書く
March 16, 2021
2021年はブログもしっかり書こうと思います
2020年はなんだかんだで忙しく、投稿した記事は1つだけでした。2021年の3月も半ばになってしまいましたが、今年はもうちょっと……というか、もっとブログに投稿しようと思います。
Twitterは、なんだかんだ言って面白い場所です。でも、他の人のツイートを感心しながら見ているだけで時間が過ぎてしまっている状況です。それなりの分量の記事を自分で書かないといけないな、と実感しています。さらに言うと、ダラダラ見ていると私にとってはいいことないな、ということも感じています。
詳しく書くと自分の情けないところに直面しなければならないので、それは既に自分の中でやったということで、ここでは簡単に書くと、「人の書き込みに感心してうなずいているばかりではなく、もっと自分が書く内容を磨こう」に尽きます。Twitterは基本的に短い文章になってしまうので、そうではなく、もっとまとまった文章を書ける場所が自分の本来のフィールドだと思った方がいいなあ、と。
世の中にはいろいろなプラットフォームがあって、もうブログって時代遅れかな、と思うこともあります。ですが、まとまった文章を書いておける場所で、テーマを設定し、ハッシュタグや特定の単語で検索もできるというブログのスタイルは、1つのテーマに絞りきれずに好き勝手に書き散らす私にはぴったりのものです。
「ブログではなく、こちらのほうが私に向いているな」と思うものが出るまでは、ブログに書いていこうと思います。
Twitterは、なんだかんだ言って面白い場所です。でも、他の人のツイートを感心しながら見ているだけで時間が過ぎてしまっている状況です。それなりの分量の記事を自分で書かないといけないな、と実感しています。さらに言うと、ダラダラ見ていると私にとってはいいことないな、ということも感じています。
詳しく書くと自分の情けないところに直面しなければならないので、それは既に自分の中でやったということで、ここでは簡単に書くと、「人の書き込みに感心してうなずいているばかりではなく、もっと自分が書く内容を磨こう」に尽きます。Twitterは基本的に短い文章になってしまうので、そうではなく、もっとまとまった文章を書ける場所が自分の本来のフィールドだと思った方がいいなあ、と。
世の中にはいろいろなプラットフォームがあって、もうブログって時代遅れかな、と思うこともあります。ですが、まとまった文章を書いておける場所で、テーマを設定し、ハッシュタグや特定の単語で検索もできるというブログのスタイルは、1つのテーマに絞りきれずに好き勝手に書き散らす私にはぴったりのものです。
「ブログではなく、こちらのほうが私に向いているな」と思うものが出るまでは、ブログに書いていこうと思います。
January 04, 2016
New Year's resolution 2016(新年の抱負)
誕生日が6月なので、新年に一度方針を決めて、約半年後の誕生日に再確認する、というパターンになっていることに気づきました(気づくまで何年かかっているんだ、というのは置いておいて)。
まあ、私のように易きに流れやすいタイプには、この間隔がちょうどいいのでしょう。
そんなわけで、現時点で「今年の抱負!」と思っているのはこれです。
悩んでいるヒマがあったら行動しろ
行動しなければチャンスは得られない
……抱負と言うよりは、受験生が机の前に貼りつけている標語みたいな感じですね。
平均寿命を考えると、人生まだまだ続く、と言えます。でも、10年後も元気で今のような生活ができる保証はありません。
――だとしたら、今までやってきたみたいに「思い切って飛び込もうか、でも自信がないから次の機会にしておこうか」などと悩んでいたら、無駄に時間を使うだけなのです。これはこの年齢にならなくてもそうなのですけれど、「まだ次の機会がある」と思える状況(=若い)だと、そういう考え方に流れてしまうし、時間はたっぷりあると思っているから、時間の浪費だとは気づかないし、思いもしないのです。
