」だそうです。薔薇の花はインタリオ(沈み彫り)とのことですが、裏から見ると、茎は彫っているのが見えますが、葉や花の部分は上に乗っかっていると思います。琥珀の上に水晶か樹脂があり、立体感から考えると、琥珀の部分だけでこれは表現できないと思うのです。
こちらは写真を見て「琥珀の色と薔薇の花がきれい!」と一目ぼれでした。
以前、大きな琥珀を使ったペンダントを持っていたのですが、3.11で家の中がひっくり返ったときに行方不明になってしまいました。地震から何か月か経って、「あれ、そう言えば、あそこにぶら下げていたはずのペンダントがない!」と気づいたというレベルなのですが……(汗)
そういうこともあって、デザインなどはまったく違いますが、また琥珀が手に入ってうれしいです。
こういう天然石を使ったアクセサリーは、「パワーストーンとしての効果」とか、そういうことを考えて選ぶより、偽物か本物かも気にせず、「自分が好きな色やデザインか」というのを重視したほうがいいと思います。
そこで、「これだけの金額を出しても惜しくない」と思えれば買う、というスタンスであれば、「偽物にこんなにお金を出した!」という思いをすることもないです。
以前行った展覧会の解説で見たのですが、昔の人々も、本物の貴石が手に入らないときは、着色した代理品を使っていたそうです。でも大切なのは、モノが本物かどうかより、自分の決意がどれだけ本物か、です。
July 11, 2015
「これはできないなあ」と思っていたら、いつまで経ってもできない
――というのを、最近実感しました。
やっぱり、自分にとって手強いものに取り組んでみようと思ったときに、一番ネックになるのは、「スケジュールに余裕がない」という物理的な課題以前に、
『こんなことができるわけがない』と思っている自分
なのです。
最近、自分にとってちょっとハードルが高いと思われることにチャレンジしました(なんておおげさに表現することでもないのかもしれませんが……)。いつも、「しなければならないことが多いから、果たしてこういうことをする時間が取れるものか……」と思っているものでした。
でも実は、チャレンジに成功しました――と書くとご立派そうに聞こえますが、「そんなことする時間まで作れません!」と思っていたはずが、意外とそうでもなかった、ということが分かったのです。
私の読みが甘いと言うか、「そこまで時間は取れないだろう」と思っていたのですが、やりたいと思っていることなので、時間を作ろうという意識が予想以上に生まれるみたいです。たぶん、気が進まないけれどしなければ、ということだったら、できなかったと思います(笑)
あと、逆説的ですが、「そんな時間の余裕はないだろう」という余計なことを考える余裕がなかったというのも幸いしました。自分の心境を思い出すと、そんなことを考えずにとりあえず動いてみる、という感じでした。
今回は「小さな一歩」というところですが、「不可能ではない」と分かっただけでも大きな収穫です。「できないだろうなあ」と思って積極的に取り組まずにいた(やりたいこと・やることリストに入れられなかった)のですが、これからは自信をもってリストに入れられます。
こういう、余計な(ネガティブな)意識や先入観を取り除くというのは、結構大切なことなのかもしれません。それができれば、チャレンジに成功する確率が高まりそうです。
やっぱり、自分にとって手強いものに取り組んでみようと思ったときに、一番ネックになるのは、「スケジュールに余裕がない」という物理的な課題以前に、
『こんなことができるわけがない』と思っている自分
なのです。
最近、自分にとってちょっとハードルが高いと思われることにチャレンジしました(なんておおげさに表現することでもないのかもしれませんが……)。いつも、「しなければならないことが多いから、果たしてこういうことをする時間が取れるものか……」と思っているものでした。
でも実は、チャレンジに成功しました――と書くとご立派そうに聞こえますが、「そんなことする時間まで作れません!」と思っていたはずが、意外とそうでもなかった、ということが分かったのです。
私の読みが甘いと言うか、「そこまで時間は取れないだろう」と思っていたのですが、やりたいと思っていることなので、時間を作ろうという意識が予想以上に生まれるみたいです。たぶん、気が進まないけれどしなければ、ということだったら、できなかったと思います(笑)
あと、逆説的ですが、「そんな時間の余裕はないだろう」という余計なことを考える余裕がなかったというのも幸いしました。自分の心境を思い出すと、そんなことを考えずにとりあえず動いてみる、という感じでした。
今回は「小さな一歩」というところですが、「不可能ではない」と分かっただけでも大きな収穫です。「できないだろうなあ」と思って積極的に取り組まずにいた(やりたいこと・やることリストに入れられなかった)のですが、これからは自信をもってリストに入れられます。
こういう、余計な(ネガティブな)意識や先入観を取り除くというのは、結構大切なことなのかもしれません。それができれば、チャレンジに成功する確率が高まりそうです。
June 27, 2015
好きなものに囲まれて暮らしたい!
