大阪
April 11, 2017
真田丸発掘調査報告講演会(2017年3月12日)
ほぼ1か月前の話で、非常に記憶が怪しくなってきたのですが、「書かないよりはマシ」ということで書きます。
この報告会に行くためにわざわざ大阪に行ったのではなく、大阪旅行の期間中にちょうど開催されるということで、喜び勇んで行きました。会場で司会の方が、「東京、横浜、石川など、遠方からもいらっしゃって……」とおっしゃっていましたが、本当にタイミングが良くて行っただけです……。私たち家族のほかにも、東京からいらした人はいたかもしれませんが。
会場は、まさに「ここが真田丸の本体」と推定される大阪明星学園のホール(講堂)でした。日曜日でしたが部活動などで生徒たちが登校していました。学生服(学ラン)の金ボタンが6つか7つくらいあるのが印象的でした。
講演会は、以下の内容で行われました。
資料を調べて現地調査をしていくうちに、浅野文庫諸国古城之図にある「摂津 真田丸」の図が、従来は参考にならないと言われていましたが、現在の地形や寺の配置につながるところがあり、こちらが正しいのではないか、という結論に至ったそうです。これに千田先生が賛同し、従来の説とは異なる真田丸の姿を提案しました。
最初に番組で描いたCGは不完全なもので、より考証を重ねた結果が「真田丸」での姿になるようですが、実は真田丸は寺町の中に寺を利用して作られており、実際は市街戦だったのではないか、とのことです。「真田丸」ではロケの都合上市街を再現できないため、市街戦にはなりませんでした。
第2部は、真田丸発掘調査で、現地で責任者として指揮を取った(確か……)、大阪府教育庁の人でした。そんなわけで、資料もお話も、非常に真面目な内容でした。ここは、私が発表内容をきちんと理解していないので、申し訳ありませんがここで説明することができません。発掘で出土したもののほか、どのような地層になっていたかの説明がありました。
森屋氏としては、真田丸の手がかりとなるものが出てくればとは思ったものの、残念ながら決定的な決め手となるものはなかった、という感じでした(これはその後の鼎談での話です)。研究者として当然の姿勢だとは思いますが、そういう私情を排して事実のみを報告するのは、非常に誠実だと思いました。
第3部は、真田丸復元についての講演でした。説明に使われた図版は、当然ですが第1部とも重なるところがあります。いくつか伝わる真田丸を描いた絵図から、真田丸は大阪城惣構えとはつながっておらず、馬出しとして用いることは不可能だった、と結論付けられています。また、周辺は市街地化していたことも分かるそうです。
ここで興味深く感じたのは、終戦後に米軍が撮影した航空写真は、(空襲で)建物がほとんどないため、本来の地形を探る手がかりになるということです。また、浅野文庫諸国古城之図にある「摂津 真田丸」だけでなく、松江歴史館の極秘諸国城図にある「大坂 真田丸」は(後者は昨年発見された、ということでニュースになりました)、私が当初想像していたよりも正確に、真田丸の姿を書き写している、ということです。
これらの絵図で描かれている姿は、現在の町の姿にも残されており、結論だけを聞くと「どうして真田丸の場所は、今までここだと言われてこなかったのだろう」とさえ思います。それは私が美味しいところだけ食べている状態だからで、ここで導き出される結論は、科学的な現地調査や、各地に分散する文書の横断的な調査などが可能になった現代だからこそ得られるものなのでしょう。
鼎談も非常に興味深い内容でした。きちんと記録していないので、詳しく紹介はできませんが。千田先生への、「先生だったら真田丸をどう攻めるか」という質問に対するお答えは、大変面白いものでした。
とても充実した内容の講演会で、行ってよかった、としみじみ思いました。
この報告会に行くためにわざわざ大阪に行ったのではなく、大阪旅行の期間中にちょうど開催されるということで、喜び勇んで行きました。会場で司会の方が、「東京、横浜、石川など、遠方からもいらっしゃって……」とおっしゃっていましたが、本当にタイミングが良くて行っただけです……。私たち家族のほかにも、東京からいらした人はいたかもしれませんが。
会場は、まさに「ここが真田丸の本体」と推定される大阪明星学園のホール(講堂)でした。日曜日でしたが部活動などで生徒たちが登校していました。学生服(学ラン)の金ボタンが6つか7つくらいあるのが印象的でした。
講演会は、以下の内容で行われました。
- 第1部:映像で探る真田丸発掘ストーリー(NHK大阪放送局 制作部チーフ・ディレクター 伊藤敏司氏)
- 第2部:史上初の学術調査に臨んで(大阪府教育庁 文化財保護課 参事 森屋直樹氏)
- 第3部:真田丸の復元(奈良大学 文学部 教授 千田嘉博氏)
- 講演者三者による鼎談