人生は長いとは言え、有限です。そこで、「どうしよう〜」などと悩んでいるヒマがあったら、やりたいことは積極的に掴みに行かねば!! と思いました。入力していたらなぜかエクスクラメーションマーク(!)を二度押ししてしまったのですが、今の気持ちに合っているので、そのままにしておきます……。
仕事だとこういうチャレンジをするのですが、仕事以外だと「自信がない」が出てしまうのですよね。――こう書くと仕事では自信満々のように見えますがそうではなくて、みっともなくても何でも仕事は取りに行かねばならない、という意識があるのです。
この大胆さを、仕事以外で出せるように努力します。……あ、何にチャレンジするかをはっきり書いていなかったのですが、「小説を書いて何らかの賞に応募する」ということです。
「何もしなかったから得られる結果がなかった」ではなく、「チャレンジしました」と言えるようにするのが今年の目標です。
他のことは何も考えていないというわけではないのですが、最近強く考えていることを書きました。
まあ、私のように易きに流れやすいタイプには、この間隔がちょうどいいのでしょう。
そんなわけで、現時点で「今年の抱負!」と思っているのはこれです。
悩んでいるヒマがあったら行動しろ
行動しなければチャンスは得られない
……抱負と言うよりは、受験生が机の前に貼りつけている標語みたいな感じですね。
平均寿命を考えると、人生まだまだ続く、と言えます。でも、10年後も元気で今のような生活ができる保証はありません。
――だとしたら、今までやってきたみたいに「思い切って飛び込もうか、でも自信がないから次の機会にしておこうか」などと悩んでいたら、無駄に時間を使うだけなのです。これはこの年齢にならなくてもそうなのですけれど、「まだ次の機会がある」と思える状況(=若い)だと、そういう考え方に流れてしまうし、時間はたっぷりあると思っているから、時間の浪費だとは気づかないし、思いもしないのです。
人生は長いとは言え、有限です。そこで、「どうしよう〜」などと悩んでいるヒマがあったら、やりたいことは積極的に掴みに行かねば!! と思いました。入力していたらなぜかエクスクラメーションマーク(!)を二度押ししてしまったのですが、今の気持ちに合っているので、そのままにしておきます……。
仕事だとこういうチャレンジをするのですが、仕事以外だと「自信がない」が出てしまうのですよね。――こう書くと仕事では自信満々のように見えますがそうではなくて、みっともなくても何でも仕事は取りに行かねばならない、という意識があるのです。
この大胆さを、仕事以外で出せるように努力します。……あ、何にチャレンジするかをはっきり書いていなかったのですが、「小説を書いて何らかの賞に応募する」ということです。
「何もしなかったから得られる結果がなかった」ではなく、「チャレンジしました」と言えるようにするのが今年の目標です。
他のことは何も考えていないというわけではないのですが、最近強く考えていることを書きました。
November 05, 2015
「ブログを更新すること」の優先順位
文章を書くことは好きだし、時間があればいくらでもダラダラ〜と書いていられるのですが、自分のブログとなると難しいですね。名刺にURLを載せているので(!)、あまり変な話ばかり書いていると、信用を落としてしまいそうです。名刺を見てURLを手打ちする人が何人いるか、というのは謎ですが、いちおうこれでも書く内容に気を使っています。
さらに最近は、「半年前にできていたことが、今できない」に直面しています。毎日ブログを更新するぞ! という気持ちはありますが、書くことそのものよりも「どういう話を書こうかな」に意外と時間を使ってしまい、仕事の時間を圧迫するという「何がお前の人生のメインなんだ」状態です(汗)
自分の今のアンテナの立て方や日々の行動がブログ向きでないんだろうなあ、とは分析していますが、さらに「もっと真剣に小説を書かねば!」なんて思いもあると、「ブログに書く内容を悩んでいるより、小説で悩んでいるほうが建設的なんだよなあ(※ 個人の感想です)」ということになります。