――というのが最近の思いなのですが、実際は「とりあえず買ったもの」や「しまいっぱなしの出番がないもの」に囲まれて暮らしております。
「気に入っていないし、積極的に着たいわけでもない」という服を、先日思い切っていくつか処分しました。少し前まで、そういう状態でも「明らかにボロボロ」というものでないと「処分しよう」と思ず、結果として衣装ケースの中に死蔵していました。
最近は「好きでもないものを持っていても場所をふさぐだけだから、処分する!」と思い切って判断できるようになりました(ようやく……)。永遠の17歳ですが(しつこい)、祖母も母も、ものをやたらと処分しないタイプだったので(なまじ場所があるからため込めてしまう、というのもあります)、「まだ使えるのに捨てる」ということには罪悪感があるのです。
でも、「使えるけど『これがいい!』と思えないものは手放して、持っていて満足できるものだけにしよう」という気持ちはあるので、少しずつですが実行しています。「これがいい」というものがあれば、たくさん持っていなくても満足度が高いですよね。
小さいところでは、お箸を新しくしました。もともと実家で使っている四角い箸が、ものがつかみやすくて気に入っているのですが、同じようなものを探しても見つかりません。そんなわけで思い切って、2月に京都を1人で旅したときに(ブログに書いていないのですが……)購入しました。
みやび箸
「私の好きな四角い箸は、よく分からずに使っていたけれど竹の箸かな?」ということで、こちらのお店で選びました。もうちょっと太いもので良かったのですが、ショップではたくさん種類がなかったので、予算や形が一番合うものにしました。今度はオンラインショップであれこれ見てみようかと思います。
とりあえず「自分で納得して選んだお箸」なので、たいへん満足しています。先端が細身で四角いので、つかみやすいです(柔らかいうどんが切れそうな勢いですが……)
実はそういう、「頻繁に使うものだけれど納得していない」ものがまだあります。それは、カトラリー(スプーンやフォーク、ナイフ等)です。食べることばっかりですね。それこそ、「とりあえず手近で安価に手に入るものを買ってきて使っている」なので、使うたびに「あーあ」という気分になります。
家族には、「私は、これはイヤだ! カトラリーセットを買うから!」と宣言しつつまだ買っていないのですけれど、こちらも安易に納得せず、じっくり選びたいと思います。
まあ、あれこれ買う前に「ここを長らくチェックしていないということは、使わないものしかないんだよな〜」というエリアのお掃除をすると、だいぶ「好きなものだけに囲まれている」感が増すことは分かっています。でも、そこはそれ(どれ?)ということで、ちびちび処分しつつ好きなものをせっせと手に入れる、という生活を続けようと思います。
「気に入っていないし、積極的に着たいわけでもない」という服を、先日思い切っていくつか処分しました。少し前まで、そういう状態でも「明らかにボロボロ」というものでないと「処分しよう」と思ず、結果として衣装ケースの中に死蔵していました。
最近は「好きでもないものを持っていても場所をふさぐだけだから、処分する!」と思い切って判断できるようになりました(ようやく……)。永遠の17歳ですが(しつこい)、祖母も母も、ものをやたらと処分しないタイプだったので(なまじ場所があるからため込めてしまう、というのもあります)、「まだ使えるのに捨てる」ということには罪悪感があるのです。
でも、「使えるけど『これがいい!』と思えないものは手放して、持っていて満足できるものだけにしよう」という気持ちはあるので、少しずつですが実行しています。「これがいい」というものがあれば、たくさん持っていなくても満足度が高いですよね。
小さいところでは、お箸を新しくしました。もともと実家で使っている四角い箸が、ものがつかみやすくて気に入っているのですが、同じようなものを探しても見つかりません。そんなわけで思い切って、2月に京都を1人で旅したときに(ブログに書いていないのですが……)購入しました。
みやび箸
「私の好きな四角い箸は、よく分からずに使っていたけれど竹の箸かな?」ということで、こちらのお店で選びました。もうちょっと太いもので良かったのですが、ショップではたくさん種類がなかったので、予算や形が一番合うものにしました。今度はオンラインショップであれこれ見てみようかと思います。