資料を調べて現地調査をしていくうちに、浅野文庫諸国古城之図にある「摂津 真田丸」の図が、従来は参考にならないと言われていましたが、現在の地形や寺の配置につながるところがあり、こちらが正しいのではないか、という結論に至ったそうです。これに千田先生が賛同し、従来の説とは異なる真田丸の姿を提案しました。
最初に番組で描いたCGは不完全なもので、より考証を重ねた結果が「真田丸」での姿になるようですが、実は真田丸は寺町の中に寺を利用して作られており、実際は市街戦だったのではないか、とのことです。「真田丸」ではロケの都合上市街を再現できないため、市街戦にはなりませんでした。
第2部は、真田丸発掘調査で、現地で責任者として指揮を取った(確か……)、大阪府教育庁の人でした。そんなわけで、資料もお話も、非常に真面目な内容でした。ここは、私が発表内容をきちんと理解していないので、申し訳ありませんがここで説明することができません。発掘で出土したもののほか、どのような地層になっていたかの説明がありました。
森屋氏としては、真田丸の手がかりとなるものが出てくればとは思ったものの、残念ながら決定的な決め手となるものはなかった、という感じでした(これはその後の鼎談での話です)。研究者として当然の姿勢だとは思いますが、そういう私情を排して事実のみを報告するのは、非常に誠実だと思いました。
第3部は、真田丸復元についての講演でした。説明に使われた図版は、当然ですが第1部とも重なるところがあります。いくつか伝わる真田丸を描いた絵図から、真田丸は大阪城惣構えとはつながっておらず、馬出しとして用いることは不可能だった、と結論付けられています。また、周辺は市街地化していたことも分かるそうです。
ここで興味深く感じたのは、終戦後に米軍が撮影した航空写真は、(空襲で)建物がほとんどないため、本来の地形を探る手がかりになるということです。また、浅野文庫諸国古城之図にある「摂津 真田丸」だけでなく、松江歴史館の極秘諸国城図にある「大坂 真田丸」は(後者は昨年発見された、ということでニュースになりました)、私が当初想像していたよりも正確に、真田丸の姿を書き写している、ということです。
これらの絵図で描かれている姿は、現在の町の姿にも残されており、結論だけを聞くと「どうして真田丸の場所は、今までここだと言われてこなかったのだろう」とさえ思います。それは私が美味しいところだけ食べている状態だからで、ここで導き出される結論は、科学的な現地調査や、各地に分散する文書の横断的な調査などが可能になった現代だからこそ得られるものなのでしょう。
鼎談も非常に興味深い内容でした。きちんと記録していないので、詳しく紹介はできませんが。千田先生への、「先生だったら真田丸をどう攻めるか」という質問に対するお答えは、大変面白いものでした。
とても充実した内容の講演会で、行ってよかった、としみじみ思いました。
March 24, 2014
大阪で「 #ごちそうさん 」セット公開に行きました・後編
昨日の続きです。考えてみると、戦争による空襲で焼失してしまった、今となってはもう見られない光景です。
右端に階段が見えますね。こうやって見ると、結構狭い場所で動き回って撮影しているのだなあ、と思います。
ここでの食事場面は、何度も何度も見ましたね。昔の家というのはこういうものですが、階段が小さくて急で、なんだか頼りない感じです。
悠太郎とめ以子の部屋です。他人のことを言えた義理はありませんが、あの大柄な夫婦でこのサイズのお部屋って、窮屈ですよね〜。昔は今と違ってそんなにたくさんモノを所有していなかったでしょうから、この広さでも大丈夫だったのでしょう。
懐かしい、西門家の玄関です。ちょうどこの左にモニターがあって、ドラマの一場面が見られます。私が目にしたときは、ちょうどかっちゃんの出征シーンでした(涙)
立派な仏壇も、焼けてしまったのでしょうね。ご位牌とか、どうなったのかな……? 戦争が起きて空襲があって、というのは現在ではなかなか想像できないですが、災害でそういう状況になってしまうのは十分考えられますから、対策を考える必要がありますよね。
これも何度も見ていた、台所の窓の外からのアングルです。彼女の人生のメインステージだったのだなあ、と思います。
うま介はテーブルと椅子、焼き氷の模型(って言うのかな?)があって、記念撮影ができるようになっていました。かなりの人気で、「常に誰かいる」という状態でした。そんなわけで、ここは撮影しませんでした。
ドラマを見ていたわけではないのに、付き合ってくれた家族に感謝です。
右端に階段が見えますね。こうやって見ると、結構狭い場所で動き回って撮影しているのだなあ、と思います。
ここでの食事場面は、何度も何度も見ましたね。昔の家というのはこういうものですが、階段が小さくて急で、なんだか頼りない感じです。
悠太郎とめ以子の部屋です。他人のことを言えた義理はありませんが、あの大柄な夫婦でこのサイズのお部屋って、窮屈ですよね〜。昔は今と違ってそんなにたくさんモノを所有していなかったでしょうから、この広さでも大丈夫だったのでしょう。