とりあえず、「毎日更新!」とか気負ったりせず、無理のない範囲で続けたほうがいいかなあ、とは思っています。小説になるものでもなく、SNSで書くことでもない、でもどこかに書きとめておきたいもの、というのは頭の中に浮かぶので。でも、「毎日書くぞ!」というタガを外すと平気で更新せず放置してしまう人間なので、「週2回くらいは更新」という気持ちは必要です。
iPad miniやNexus5があれば、「思いついたときにちょこっと文章を書いておく」ができるはずなのですが、何やってるんでしょうね、私……。
まあ、試行錯誤しつつ、頻度はともかくブログの更新は続けていこうと思います。こうやって書いていると、結構自分のライフログになっているので、それも大切だなあと、今こうやって書いていて思いました。
さらに最近は、「半年前にできていたことが、今できない」に直面しています。毎日ブログを更新するぞ! という気持ちはありますが、書くことそのものよりも「どういう話を書こうかな」に意外と時間を使ってしまい、仕事の時間を圧迫するという「何がお前の人生のメインなんだ」状態です(汗)
自分の今のアンテナの立て方や日々の行動がブログ向きでないんだろうなあ、とは分析していますが、さらに「もっと真剣に小説を書かねば!」なんて思いもあると、「ブログに書く内容を悩んでいるより、小説で悩んでいるほうが建設的なんだよなあ(※ 個人の感想です)」ということになります。
とりあえず、「毎日更新!」とか気負ったりせず、無理のない範囲で続けたほうがいいかなあ、とは思っています。小説になるものでもなく、SNSで書くことでもない、でもどこかに書きとめておきたいもの、というのは頭の中に浮かぶので。でも、「毎日書くぞ!」というタガを外すと平気で更新せず放置してしまう人間なので、「週2回くらいは更新」という気持ちは必要です。
iPad miniやNexus5があれば、「思いついたときにちょこっと文章を書いておく」ができるはずなのですが、何やってるんでしょうね、私……。
まあ、試行錯誤しつつ、頻度はともかくブログの更新は続けていこうと思います。こうやって書いていると、結構自分のライフログになっているので、それも大切だなあと、今こうやって書いていて思いました。
October 31, 2015
頭の中にしまっていたストーリーを出してみた
四捨五入で20歳になる年齢のときに考えてちょこっと書いてみたものの、あまりに穴が多いのでお蔵入りになっているストーリーがあります。悪くないとは思うのですが、まあなにぶん若いときに勢いで思いついたものなので、自称永遠の17歳ではありますが(しつこい)、この年齢になって改めて見てみると、「この設定には無理があるな」という突っ込みどころが多いのです。
そのストーリーを考えながらお風呂に入っていたら、「でも、この部分をこう変えたら、『いやそれはないでしょ』という感じは薄まるのではないか」と思いつきました。そうやって久しぶりに考えてみたのをきっかけに、「この部分もこういうふうにしたほうがいいよなあ」などと、いろいろと思いつきます。
なんだか面白そうだったので、お風呂を出てから(ちゃんと着るものは着ましたよ)Evernoteを立ち上げて、あれこれ書いてみました。以前も書いたことがありますが、最初に思いついたときに書いたノートやメモの類は行方不明なので、頭の中の記憶が頼りです。
――まあ、むかーし考えたことは結構覚えていて、最近見聞したことは忘れるようなお年頃なのですけれど(汗)
それでもお風呂の中であれこれ考えた時点では忘れていて、書く……というか、PCに向かって入力しているうちに「そうだ、こういう設定にしていたんだっけ」というようなことを思い出したりもしました。こういうときは、昔のように紙に書いているわけではないので、編集というか、後から思いついたことを追加したり順番を入れ替えたりしやすいというのが便利です。
やっぱり、漠然としていることは、こうやって書き出してみるのが大事なのだなあ、と実感しました。若いときには気づかなかった粗いところや克服できなかった欠点について、年数を経ていろいろ経験すると、自分の視野が広がったために「ここはこうすればいいんだ」というのが分かるときがあります。