とりあえず「自分で納得して選んだお箸」なので、たいへん満足しています。先端が細身で四角いので、つかみやすいです(柔らかいうどんが切れそうな勢いですが……)
実はそういう、「頻繁に使うものだけれど納得していない」ものがまだあります。それは、カトラリー(スプーンやフォーク、ナイフ等)です。食べることばっかりですね。それこそ、「とりあえず手近で安価に手に入るものを買ってきて使っている」なので、使うたびに「あーあ」という気分になります。
家族には、「私は、これはイヤだ! カトラリーセットを買うから!」と宣言しつつまだ買っていないのですけれど、こちらも安易に納得せず、じっくり選びたいと思います。
まあ、あれこれ買う前に「ここを長らくチェックしていないということは、使わないものしかないんだよな〜」というエリアのお掃除をすると、だいぶ「好きなものだけに囲まれている」感が増すことは分かっています。でも、そこはそれ(どれ?)ということで、ちびちび処分しつつ好きなものをせっせと手に入れる、という生活を続けようと思います。
June 22, 2015
「勉強しないと生き残れない」って普通のことじゃないの?
食べ物を買うついでに、コンビニで雑誌の棚をついついチェックします。で、見つけたのがこちら。
表紙の特集の見出しを見て、「おや、とうとうこんな話が」と思い、ぱらぱらとめくってみました(すみません、立ち読みです)。
見出しだけの予想では、「学生は遊ぶ暇もなくたくさん勉強しなくちゃいけないとか、学歴が将来の選択肢もあれこれ決めちゃうとか、そんな感じの話かな?」と思ったのですが、ちょっと違いました。
出版社のサイトの、今号の情報が載っているページはこちらです。
なるほど、社会人になっても勉強が続くよ、という話か……というところで、「いやいや、社会人になっても勉強しなくちゃいけないというのは、フリーランスにとって当たり前なんですけど」と思いました。
よくよく見ると、
見出しだけ見ると、「えー、キャリアって会社に依存して形成できるものなの?」と思ってしまいます。きちんと内容を読みながら書いているわけではないので、あーだこーだと論じることはしませんが。
自分の価値を高めるために勉強を続けなければならないというのは、フリーランスの翻訳者として働いている人にしたら当然のことなので、「こういうことも記事になるのね」と思いました。
そういう、ある1つの仕事でのキャリア形成のための勉強でなく、ジョブチェンジ……というか、「労働市場で生き残るため、付加価値を付ける(それまでの経歴とあまり関係ない場合もあり)」ための勉強も紹介されていました。
「英語(に限らず外国語)ができる」というのは、ただ単に外国の人とコミュニケーションが取れるというだけでなく、「日本語を使用したコミュニケーションでも、多様性に配慮して柔軟に対応できる」という側面があると思うのです。
私の場合、分かりやすく言うと「母語が同じ人同士でも、話が通じないときがあるのね」と発見し、「多くの人に理解される(誤解・曲解をされにくい)表現」を意識するようになりました。そもそも翻訳の仕事でこういうことをやってきているわけですが、外国語→日本語のときだけでなく、日本語→日本語でもそういう意識が必要なのだと分かった、という感じです。
まとまりなく書いてしまいましたが、普通の会社勤めをした経験のない私には「普通の世界」だったので、「そうか、これがスタンダードになるのか」と思っています。
ついでに言うと、「従来の働き方+勉強」だけが評価されるのでなく、いろいろなバックグラウンドを持った人、やむをえない理由でキャリアを中断せざるを得なかった人が、自ら学んで身に付けた知識や技能で、労働市場で正当に評価されるようになるといいなあ、と思います。って、今回の記事からは飛躍していますけれど。
表紙の特集の見出しを見て、「おや、とうとうこんな話が」と思い、ぱらぱらとめくってみました(すみません、立ち読みです)。
見出しだけの予想では、「学生は遊ぶ暇もなくたくさん勉強しなくちゃいけないとか、学歴が将来の選択肢もあれこれ決めちゃうとか、そんな感じの話かな?」と思ったのですが、ちょっと違いました。
出版社のサイトの、今号の情報が載っているページはこちらです。