懐かしい、西門家の玄関です。ちょうどこの左にモニターがあって、ドラマの一場面が見られます。私が目にしたときは、ちょうどかっちゃんの出征シーンでした(涙)
立派な仏壇も、焼けてしまったのでしょうね。ご位牌とか、どうなったのかな……? 戦争が起きて空襲があって、というのは現在ではなかなか想像できないですが、災害でそういう状況になってしまうのは十分考えられますから、対策を考える必要がありますよね。
これも何度も見ていた、台所の窓の外からのアングルです。彼女の人生のメインステージだったのだなあ、と思います。
うま介はテーブルと椅子、焼き氷の模型(って言うのかな?)があって、記念撮影ができるようになっていました。かなりの人気で、「常に誰かいる」という状態でした。そんなわけで、ここは撮影しませんでした。
ドラマを見ていたわけではないのに、付き合ってくれた家族に感謝です。
March 23, 2014
大阪で「ごちそうさん」セット公開に行きました・前編
ぼんやりしていたら、もう1週間も前の話になってしまいました。この日のメインは国立民族学博物館(みんぱく)だったのですが、「せっかくだから行きたい!」と駄々をこねて、スケジュールに入れてもらいました。しかもホテルをチェックアウトした後になるので、荷物をどうするかが問題になります。息子からは「どこかでご朱印をもらいたい」という希望も出ています。それをこなしつつ、NHK大阪→みんぱく→伊丹空港と効率よく動くためにはどうするか……というのは、夫が考えました。
すると、
実は天六の駅では、3月29日まで「ごちそうさんと大阪市営地下鉄」パネル展が行われているのです。「地下鉄走行シーン撮影の舞台裏や思い出のシーン、また、開業当時の貴重な写真をご覧いただきます。」とのことです。情報はこちらに出ています。
――というわけで、まったく予想外ですが、パネル展も見られました。『ごちそうさん』の舞台にもなっているので、天六の駅にはポスターが何枚も貼られていました。
開業当時だけでなく、工事中の写真もありました。地下鉄走行シーンの舞台裏も見られて、面白かったです。面白かったのは私だけ、かもしれませんけれど。
そして、天神橋筋商店街をてくてく歩きました。大阪に住んでいた当時通っていた英会話があった町なので、天満の駅からあちこち見て歩くのが好きでした。とにかく、食べるものも着るものも安い! のです。私は、「大阪市内に住むならここが一番!」と思っています。
商店街なのでお店を見ているだけでも退屈しません。疲れたということもなく、無事大阪天満宮にたどり着きました。
こちらはこちらで、「ちりとてちん」を思い出します。参拝し、無事ご朱印もいただきました。「天満天神繁盛亭」は、天満宮のすぐ近くにありました。そして、地下鉄に乗ってNHK大阪に移動しました。
アトリウムへの入口は、こんな感じです。
写真だと小さくなってしまうのですが、遠くに大阪城が見えます。
セットの入口で、かわいい彼らがお出迎えです。セット公開の一部では、め以子の衣装がいくつか展示されていました。それを見た私の感想は、
「確かに背は高いけれど、細い!」
です。はい、これ以上遠ざからないように、ダイエット頑張ります……(近づけるように、と言いたいですよ、私も……)。
離れた場所から見ると、公開されていたセットはこんな感じでした。
――で、全部写真をいっぺんに掲載すると、重いし長くなるしネタが切れるし、なので、続きはまた明日です。
すると、
- 東梅田から地下鉄に乗って天神橋筋六丁目駅に行き、コインロッカーに荷物を入れる。
- 大阪天満宮まで歩いてご朱印をもらう。
- 地下鉄でNHK大阪に行く。
- 地下鉄でまた天六(天神橋筋六丁目)に戻って昼食を取り、荷物を回収する。
- 阪急とモノレールを乗り継いで万博記念公園駅(みんぱくの最寄駅)に行く。
実は天六の駅では、3月29日まで「ごちそうさんと大阪市営地下鉄」パネル展が行われているのです。「地下鉄走行シーン撮影の舞台裏や思い出のシーン、また、開業当時の貴重な写真をご覧いただきます。」とのことです。情報はこちらに出ています。
――というわけで、まったく予想外ですが、パネル展も見られました。『ごちそうさん』の舞台にもなっているので、天六の駅にはポスターが何枚も貼られていました。
開業当時だけでなく、工事中の写真もありました。地下鉄走行シーンの舞台裏も見られて、面白かったです。面白かったのは私だけ、かもしれませんけれど。
そして、天神橋筋商店街をてくてく歩きました。大阪に住んでいた当時通っていた英会話があった町なので、天満の駅からあちこち見て歩くのが好きでした。とにかく、食べるものも着るものも安い! のです。私は、「大阪市内に住むならここが一番!」と思っています。
商店街なのでお店を見ているだけでも退屈しません。疲れたということもなく、無事大阪天満宮にたどり着きました。