ただし、こうやって書き出してみたストーリーはいくつかありますが、どれも設定が似たり寄ったりなのが問題です……。なんでこの設定が好きなのか、一度じっくり「自分会議」をしないといけなさそうな感じです。
そのストーリーを考えながらお風呂に入っていたら、「でも、この部分をこう変えたら、『いやそれはないでしょ』という感じは薄まるのではないか」と思いつきました。そうやって久しぶりに考えてみたのをきっかけに、「この部分もこういうふうにしたほうがいいよなあ」などと、いろいろと思いつきます。
なんだか面白そうだったので、お風呂を出てから(ちゃんと着るものは着ましたよ)Evernoteを立ち上げて、あれこれ書いてみました。以前も書いたことがありますが、最初に思いついたときに書いたノートやメモの類は行方不明なので、頭の中の記憶が頼りです。
――まあ、むかーし考えたことは結構覚えていて、最近見聞したことは忘れるようなお年頃なのですけれど(汗)
それでもお風呂の中であれこれ考えた時点では忘れていて、書く……というか、PCに向かって入力しているうちに「そうだ、こういう設定にしていたんだっけ」というようなことを思い出したりもしました。こういうときは、昔のように紙に書いているわけではないので、編集というか、後から思いついたことを追加したり順番を入れ替えたりしやすいというのが便利です。
やっぱり、漠然としていることは、こうやって書き出してみるのが大事なのだなあ、と実感しました。若いときには気づかなかった粗いところや克服できなかった欠点について、年数を経ていろいろ経験すると、自分の視野が広がったために「ここはこうすればいいんだ」というのが分かるときがあります。
ただし、こうやって書き出してみたストーリーはいくつかありますが、どれも設定が似たり寄ったりなのが問題です……。なんでこの設定が好きなのか、一度じっくり「自分会議」をしないといけなさそうな感じです。
October 29, 2015
最近はEvernoteがあれこれ書いておく場所です
NanaTerryも悪くはないのですが、やはり「どのデバイスからも見られる」というのが大きいですね……。
Evernoteに入れておけば、外出中もNexus5から見られます。Dropboxのように開いてみたら文字化けしていた、ということもありません。在宅時は、PCを立ち上げる時間がないときに、iPad mini+Logicool Ultrathin Keyboard miniで、キーボードで入力できます。
……と書いてはみたものの、Surface3は起動や終了に時間がかからないので、そんなに手間ではないのですけれど。まあ、在宅時ではなく旅先で、iPad miniとキーボードは威力を発揮してくれるかな。Surface3はそんなに荷物になるわけではないのですが、いつもの外出時のモバイル端末にキーボードを追加するだけです。キーボードはそんなに繊細な扱いが必要なものではないので、気楽です。
脱線してしまいましたが、そういう感じで「どこにいても、自分が持っているデバイスがインターネットに接続していれば、同じデータが見られる」Evernoteは、やはり便利です。外出前に最新版に同期させておけば、ネットに接続できない場所でも、追加や編集をして、例えば帰宅後など、ネットに接続できる場所でWeb上のデータと同期できます。
あれこれ書いた文章を入れているだけ、という使い方はもったいないかもしれませんが、プレミアムに登録したことですし、便利な使い方を調べなければ、と思っています。プレミアム以前の問題ですが、いろいろある文章をジャンル別に作ったノートブックにまとめたら、「雑多な文章があちこちに転がっている」という感じから脱出できました。小さな一歩です。
Evernoteに入れておけば、外出中もNexus5から見られます。Dropboxのように開いてみたら文字化けしていた、ということもありません。在宅時は、PCを立ち上げる時間がないときに、iPad mini+Logicool Ultrathin Keyboard miniで、キーボードで入力できます。