なるほど、社会人になっても勉強が続くよ、という話か……というところで、「いやいや、社会人になっても勉強しなくちゃいけないというのは、フリーランスにとって当たり前なんですけど」と思いました。
よくよく見ると、
縮小する労働市場で会社に依存せずキャリア形成するにはなんて書いてあるではないですか。
見出しだけ見ると、「えー、キャリアって会社に依存して形成できるものなの?」と思ってしまいます。きちんと内容を読みながら書いているわけではないので、あーだこーだと論じることはしませんが。
自分の価値を高めるために勉強を続けなければならないというのは、フリーランスの翻訳者として働いている人にしたら当然のことなので、「こういうことも記事になるのね」と思いました。
そういう、ある1つの仕事でのキャリア形成のための勉強でなく、ジョブチェンジ……というか、「労働市場で生き残るため、付加価値を付ける(それまでの経歴とあまり関係ない場合もあり)」ための勉強も紹介されていました。
MBA、プログラミング、英語…3大スキルの効用という見出しだけを見ての感想ですが、私が今まで「自称翻訳者」からスタートしてなんとかやってこれているのも、「英語ができるから」というのが大きいなあ、と思います。
「英語(に限らず外国語)ができる」というのは、ただ単に外国の人とコミュニケーションが取れるというだけでなく、「日本語を使用したコミュニケーションでも、多様性に配慮して柔軟に対応できる」という側面があると思うのです。
私の場合、分かりやすく言うと「母語が同じ人同士でも、話が通じないときがあるのね」と発見し、「多くの人に理解される(誤解・曲解をされにくい)表現」を意識するようになりました。そもそも翻訳の仕事でこういうことをやってきているわけですが、外国語→日本語のときだけでなく、日本語→日本語でもそういう意識が必要なのだと分かった、という感じです。
まとまりなく書いてしまいましたが、普通の会社勤めをした経験のない私には「普通の世界」だったので、「そうか、これがスタンダードになるのか」と思っています。
ついでに言うと、「従来の働き方+勉強」だけが評価されるのでなく、いろいろなバックグラウンドを持った人、やむをえない理由でキャリアを中断せざるを得なかった人が、自ら学んで身に付けた知識や技能で、労働市場で正当に評価されるようになるといいなあ、と思います。って、今回の記事からは飛躍していますけれど。
June 18, 2015
「私は今のままでも既に"one and only"の存在である」は消費者としても大切な考え方である
なんだそりゃ、というタイトルになりましたが、今朝テレビを見ていて、ふとそんなことを思いました。
何のCMだったか忘れたのですが、メッセージを要約すると
「これ(注:商品やサービス)で、あなたは変われる。世界まで変わる」
なのです。こうやってざっくり書くと、どの広告もこんなもんだな、とは思います。
それを見ていてふと、
「いやそれ、別にその商品やサービスが新しい世界を連れて来るわけじゃないから」
と思ったのです。手に入れた何かが具体的に何かをしてくれるわけではなくて、それを持ったり使ったりした人の意識が変わるから、世界が変わったように見えるだけなのです。
確かにきっかけとして分かりやすいので、例えばダイエットのためのウォーキングを頑張りたいから新しいトレーニングウェアを買いたいとか(これは私です……)、今までの自分から変わりたいからこれまで着たことない洋服を買いたいとか、そういうのはあると思います。
でも、新しいトレーニングウェアが体重を減らしてくれるとか、今まで着たことのない洋服が新しい自分を連れてきてくれるとか、そんなことはないのです。「これで私は変われる」と自分が思うから、きちんと運動をして体重が減ったり、イメージチェンジしたりできるのです。
――ああ、自分にそのまま跳ね返ってくる感が(汗)
ともあれ、きちんと「私は私、今のままで素晴らしい私」という自己肯定感は、「賢い消費者」であるためにも大切だなあ、と思います。
書いていて思い出したのですが、恐らくCMでは分かりやすさを意識してでしょうけれど、
「『今のままのダメな自分』も、これで変われる」
というスタンスだったのです。これに非常に引っかかりました。