こちらはこちらで、「ちりとてちん」を思い出します。参拝し、無事ご朱印もいただきました。「天満天神繁盛亭」は、天満宮のすぐ近くにありました。そして、地下鉄に乗ってNHK大阪に移動しました。
アトリウムへの入口は、こんな感じです。
写真だと小さくなってしまうのですが、遠くに大阪城が見えます。
セットの入口で、かわいい彼らがお出迎えです。セット公開の一部では、め以子の衣装がいくつか展示されていました。それを見た私の感想は、
「確かに背は高いけれど、細い!」
です。はい、これ以上遠ざからないように、ダイエット頑張ります……(近づけるように、と言いたいですよ、私も……)。
離れた場所から見ると、公開されていたセットはこんな感じでした。
――で、全部写真をいっぺんに掲載すると、重いし長くなるしネタが切れるし、なので、続きはまた明日です。
March 17, 2014
うちの子、太陽の塔に圧倒される
あ、もう帰宅してますよ。今日は、天神橋筋商店街をてくてく歩き、大阪天満宮にお参りし、BK(NHK大阪放送局)で「ごちそうさん」のセットを見学し、最後に万博記念公園の国立民族学博物館(みんぱく)に行きました。
最初に、「去年、科学博物館でやってた『グレートジャーニー』みたいな感じだよ」と説明したら、どういう感じのものかが分かったようです。息子はみんぱくをとても気に入って、「また来たいなあ」と言っていました。私も、前々から連れて行きたいと思っていた念願がかなって、嬉しかったです。
念願がかなったとは言え、駆け足での見学になってしまったし、中国・朝鮮半島の展示は内容変更のためお休みしていました。これは21日からの再開だそうです。そういう状態なので、確かに「また来よう」と思いました。
それと、息子にとってみんぱくと同じくらい印象的だったのが、太陽の塔でした。ものすごく大きくて、異様な雰囲気に見えたようです。確かに、すっきりした幾何学的なデザインではなくて、原始的な感じです。モノレールの駅を出てからずっと、太陽の塔を気にしながら歩いていました。
みんぱくからの帰り道は、本人のリクエストで太陽の塔のすぐ近くを通りました。その手前で撮影したのが、これです。
「後ろがどうなっているか、見たい」と言っていたのです。後ろにも太陽が描かれています。
万博記念公園から伊丹空港まではモノレールで乗り換えなしなので、快適でした。
とはいえ、昨日も今日もあちこち歩き回ったので、とても疲れました……。旅行中も少しはしていたのですが、今日はもっとしっかりストレッチをしようと思います。
最初に、「去年、科学博物館でやってた『グレートジャーニー』みたいな感じだよ」と説明したら、どういう感じのものかが分かったようです。息子はみんぱくをとても気に入って、「また来たいなあ」と言っていました。私も、前々から連れて行きたいと思っていた念願がかなって、嬉しかったです。
念願がかなったとは言え、駆け足での見学になってしまったし、中国・朝鮮半島の展示は内容変更のためお休みしていました。これは21日からの再開だそうです。そういう状態なので、確かに「また来よう」と思いました。
それと、息子にとってみんぱくと同じくらい印象的だったのが、太陽の塔でした。ものすごく大きくて、異様な雰囲気に見えたようです。確かに、すっきりした幾何学的なデザインではなくて、原始的な感じです。モノレールの駅を出てからずっと、太陽の塔を気にしながら歩いていました。
みんぱくからの帰り道は、本人のリクエストで太陽の塔のすぐ近くを通りました。その手前で撮影したのが、これです。
「後ろがどうなっているか、見たい」と言っていたのです。後ろにも太陽が描かれています。
万博記念公園から伊丹空港まではモノレールで乗り換えなしなので、快適でした。
とはいえ、昨日も今日もあちこち歩き回ったので、とても疲れました……。旅行中も少しはしていたのですが、今日はもっとしっかりストレッチをしようと思います。
November 18, 2013
これから #ごちそうさん で悠太郎さんが都市計画で活躍する! はず
実はこう見えて、なぜか卒論で「都市計画」を取り上げた私。きっかけを語ると長いので省きますが、いちおう「ドイツと日本の比較」ということにしましたが(ドイツ語学科なので……)、読むのは日本語の文献ばかりでした。
しかも最後は、「そもそも都市計画の違いをもたらすのは考え方の違いなんだ!」という結論になった覚えがあります。こういう結論に行ってもOKだったのは、卒論が必修ではなかったことと、ドイツ語学科だから都市計画にのみ向かっていなくても大丈夫だった、ということがあるかなあ、と思います。論文を提出しただけで、口頭試問もありませんでした。
ともあれ、私は東京の都市計画(震災復興および戦後復興計画)を調べていました。まあだいたいのところ、「理想的な都市の姿を描き、実現に向けて努力するのですが、頓挫する」――頓挫というとオーバーですが、あちこちから横やりが入って、骨抜きの、理想とは離れた形で実現することになっています。