……と書いてはみたものの、Surface3は起動や終了に時間がかからないので、そんなに手間ではないのですけれど。まあ、在宅時ではなく旅先で、iPad miniとキーボードは威力を発揮してくれるかな。Surface3はそんなに荷物になるわけではないのですが、いつもの外出時のモバイル端末にキーボードを追加するだけです。キーボードはそんなに繊細な扱いが必要なものではないので、気楽です。
脱線してしまいましたが、そういう感じで「どこにいても、自分が持っているデバイスがインターネットに接続していれば、同じデータが見られる」Evernoteは、やはり便利です。外出前に最新版に同期させておけば、ネットに接続できない場所でも、追加や編集をして、例えば帰宅後など、ネットに接続できる場所でWeb上のデータと同期できます。
あれこれ書いた文章を入れているだけ、という使い方はもったいないかもしれませんが、プレミアムに登録したことですし、便利な使い方を調べなければ、と思っています。プレミアム以前の問題ですが、いろいろある文章をジャンル別に作ったノートブックにまとめたら、「雑多な文章があちこちに転がっている」という感じから脱出できました。小さな一歩です。
September 27, 2015
長年寝かせておいた物語の突破口が開ける
――という事態が、最近起きています。
「こういう感じの話が面白いなあ」と思って、高校生くらいのときに書いていたストーリーがあります。当時は時間がとにかくあったので(勉強しろよ、という話ですが)、いろいろと書き散らしていました。
残念ながら私の年齢だと、こういうデータは本当に紙に手で書いているか、せいぜいワープロ専用機で入力したデータです(フロッピーディスクですよ……)。現在まで残っているものはほとんどなく、自分の頭の記憶が頼りです。若いときに頭に入れた記憶(データ)は今でも鮮明で(残念ながら最近の記憶は不鮮明ですが)、だいたいの設定は覚えています。
でも、突き詰めて考えると穴がたくさんあります。そもそも、「どうしてこの2人は、こんなに仲がいいんだ?」というのが、きちんと説明できないのです。「なんだか良く分からないけれど、『喧嘩するほど仲がいい』を地で行っている」のはなぜか、書いている本人にも分からないという(汗)
恋愛関係に発展する組み合わせではないので、「相手が好きだから」的な、そういう方面の答えは使えません。学生の時は、そこは気にせず突っ走っていました。でも15年くらい前にもう一度書いてみたとき、そこが引っ掛かりました。自分の納得できる答えが出せなかったので、このストーリーはしばらく頭の中に放置していました。
最近になって、「改めて書いてみよう」という気分になりました。ちょうど、今の自分が書きたいと思うシチュエーションだったからです。そして、以前解決できなかった、「なぜこの2人は仲がいいのか」問題に取り組んでみました。
――すると、きちんと「これこれこういう理由で、2人は仲がいい」というのが思いつくのです。まあ、ありがちな理由付けではありますが、思いついただけ自分をほめてあげたい気分です。これまでの人生経験は無駄ではないのね、というところでしょう。
これで心置きなくこの2人が出てくる物語が書けるぞ、とは思っているのですが、優先すべき作業があるため、まだ大部分が私の頭の中にあります。この子たちを早いところ、私の頭から出して、生き生きと動けるもっと広い場所に連れて行ってあげよう、という気分です(息子はもちろん、夫よりも長い付き合いなので)。
高校生くらいのときに「かっこいい同年代」くらいの感じで書いていたキャラクターが、すっかり年下どころか自分の子供くらいの年齢になっているので、今や「この子たち、かわいいなあ」になってしまうのですけれど(笑)
「こういう感じの話が面白いなあ」と思って、高校生くらいのときに書いていたストーリーがあります。当時は時間がとにかくあったので(勉強しろよ、という話ですが)、いろいろと書き散らしていました。
残念ながら私の年齢だと、こういうデータは本当に紙に手で書いているか、せいぜいワープロ専用機で入力したデータです(フロッピーディスクですよ……)。現在まで残っているものはほとんどなく、自分の頭の記憶が頼りです。若いときに頭に入れた記憶(データ)は今でも鮮明で(残念ながら最近の記憶は不鮮明ですが)、だいたいの設定は覚えています。