確かに、仕事では、能力もないのに優秀な人間だと思うのは問題外です。でも、「確かに改善すべきところがあるけれど、私は今のままで既にかけがえのない存在なんだ」とか、「いろいろあるけれど、私は今の自分に満足している」と考えられたら、そういうCMを見たときに「これがあれば、今のダメダメな私は変われるかも!」なんてことにならないと思うのです。
「丸腰の自分は不完全だけれど、何かを手に入れることで変われる」というのは、中毒のきっかけみたいなものです。
大風呂敷を広げた挙句に収拾がつかなくなった感があるのですが、「自分を変えよう」というのを、「これまでの自分を脱ぎ捨てて、まったく新しい自分になる」ではなく、「今の自分に何かを追加して、もっと素晴らしい自分になる」という発想に変えられれば、他力本願のように何かにすがる、というのは減らせるかな、と思いました。
何のCMだったか忘れたのですが、メッセージを要約すると
「これ(注:商品やサービス)で、あなたは変われる。世界まで変わる」
なのです。こうやってざっくり書くと、どの広告もこんなもんだな、とは思います。
それを見ていてふと、
「いやそれ、別にその商品やサービスが新しい世界を連れて来るわけじゃないから」
と思ったのです。手に入れた何かが具体的に何かをしてくれるわけではなくて、それを持ったり使ったりした人の意識が変わるから、世界が変わったように見えるだけなのです。
確かにきっかけとして分かりやすいので、例えばダイエットのためのウォーキングを頑張りたいから新しいトレーニングウェアを買いたいとか(これは私です……)、今までの自分から変わりたいからこれまで着たことない洋服を買いたいとか、そういうのはあると思います。
でも、新しいトレーニングウェアが体重を減らしてくれるとか、今まで着たことのない洋服が新しい自分を連れてきてくれるとか、そんなことはないのです。「これで私は変われる」と自分が思うから、きちんと運動をして体重が減ったり、イメージチェンジしたりできるのです。
――ああ、自分にそのまま跳ね返ってくる感が(汗)
ともあれ、きちんと「私は私、今のままで素晴らしい私」という自己肯定感は、「賢い消費者」であるためにも大切だなあ、と思います。
書いていて思い出したのですが、恐らくCMでは分かりやすさを意識してでしょうけれど、
「『今のままのダメな自分』も、これで変われる」
というスタンスだったのです。これに非常に引っかかりました。
確かに、仕事では、能力もないのに優秀な人間だと思うのは問題外です。でも、「確かに改善すべきところがあるけれど、私は今のままで既にかけがえのない存在なんだ」とか、「いろいろあるけれど、私は今の自分に満足している」と考えられたら、そういうCMを見たときに「これがあれば、今のダメダメな私は変われるかも!」なんてことにならないと思うのです。
「丸腰の自分は不完全だけれど、何かを手に入れることで変われる」というのは、中毒のきっかけみたいなものです。
大風呂敷を広げた挙句に収拾がつかなくなった感があるのですが、「自分を変えよう」というのを、「これまでの自分を脱ぎ捨てて、まったく新しい自分になる」ではなく、「今の自分に何かを追加して、もっと素晴らしい自分になる」という発想に変えられれば、他力本願のように何かにすがる、というのは減らせるかな、と思いました。
June 17, 2015
海外の翻訳会社のコーディネーターさんはフレンドリーで上手いこと言ってくれます
先日、海外の結構大きな翻訳会社(Proz.comの有料会員だったときに登録したところ)のコーディネーターさんからメールがありました。
「こういう継続的なプロジェクトがあります。先方が優秀な人材を選びたいということで、あなたが条件に合うので連絡しました。このプロジェクトに興味があるということでしたら、トライアルを受けていただくのですが、いかがでしょう?」
――ということで、興味があったのでトライアルを受けました。その後2〜3週間ほど連絡がなかったので、「ダメだったんだなあ」と思いつつ過ごしていました。ダメだった場合に何の連絡もないというのは、よくある話なので。
でも、予想とは少し違っていて、さらに後、トライアルから1か月ちかく経過したところで、コーディネーターさんからメールが届きました。
「残念ながら、あなたは選ばれませんでした。でもいつか、あなたと一緒にプロジェクトができればと思っています」