そうやって調べていくと、東京市長の後藤新平が中心となって意欲的な震災復興計画を立案し、実現に努力していた一方で、大阪でも関一という市長が、東京よりもはるかに優れた形で都市の姿を作っていたことを知ります。実は名古屋でも(細かい時代は忘れましたが)大規模な都市改造が行われています。大阪と名古屋は、そのときの遺産が現代でも活用できる状態です。
確かに東京は、江戸時代の姿が残っているという意味で興味深い街並みではありますが、「首都がこういう姿でいいのか」というのは議論が残るところです。そうそう、卒論でも書いたのですが、結局「どういう町を作りたいか」というグランドデザインのないままに発展を続けているところが東京の不幸なのだろうと思います。あれこれごちゃ混ぜになっているのは、面白いところではありますけれど。
――で、話が脱線してしまいましたが、「ごちそうさん」です。東京編で、悠太郎の生い立ちと、耐火構造としてのコンクリート建築が出てきたので、「もしかして彼は、東京の震災復興で活躍するのだろうか」と思っていました。でも、彼は大阪を災害に強い町にするという夢を実現するべく、大阪市の職員となります。
そこから「朝からあのイケズを見るのはちょっと……」ということで(汗)、あらすじだけ追いかけております。はい。「この状況を主人公は克服する」とは分かっているのですが、ダメなのです。でも、そろそろ見ても大丈夫かなあ、ということで、徐々に復活しています。
またまた脱線しましたが、ここにきてようやく、「そういえば、大阪の関一市長っていつごろの人だっけ?」と思い出し、調べてみました。最初に見たのはWikipediaの記事です。表記も正確には關一となるのですね。ともあれ、彼が市長になるのは1923年、関東大震災の後ということが分かりました。ここから、御堂筋の整備や地下鉄御堂筋線の開通など、現在の大阪の原型を作る政策が始まります。
これだ! 悠太郎は、これに参加するんだ!
彼が本領を発揮する姿を見るのが楽しみになります。その前に、関東大震災という大きな災害が起こるのですが……。
大阪市長關一の功績は、ここでも紹介されています。
しかも最後は、「そもそも都市計画の違いをもたらすのは考え方の違いなんだ!」という結論になった覚えがあります。こういう結論に行ってもOKだったのは、卒論が必修ではなかったことと、ドイツ語学科だから都市計画にのみ向かっていなくても大丈夫だった、ということがあるかなあ、と思います。論文を提出しただけで、口頭試問もありませんでした。
ともあれ、私は東京の都市計画(震災復興および戦後復興計画)を調べていました。まあだいたいのところ、「理想的な都市の姿を描き、実現に向けて努力するのですが、頓挫する」――頓挫というとオーバーですが、あちこちから横やりが入って、骨抜きの、理想とは離れた形で実現することになっています。
そうやって調べていくと、東京市長の後藤新平が中心となって意欲的な震災復興計画を立案し、実現に努力していた一方で、大阪でも関一という市長が、東京よりもはるかに優れた形で都市の姿を作っていたことを知ります。実は名古屋でも(細かい時代は忘れましたが)大規模な都市改造が行われています。大阪と名古屋は、そのときの遺産が現代でも活用できる状態です。
確かに東京は、江戸時代の姿が残っているという意味で興味深い街並みではありますが、「首都がこういう姿でいいのか」というのは議論が残るところです。そうそう、卒論でも書いたのですが、結局「どういう町を作りたいか」というグランドデザインのないままに発展を続けているところが東京の不幸なのだろうと思います。あれこれごちゃ混ぜになっているのは、面白いところではありますけれど。
――で、話が脱線してしまいましたが、「ごちそうさん」です。東京編で、悠太郎の生い立ちと、耐火構造としてのコンクリート建築が出てきたので、「もしかして彼は、東京の震災復興で活躍するのだろうか」と思っていました。でも、彼は大阪を災害に強い町にするという夢を実現するべく、大阪市の職員となります。
そこから「朝からあのイケズを見るのはちょっと……」ということで(汗)、あらすじだけ追いかけております。はい。「この状況を主人公は克服する」とは分かっているのですが、ダメなのです。でも、そろそろ見ても大丈夫かなあ、ということで、徐々に復活しています。
またまた脱線しましたが、ここにきてようやく、「そういえば、大阪の関一市長っていつごろの人だっけ?」と思い出し、調べてみました。最初に見たのはWikipediaの記事です。表記も正確には關一となるのですね。ともあれ、彼が市長になるのは1923年、関東大震災の後ということが分かりました。ここから、御堂筋の整備や地下鉄御堂筋線の開通など、現在の大阪の原型を作る政策が始まります。
これだ! 悠太郎は、これに参加するんだ!