でも、突き詰めて考えると穴がたくさんあります。そもそも、「どうしてこの2人は、こんなに仲がいいんだ?」というのが、きちんと説明できないのです。「なんだか良く分からないけれど、『喧嘩するほど仲がいい』を地で行っている」のはなぜか、書いている本人にも分からないという(汗)
恋愛関係に発展する組み合わせではないので、「相手が好きだから」的な、そういう方面の答えは使えません。学生の時は、そこは気にせず突っ走っていました。でも15年くらい前にもう一度書いてみたとき、そこが引っ掛かりました。自分の納得できる答えが出せなかったので、このストーリーはしばらく頭の中に放置していました。
最近になって、「改めて書いてみよう」という気分になりました。ちょうど、今の自分が書きたいと思うシチュエーションだったからです。そして、以前解決できなかった、「なぜこの2人は仲がいいのか」問題に取り組んでみました。
――すると、きちんと「これこれこういう理由で、2人は仲がいい」というのが思いつくのです。まあ、ありがちな理由付けではありますが、思いついただけ自分をほめてあげたい気分です。これまでの人生経験は無駄ではないのね、というところでしょう。
これで心置きなくこの2人が出てくる物語が書けるぞ、とは思っているのですが、優先すべき作業があるため、まだ大部分が私の頭の中にあります。この子たちを早いところ、私の頭から出して、生き生きと動けるもっと広い場所に連れて行ってあげよう、という気分です(息子はもちろん、夫よりも長い付き合いなので)。
高校生くらいのときに「かっこいい同年代」くらいの感じで書いていたキャラクターが、すっかり年下どころか自分の子供くらいの年齢になっているので、今や「この子たち、かわいいなあ」になってしまうのですけれど(笑)
September 18, 2015
年齢とともに重ねた経験が役立つ
――と、最近思えるようになりました。今回は趣味に関する話です。
でもその前提には、「柔軟なものの考え方ができる」というのが大切です。で、私自身は、そういうふうにできているなあ、と思っているので、こういうふうに偉そうに書いちゃうわけです。
小説を書くのが好きな子供だったので、若いときは、「△歳にして○○賞受賞!」なんてのにあこがれました。でも、実際にそういうふうに称される人は、あこがれている人のごく一部です。大多数の人間は何も達成できないまま、「△歳にして」の数字が「宣伝のポイントにならない」という年齢になります。
ここで、数字がかなり大きくなればまた注目のチャンスはあるでしょうが、こうなるとゴルフのエージシューターの世界みたいになってきます。しかも寿命は有限で、どこで途切れるかは分かりません。
そして、「若くして○○賞受賞」と言われるような年齢を過ぎてしまうと、生活が忙しくて「自分のやりたいこと」に手を付ける余裕がなくなってしまいます。そんなわけで私は「小説は趣味で書いていければいいや〜」などと思って過ごしていました(しかも書かない)。
でも、子供が「とても手のかかる時期(または、周囲が『親として子供に手をかけるのが当然だろう』と思う時期)」を抜けたこともあり、再び時間とココロに余裕ができました。そこで今度こそ時間を作ってあれこれ作業しているのですが、「若くないからこそできることもあるなあ」と感じています。
若くみずみずしい感性というのは確かに素晴らしいものですが、年齢を経てそういうものがなくなった(弱まった?)としても、それを補える知識が蓄積されています。それと、「若くみずみずしい感性」は若いだけにちょっと硬いというか頑固なところがあって、「これ」と思うもの以外を受け入れられないこともあります(私はそういうタイプでした)。
でも、人生何十年も続けていると、思い通りに行かないことばかりです。「全部自分が決められる」状態で何かが託されることはほとんどなく、あれこれ条件付きで何とかしなければならないことが多いです。
おかげで、若いときより逆に頭が柔らかくなったかな〜、と思っています。おろしたての真っ白なボードでなければ何も書けなかった人間が、多少形がゆがんでいたりここぞというところに書き込みがあったりするボードでも、できる範囲で最大限の努力をして書けるようになった、という感じです。
