古楽

June 04, 2011

* 現代が過去よりglobalとは限らない

なんだか最近、こういうスタンスで記事を書いていることが多いような気がします……。最近はおそらくいい意味で吹っ切れてきたので、趣味に走った内容でも、臆せず書くようにしています。

ほぼ1週間前になりますが、先週(2011年5月29日)の『題名のない音楽会』を、ようやくしっかりと見ました。ずばり、今回のテーマは「箏の名曲はキリシタン音楽?」というものでした。

この回の放送の概略によると、次のような内容です。

箏の名曲「六段」は、実はキリスト教徒が祈りを唱える際に歌っていたグレゴリオ聖歌「クレド」をベースに作られた曲だったのでは?
こんな大胆な論文を発表した中世音楽史の権威・皆川達夫さんをお招きし、当時の日本におけるキリスト教事情から見える「東西の音の交流」に迫りました。
♪皆川達夫(音楽学者)、野坂操壽(箏)、山田五郎、中世音楽合唱団   他

そして、今回放送された楽曲の一覧はこちらです(どうも、音楽も聴けるようです)。ジョスカン・デプレの『千々の悲しみ』やグレゴリオ聖歌の《クレド》など、私の好みの音楽ばかりが演奏される、という感じでした。

そして、絵画同様音楽も日本のものには疎い私ですが、『六段』は私でも聞いたことがある作品です。音楽鑑賞で聴いたことがあるのでしょうか……。

ともあれ、《クレド》と『六段』の比較は、とても興味深いものでした。キリスト教が禁じられていた時代ということもあり、この2つの曲が「まったく同じ」ということはありません。でも、2つを同時に聞くと、違和感なくしっくりと合うのです。

『六段』は1つの作品として成立していますが、作曲した人は、心の中で《クレド》を歌いながら作業したのではないかと思いました。一緒に演奏すると、まるで『六段』が伴奏のように聞こえるのです。

また、この「段」というのがディフェレンシアス(変奏)という意味だという指摘も、とても興味深かったです。ルネサンス時代は変奏曲が流行していたので、信仰を持っていた音楽家が、当時のヨーロッパ音楽の形式を知っていた可能性はとても大きいと思います。

「当時の日本は、現代のわれわれが考えるよりもグローバルだった」山田五郎さんが、確かこういうふうにおっしゃっていました。

以前、どの本で読んだか忘れたのですが、奈良時代(天平時代)の平城京は、シルクロードの終着点として、私たちが想像する以上に外国人が多かったそうです。胡(西方)の人々も訪れていておかしくはありません。

天平時代や戦国時代の人々よりも、現代に生きる私たちは、自分たちの国土がどのような形でどこまで広がっているか知っています。そして、それ以外の国々にはどういうものがあるかも知っていて、天平時代や戦国時代であれば、数年かけて入ってきたような遠い国の情報も、インターネットなどのおかげで瞬時に知ることもできます。

でも、私がここに書くまでもなく、以前から言われていることですが、私たちの意識は、当時よりも「内向き(ローカル)」になっていると思います。「自分たちが把握している世界」の外にある世界を知ったがゆえに、「外向き(グローバル)」に動けなくなっているのかもしれません。

「自分たちが把握している世界」の外に広がる世界を知らないほうが、逆に「外向き(グローバル)」に動けるのだとしたら、現代の労せず情報が手に入る世の中は、皮肉なものだと思います。

――と、『題名のない音楽会』から紆余曲折を経てこのような結論に達しました。「番組の感想」からはかなり外れてしまうのですが、普段から頭の中でこういう流れで考えています。そこで、これもそのまま書くことにしました。

uriel_archangel at 23:22 | 日々の記録 
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January 16, 2011

* 『schola(スコラ)坂本龍一 音楽の学校』ようやく視聴中

1月3日にNHK教育で再放送されていた、『schola(スコラ)坂本龍一 音楽の学校』を、少しずつ見ています。最初の4回を、ようやく見終えました。やっと“バッハ編”が終わったところです。

クラシック音楽ファン……というか、古楽マニアが対象ではなく、さまざまなジャンルの音楽を志す中高生が対象というところが、とても興味深かったです。私は、「ロックが好きだから、バッハ(クラシック音楽)なんて関係ない」ということはなく、どういうジャンルのものでも、学べるものがあると思います。

かつての仕事で得た知識ですが、チャーリー・パーカーも、クラシック音楽の楽譜を見て、フレーズなどを研究していたそうです。

そういうわけで、生徒たちが、講義からさまざまなことを吸収している姿が印象的でした。

ところで、「バッハとジャズは似ている」と言われますが、それは当然だなあ、と思います。

バッハに限らず、ルネサンスからバロックにかけては、8小節や16小節(4小節ということもあります)単位の低音のフレーズ(通奏低音・ground bass)に合わせて、主題と変奏を演奏する形式の作品が、多く見られるのです。この演奏方法は、ジャズ(ビバップなど)と同じだと思います。

それこそ、ジャズに関する本を訳したときに面白いなあ、と思ったのが、どんなにメロディーが低音と違うように聞こえる演奏をしても、低音がそれに引きずられてはダメだ、ということです。メロディーが最終的には低音に合わせて戻ってくる仕組みなので、低音はそれまでと同じテンポでの演奏を維持しなければならないのです。

ルネサンス時代のこの種の曲はたくさんありますが、一番お気に入りの曲をご紹介します。"Paul's Steeple, Division on a Ground"です。YouTubeで演奏が探せる、便利な時代になりました。昔は、CDで探すか自分で弾くか、しかありませんでしたから(汗)



学生時代に演奏したことがあるので楽譜を持っていますが、リコーダーのメロディー以外は、通奏低音(ベース音と、和音の構成を示す数字)しか掲載されていません。だから伴奏は、演奏者の技術とセンスに任せられます。

もしかしたら、こういう「これという正解がない」音楽をやっていたので、私は状況の変化にもタフなのかなあ、などと思ってしまいました(苦笑)

uriel_archangel at 16:06 | 学び 
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