彼が本領を発揮する姿を見るのが楽しみになります。その前に、関東大震災という大きな災害が起こるのですが……。
大阪市長關一の功績は、ここでも紹介されています。
April 27, 2013
グランフロント大阪、気になります
大阪で宿泊、というときは、JR大阪駅(というか梅田というか)の近くを選んでいるので、あの付近に大型商業施設ができるというのは、「食事をする場所の候補が増えるかも」という感じで、とてもうれしいです。
私が大阪に住んでいたのは、ハービスOSAKAができてディアモールができて、という時期でした。まだ20世紀だったのです。当時に比べると、阪急のほうもあれこれ変わっています。そういえばJR大阪駅も、「大阪ステーションシティ」ができたのでしたっけ。
変化が激しすぎて、住んでいた期間もさほど長くないこともあり、ついていけません〜、状態です。もともと方向音痴なのですが、ますます「ここはどこ、私は誰」になってしまいます……。
ヨドバシカメラができたときも、「人の流れが変わったなあ」と思ったのですが、またさらに変わるのでしょうか。
サイトでレストランの一覧を見たのですが、いろいろなお店があって、「これ!」というのはすぐには分かりません。東京で行けるお店ではなく、大阪にしかないお店というのがいいかなあ、とは思っています。
今すぐは大阪に行くという予定はないのですが、行くとなったらあれこれチェックですね。
私が大阪に住んでいたのは、ハービスOSAKAができてディアモールができて、という時期でした。まだ20世紀だったのです。当時に比べると、阪急のほうもあれこれ変わっています。そういえばJR大阪駅も、「大阪ステーションシティ」ができたのでしたっけ。
変化が激しすぎて、住んでいた期間もさほど長くないこともあり、ついていけません〜、状態です。もともと方向音痴なのですが、ますます「ここはどこ、私は誰」になってしまいます……。
ヨドバシカメラができたときも、「人の流れが変わったなあ」と思ったのですが、またさらに変わるのでしょうか。
サイトでレストランの一覧を見たのですが、いろいろなお店があって、「これ!」というのはすぐには分かりません。東京で行けるお店ではなく、大阪にしかないお店というのがいいかなあ、とは思っています。
今すぐは大阪に行くという予定はないのですが、行くとなったらあれこれチェックですね。
April 13, 2012
2012年関西旅行記その2・奈良へ編
もう1週間以上前の話です。携帯で撮影した写真を見ていたら、奈良編はいったい「その○」でいくつまでいくんだ? 状態です。一気に書くと長いので分割しようというみみっちい性格も原因ですが……。
ともあれ、初日の夜に、家族があることに気付きました。
――下着の替えを忘れた!(汗)
今考えると、コンビニで使い捨て下着のようなものが買えたかもしれませんが、このときは「UNIQLOで買おう」という結論に達しました。まあ、さすがに奈良の行く先にはあるでしょう、ということです。梅田でも買えるかもしれませんが、お店が開くのを待っていたら、奈良に移動するのが遅れてしまいます。
でも、調べたところ、移動する範囲でUNIQLOがあるのは、大和西大寺駅でした。近鉄奈良駅付近にはなかったのです……。途中で降りて買いに行くか、夫が1人で行くか、と考えていましたが、私がそこである提案をしました。
平城宮跡(大和西大寺駅が最寄駅)に行くのを最終日に予定していたのですが、帰りがけに荷物を持って移動して立ち寄るのも大変なので、近鉄奈良駅に向かう途中に寄ってしまうのはどうだろう、というものです。平城宮跡を見学してUNIQLOで買い物もできます。最終日には、ぎりぎりまでホテルで荷物を預かってもらえます。
――ということで、近鉄奈良駅に向かう途中の大和西大寺駅に、家族で降りることにしました。
そして、この旅では毎年楽しみにしている、ホテルの朝ごはんです。時間をかけて、たっぷり食べました。
これは、サラダやハムなどの、コールドミート(っていうのかな?)です。いろいろな種類があって、「あれもこれも」と選んでしまいます。
こちらは温かい料理です。グラタンとハッシュドポテトを選んでいる時点で、何か間違っていますよね……。でも、美味しいので、何も考えずにお皿に載せてしまうのです。真ん中にあるのはポーチドエッグです。ソースは何だったかな……デミグラスソースかな? ポーチドエッグのお皿の向こうにある、白身魚の南蛮漬けが美味でした。
パンに行こうかどうしようか悩んで、シリアルを選びました。いろいろな種類をブレンドするのが趣味です(笑)
フルーツも欠かせません。シロップ漬けのプルーンや洋ナシ、桃にヨーグルトをかけたものが、私の定番です。フレッシュフルーツは、ほとんど初挑戦でした。
もういい歳なのでこれで終わりにしましたが、たぶん学生時代だったら、これにパンも食べられたはず!(今の時点ですでに食べすぎです)
まあ、「ダイエットはどうした」の勢いで食べましたが、これはこの後の観光のガソリンとして機能するのでした(と思っています)。
朝食を終えて部屋に戻り、荷物を片付けて出かける準備をして、ホテルをチェックアウトします。平日の通勤ラッシュの時間帯だなあと思っていましたが、御堂筋線は意外と空いていました。難波から近鉄に乗り、いちろ西大寺へ!