もちろん、どんなときも柔軟に考えられるかというと、そんなことはないとは思います。それと、こういう考え方を「妥協している」とか「ひよっている」とか、そういうふうに感じる人もいるでしょう。
でも私自身は、「与えられた環境下で最大限努力する」のは価値のあることだ、と思えるようになりました。目指すゴールへの最短距離が取れなくても、どうやってそこを目指すか考えること自体も面白いものです。言い方を変えると、「人生、何でも楽しんだもの勝ち」というところでしょうか。
そんな状態で、「若くなくてもできるんだ」ということで、「自分が書いたものが、たくさんの人に楽しんでもらえる」を目指して頑張ろうと思います。
でもその前提には、「柔軟なものの考え方ができる」というのが大切です。で、私自身は、そういうふうにできているなあ、と思っているので、こういうふうに偉そうに書いちゃうわけです。
小説を書くのが好きな子供だったので、若いときは、「△歳にして○○賞受賞!」なんてのにあこがれました。でも、実際にそういうふうに称される人は、あこがれている人のごく一部です。大多数の人間は何も達成できないまま、「△歳にして」の数字が「宣伝のポイントにならない」という年齢になります。
ここで、数字がかなり大きくなればまた注目のチャンスはあるでしょうが、こうなるとゴルフのエージシューターの世界みたいになってきます。しかも寿命は有限で、どこで途切れるかは分かりません。
そして、「若くして○○賞受賞」と言われるような年齢を過ぎてしまうと、生活が忙しくて「自分のやりたいこと」に手を付ける余裕がなくなってしまいます。そんなわけで私は「小説は趣味で書いていければいいや〜」などと思って過ごしていました(しかも書かない)。
でも、子供が「とても手のかかる時期(または、周囲が『親として子供に手をかけるのが当然だろう』と思う時期)」を抜けたこともあり、再び時間とココロに余裕ができました。そこで今度こそ時間を作ってあれこれ作業しているのですが、「若くないからこそできることもあるなあ」と感じています。
若くみずみずしい感性というのは確かに素晴らしいものですが、年齢を経てそういうものがなくなった(弱まった?)としても、それを補える知識が蓄積されています。それと、「若くみずみずしい感性」は若いだけにちょっと硬いというか頑固なところがあって、「これ」と思うもの以外を受け入れられないこともあります(私はそういうタイプでした)。
でも、人生何十年も続けていると、思い通りに行かないことばかりです。「全部自分が決められる」状態で何かが託されることはほとんどなく、あれこれ条件付きで何とかしなければならないことが多いです。
おかげで、若いときより逆に頭が柔らかくなったかな〜、と思っています。おろしたての真っ白なボードでなければ何も書けなかった人間が、多少形がゆがんでいたりここぞというところに書き込みがあったりするボードでも、できる範囲で最大限の努力をして書けるようになった、という感じです。
もちろん、どんなときも柔軟に考えられるかというと、そんなことはないとは思います。それと、こういう考え方を「妥協している」とか「ひよっている」とか、そういうふうに感じる人もいるでしょう。
でも私自身は、「与えられた環境下で最大限努力する」のは価値のあることだ、と思えるようになりました。目指すゴールへの最短距離が取れなくても、どうやってそこを目指すか考えること自体も面白いものです。言い方を変えると、「人生、何でも楽しんだもの勝ち」というところでしょうか。
そんな状態で、「若くなくてもできるんだ」ということで、「自分が書いたものが、たくさんの人に楽しんでもらえる」を目指して頑張ろうと思います。
September 15, 2015
フリースタイルばかりでなく規定もできるようにする
――というのが、最近意識していることです。
あ、これは当然ながら趣味で書いていることでの話です。このブログに限らず、TwitterなどのSNSでも、「○○について書く」という縛りのないところで文章を書いてばかりだと、