いやー、フォローしてくれてありがとう! ……ということで、私のほうも、
「わざわざ連絡ありがとうございます。私にできることがありましたら、またご連絡ください」
と書いたところ、
「ぜひぜひ! 同僚にも、あなたのことを推薦しますから」
と、さらにお返事がありました。
「うーん、今回ダメだったのに、『この人いいよ!』ってホントに言うのかな?」という疑問がないわけではありませんが、イヤな気持ちにさせないというのは、良好な関係を築く上で大切ですね。今回の件では先方とは合わなかったけれど、他のところとは「ぜひぜひ!」になる可能性もゼロではありませんし。
恐らく日本語(ビジネスメール)だと、もっと堅い感じになってしまって、カジュアルにこういう感じでのやりとりはしにくいでしょうね。ある程度関係が築ければ、こういう話もできるかもしれませんが、しょっぱなからできるかというと……ですね。
ちなみに、英語だからと言って構える必要はありません。こちらだけでなく相手も英語のネイティブではないことも多いです。しかも、仕事の打診の時は「英文メールの書き方」的な本に出てくるようなカチッとした文章ではなく、"Hi!"で始まったりシンプルに用件だけだったり、"Thank you :)"こんな顔文字が入ってきたりするので、無理せず気楽に書けます。
――とは書いたものの、応募するときのカバーレターは、オーソドックスな文章の書き方にしておくほうが無難かな、と思います。これは、最初に頑張って、一度型を作ってしまえばいいのです。その後はちょこちょこいじって使いまわせます。
いろいろ可能性を考えている人は、思い切ってトライしてみてはどうでしょう。もちろん、相手がきちんとした会社か調べるというのは必要ですよ。
「こういう継続的なプロジェクトがあります。先方が優秀な人材を選びたいということで、あなたが条件に合うので連絡しました。このプロジェクトに興味があるということでしたら、トライアルを受けていただくのですが、いかがでしょう?」
――ということで、興味があったのでトライアルを受けました。その後2〜3週間ほど連絡がなかったので、「ダメだったんだなあ」と思いつつ過ごしていました。ダメだった場合に何の連絡もないというのは、よくある話なので。
でも、予想とは少し違っていて、さらに後、トライアルから1か月ちかく経過したところで、コーディネーターさんからメールが届きました。
「残念ながら、あなたは選ばれませんでした。でもいつか、あなたと一緒にプロジェクトができればと思っています」
いやー、フォローしてくれてありがとう! ……ということで、私のほうも、
「わざわざ連絡ありがとうございます。私にできることがありましたら、またご連絡ください」
と書いたところ、
「ぜひぜひ! 同僚にも、あなたのことを推薦しますから」
と、さらにお返事がありました。
「うーん、今回ダメだったのに、『この人いいよ!』ってホントに言うのかな?」という疑問がないわけではありませんが、イヤな気持ちにさせないというのは、良好な関係を築く上で大切ですね。今回の件では先方とは合わなかったけれど、他のところとは「ぜひぜひ!」になる可能性もゼロではありませんし。
恐らく日本語(ビジネスメール)だと、もっと堅い感じになってしまって、カジュアルにこういう感じでのやりとりはしにくいでしょうね。ある程度関係が築ければ、こういう話もできるかもしれませんが、しょっぱなからできるかというと……ですね。
ちなみに、英語だからと言って構える必要はありません。こちらだけでなく相手も英語のネイティブではないことも多いです。しかも、仕事の打診の時は「英文メールの書き方」的な本に出てくるようなカチッとした文章ではなく、"Hi!"で始まったりシンプルに用件だけだったり、"Thank you :)"こんな顔文字が入ってきたりするので、無理せず気楽に書けます。
――とは書いたものの、応募するときのカバーレターは、オーソドックスな文章の書き方にしておくほうが無難かな、と思います。これは、最初に頑張って、一度型を作ってしまえばいいのです。その後はちょこちょこいじって使いまわせます。
いろいろ可能性を考えている人は、思い切ってトライしてみてはどうでしょう。もちろん、相手がきちんとした会社か調べるというのは必要ですよ。