――で、次回に続きます。
ともあれ、初日の夜に、家族があることに気付きました。
――下着の替えを忘れた!(汗)
今考えると、コンビニで使い捨て下着のようなものが買えたかもしれませんが、このときは「UNIQLOで買おう」という結論に達しました。まあ、さすがに奈良の行く先にはあるでしょう、ということです。梅田でも買えるかもしれませんが、お店が開くのを待っていたら、奈良に移動するのが遅れてしまいます。
でも、調べたところ、移動する範囲でUNIQLOがあるのは、大和西大寺駅でした。近鉄奈良駅付近にはなかったのです……。途中で降りて買いに行くか、夫が1人で行くか、と考えていましたが、私がそこである提案をしました。
平城宮跡(大和西大寺駅が最寄駅)に行くのを最終日に予定していたのですが、帰りがけに荷物を持って移動して立ち寄るのも大変なので、近鉄奈良駅に向かう途中に寄ってしまうのはどうだろう、というものです。平城宮跡を見学してUNIQLOで買い物もできます。最終日には、ぎりぎりまでホテルで荷物を預かってもらえます。
――ということで、近鉄奈良駅に向かう途中の大和西大寺駅に、家族で降りることにしました。
そして、この旅では毎年楽しみにしている、ホテルの朝ごはんです。時間をかけて、たっぷり食べました。
これは、サラダやハムなどの、コールドミート(っていうのかな?)です。いろいろな種類があって、「あれもこれも」と選んでしまいます。
こちらは温かい料理です。グラタンとハッシュドポテトを選んでいる時点で、何か間違っていますよね……。でも、美味しいので、何も考えずにお皿に載せてしまうのです。真ん中にあるのはポーチドエッグです。ソースは何だったかな……デミグラスソースかな? ポーチドエッグのお皿の向こうにある、白身魚の南蛮漬けが美味でした。
パンに行こうかどうしようか悩んで、シリアルを選びました。いろいろな種類をブレンドするのが趣味です(笑)
フルーツも欠かせません。シロップ漬けのプルーンや洋ナシ、桃にヨーグルトをかけたものが、私の定番です。フレッシュフルーツは、ほとんど初挑戦でした。
もういい歳なのでこれで終わりにしましたが、たぶん学生時代だったら、これにパンも食べられたはず!(今の時点ですでに食べすぎです)
まあ、「ダイエットはどうした」の勢いで食べましたが、これはこの後の観光のガソリンとして機能するのでした(と思っています)。
朝食を終えて部屋に戻り、荷物を片付けて出かける準備をして、ホテルをチェックアウトします。平日の通勤ラッシュの時間帯だなあと思っていましたが、御堂筋線は意外と空いていました。難波から近鉄に乗り、いちろ西大寺へ!
――で、次回に続きます。
April 04, 2012
2012年関西旅行記その1・大阪編
羽田空港から、関西空港に上陸しました。羽田空港では、出発ロビーで毛布を使っている人を見ました。昨日の爆弾低気圧の影響を受けて欠航になった飛行機に乗る予定だった人かなあ、と思います。
やはり昨日の荒天の影響か、羽田空港は混雑していました。私たちが乗った飛行機はおかげで30分ほど遅れて関西空港に到着しました。ホテルのビュッフェでのんびり朝食の予定が、時間がないので簡単に済ませることに。
せっかくなので、関西にいるときは機会があったらミックスジュースを飲みます。出来合いのものではなく、お店で作っている雰囲気でした。
朝食後、南海電車に乗って移動します。人生初の堺上陸(笑)です。大きい都市で、歴史があるんだなあ、という雰囲気でした。息子は、シャトルバスのイラストが気に入っていました。どういうイラスト? という方は、「堺市 シャトルバス」で画像検索してみてください。南蛮人の世界です。
目的地は、息子の(なぜか)お気に入りの戦国武将、小西行長のゆかりの地です。
ザビエル公園は、そういう記念碑などがなければ普通の公園でした。ということで、次の目的地に移動です。
菅原神社には、行長が朝鮮から持ち帰ったという松(の幹)がありました。
さらに進むと、小西行長の屋敷跡がありました。ネットで調べたときにアップされていた写真に比べると、かなり整備されています。戦国武将ブームに乗っているのかもしれません。
屋敷跡の碑は、上と下の色の差が、これまでの待遇を物語っているように感じます(笑)
この碑の近くには、一部で有名な(?)スーパー玉出があります。
さらに、堺に行くのが初めてということで、当然これも初体験です。
阪堺電車です。要は路面電車。東京の人は、都電の雰囲気を想像していれば間違いありません。ただし、料金の支払いは降車時です(一律料金なのですけれど)。
これで天王寺に出て、あれやこれに乗って義母に会いに行きました。かわいい(?)孫を連れて行ったので歓待していただきました。お昼にあれこれとお食事を出してもらい、もうお腹いっぱいです……(汗) 夕方、お腹いっぱい〜、眠い〜、と思いながらホテルに移動しました。
ということで、息子の見たいテレビ番組があったこともあり、夜はコンビニで買った食べ物であっさり済ませました。こうしないと外食で食べ過ぎてしまうので、ちょうどよかったかもしれません。
