女性

February 26, 2012

* 女性の貧困問題は中世ドイツも同じだったらしい

昨年12月に、日経ビジネスONLINEで気になる記事を読みました。


私がこれを読んだ最初の感想は、「ずっと前に、こういう話を読んだことがある」でした。ずばり、学生時代から「旅の友」だった、阿部謹也先生の『ハーメルンの笛吹き男』です。

ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫)ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫)
著者:阿部 謹也
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以前書いていたブログでも、同じような箇所を紹介したことがあります(こちらです)。当時は、「女性の労働力を使いきれていないのは、中世ドイツも現代の日本も同じ」という観点でした。今回は、女性の貧困問題について、です。

(前略)戦乱があいつぎ、成人男子の多くが死亡し、人口に大きな割合を占めていた聖職者は独身であったから、結婚出来ない婦人の数は極めて大きかった。その結果未婚の母親の数も寡婦の数も想像以上にのぼっていたのである。
 彼女たちは市民権を持っていなかったから、親方になれなかったどころか組合に入ることも、徒弟になることも、賤民の職業とされていた刑吏、牢守、皮剥人などになることも出来ない。彼女たちはこれらの賤民のように職業・身分の故に賤民だったのではなく、その存在自体がすでにこの社会でポジティブな地位すらもちえないようなものなのであった。
 彼女たちが賤民に数えられるのは、まさに彼女たちが配偶者を失ったことによって身分制原理から、財産もなく、働く機会を奪われたことによって金銭の原理からはじき出されてしまったからに他ならない。(後略)(p.135)

阿部先生が社会の最下層にあった女性たちの姿を想像して書いた部分が、実に先ほどのコラムと重なるのです。もしかしたら、阿部先生が実際に見たことのあるシングルマザーの姿なのかもしれません。いつの時代も、このような女性が社会で置かれている立場は大差ないのでしょう。

 身にはボロを纏い、同年輩の女房などがそれぞれの亭主のことを自慢したり、こきおろしたりしている立ち話の横をうつむきながらも毅然としてすりぬけ、男たちの好色なまなざしにさらされながら、子供の成長だけに一生の期待をかけていた彼女たち、こうした女性たちは無限につづくように思われる、昼と夜の交代をどのような心境で受けとめていただろうか。
 日雇い労働者の妻でさえ、亭主が昼食に帰ってきた時にもってくる日給で晩飯の支度をしたのである。夫をもたない彼女たちの頭のなかにはいつも次の食事の費用をどうするかということだけしかなかっただろう。朝のスープや簡単なパン一片の、そして出来れば昼の粥の用意さえあれば、彼女たちは健康である限り満足して藁床で昼の衣服をかぶって眠りについたことだろう。そしてまた真黒になって働かなければならない朝がくる。
 だがドイツ中世都市の日常生活にはわが国の現在のように、駆けずりまわるほどの忙しい仕事があったわけではない。彼女たちは仕事がありさえすれば喜んで働いたことだろうが、実際はそれがなかなか難しかった。(後略)(pp.137-138)

そしてこの直後に、昔々にブログで紹介した引用が続きます。

今も昔も同じだ、というのは簡単です。昔から状況が変わっていないのは、とても歯がゆいです。

uriel_archangel at 23:56 | 学び 
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