明日は、久しぶりの場所や初めての場所に行く予定なので、楽しみです。
やはり昨日の荒天の影響か、羽田空港は混雑していました。私たちが乗った飛行機はおかげで30分ほど遅れて関西空港に到着しました。ホテルのビュッフェでのんびり朝食の予定が、時間がないので簡単に済ませることに。
せっかくなので、関西にいるときは機会があったらミックスジュースを飲みます。出来合いのものではなく、お店で作っている雰囲気でした。
朝食後、南海電車に乗って移動します。人生初の堺上陸(笑)です。大きい都市で、歴史があるんだなあ、という雰囲気でした。息子は、シャトルバスのイラストが気に入っていました。どういうイラスト? という方は、「堺市 シャトルバス」で画像検索してみてください。南蛮人の世界です。
目的地は、息子の(なぜか)お気に入りの戦国武将、小西行長のゆかりの地です。
ザビエル公園は、そういう記念碑などがなければ普通の公園でした。ということで、次の目的地に移動です。
菅原神社には、行長が朝鮮から持ち帰ったという松(の幹)がありました。
さらに進むと、小西行長の屋敷跡がありました。ネットで調べたときにアップされていた写真に比べると、かなり整備されています。戦国武将ブームに乗っているのかもしれません。
屋敷跡の碑は、上と下の色の差が、これまでの待遇を物語っているように感じます(笑)
この碑の近くには、一部で有名な(?)スーパー玉出があります。
さらに、堺に行くのが初めてということで、当然これも初体験です。
阪堺電車です。要は路面電車。東京の人は、都電の雰囲気を想像していれば間違いありません。ただし、料金の支払いは降車時です(一律料金なのですけれど)。
これで天王寺に出て、あれやこれに乗って義母に会いに行きました。かわいい(?)孫を連れて行ったので歓待していただきました。お昼にあれこれとお食事を出してもらい、もうお腹いっぱいです……(汗) 夕方、お腹いっぱい〜、眠い〜、と思いながらホテルに移動しました。
ということで、息子の見たいテレビ番組があったこともあり、夜はコンビニで買った食べ物であっさり済ませました。こうしないと外食で食べ過ぎてしまうので、ちょうどよかったかもしれません。
明日は、久しぶりの場所や初めての場所に行く予定なので、楽しみです。
March 16, 2012
4月の旅行が楽しみです
毎年4月は、大阪の親戚の家で行われるお花見に行くのが恒例です。ですが、今年は諸般の事情により、お花見がありません。
かと言って、会いたい人もいるわけで、大阪に行くこと自体をやめるわけにもいきません。そんなわけで、いつもと違う旅行を計画しました。
これまでは、土曜日に(お花見が行われる場所から離れた場所に住んでいる)義母に会い、大阪で1泊し、日曜日にお花見に参加して夕方帰宅、というのが多いパターンでした。小学校の始業式が早いので翌日が始業式というパターンが多く、もうちょっとのんびりする、というのができなかったのです(これができたときもありましたが、少なかったです)。
今回は、週末に行く必要がなくなったので、平日に行くことにしました。息子の入学式が遅めなので、助かりました。
義母に会い、大阪で1泊してから奈良観光(宿泊もあり)、というスケジュールです。分かりやすく言えば2泊3日です。往路は飛行機ですが、復路は奈良からということもあり、新幹線の予定です。
奈良(市内です)でどこに行くかをはっきり決めなければ、と思っていますが、まだガイドブックを入手していません。これも探さないと、ですね。
私はなぜか、京都より奈良が好きというタイプなので、じっくり滞在(と言っても1泊ですが……)できるのが楽しみです。よくよく考えると、奈良で宿泊なんて、高校の修学旅行以来です(笑)
かと言って、会いたい人もいるわけで、大阪に行くこと自体をやめるわけにもいきません。そんなわけで、いつもと違う旅行を計画しました。
これまでは、土曜日に(お花見が行われる場所から離れた場所に住んでいる)義母に会い、大阪で1泊し、日曜日にお花見に参加して夕方帰宅、というのが多いパターンでした。小学校の始業式が早いので翌日が始業式というパターンが多く、もうちょっとのんびりする、というのができなかったのです(これができたときもありましたが、少なかったです)。
今回は、週末に行く必要がなくなったので、平日に行くことにしました。息子の入学式が遅めなので、助かりました。
義母に会い、大阪で1泊してから奈良観光(宿泊もあり)、というスケジュールです。分かりやすく言えば2泊3日です。往路は飛行機ですが、復路は奈良からということもあり、新幹線の予定です。
奈良(市内です)でどこに行くかをはっきり決めなければ、と思っていますが、まだガイドブックを入手していません。これも探さないと、ですね。
私はなぜか、京都より奈良が好きというタイプなので、じっくり滞在(と言っても1泊ですが……)できるのが楽しみです。よくよく考えると、奈良で宿泊なんて、高校の修学旅行以来です(笑)