「私の心の赴くままに書きたい!」
という気持ちが大きくなります。私も長らくそういうふうに考えていたのですが、これって実は甘い考えなんだということに、ようやく気づきました。
「心の赴くままに書けても、他の人の嗜好やリクエストに合わせて書けないようではダメなんだな」
というわけです。よく考えたら、仕事(翻訳)では規定に沿って作業できます。「あー、これは小難しい感じの凝った表現で書いたほうが、『らしい』よな〜」と思っても、先方から「分かりやすい文章で」と言われれば、そういうふうに書きます。
ずーっと趣味として続けてきたことだと、仕事では当然と思っていることができないというのは、新たな発見でした。
以前であれば、「うーん、自分が上手くできるとは思えない」と敬遠していたことも、「もともと好きなことだし、これだけ生きてきて人生経験積んできたんだから、全くできないということはないだろう」と前向きに考えて、チャレンジしてみようという気持ちになっています。
具体的なことを書いていないので「なんだそりゃ」な感じですが、「好きなことだから好きなようにやりたい」というところから、「もっと自分の可能性を広げてみよう」という気分になったところです。
平均寿命を考えたら、まだまだ先は長いですが、気が遠くなるほど残り時間があるわけではありません。なので、躊躇しているのは時間の無駄! です。「私にはできそうに思えない」という弱気の虫を追い払って、「とりあえずやってみる」の精神で進んでいきたいと思います。
あ、これは当然ながら趣味で書いていることでの話です。このブログに限らず、TwitterなどのSNSでも、「○○について書く」という縛りのないところで文章を書いてばかりだと、
「私の心の赴くままに書きたい!」
という気持ちが大きくなります。私も長らくそういうふうに考えていたのですが、これって実は甘い考えなんだということに、ようやく気づきました。
「心の赴くままに書けても、他の人の嗜好やリクエストに合わせて書けないようではダメなんだな」
というわけです。よく考えたら、仕事(翻訳)では規定に沿って作業できます。「あー、これは小難しい感じの凝った表現で書いたほうが、『らしい』よな〜」と思っても、先方から「分かりやすい文章で」と言われれば、そういうふうに書きます。
ずーっと趣味として続けてきたことだと、仕事では当然と思っていることができないというのは、新たな発見でした。
以前であれば、「うーん、自分が上手くできるとは思えない」と敬遠していたことも、「もともと好きなことだし、これだけ生きてきて人生経験積んできたんだから、全くできないということはないだろう」と前向きに考えて、チャレンジしてみようという気持ちになっています。
具体的なことを書いていないので「なんだそりゃ」な感じですが、「好きなことだから好きなようにやりたい」というところから、「もっと自分の可能性を広げてみよう」という気分になったところです。
平均寿命を考えたら、まだまだ先は長いですが、気が遠くなるほど残り時間があるわけではありません。なので、躊躇しているのは時間の無駄! です。「私にはできそうに思えない」という弱気の虫を追い払って、「とりあえずやってみる」の精神で進んでいきたいと思います。
September 12, 2015
Evernoteプレミアム登録&デスクトップ版インストール
Evernoteは便利なのですが、問題というか、困っていることがありました。これはEvernoteの問題ではなく、私のPCの問題です。
FireFoxの動作が、遅くなったり固まったりしてしまうことがあるのです。こうやってブログを書いていても、容赦なくそういう状態になることがあります。待っていれば戻ることもあったり、タスクマネージャーで「終了」から「反応がないので待機」で待っていると動いたり、ということもありますが、最悪の場合は強制終了です。
このブログの場合は、書きかけのデータをどの程度復旧できるかは運次第、というところがありますが、Evernoteはきちんと最新のデータが反映されるので、そういう面での問題はありません。でも、書きたいときに書けないのはストレスです……。
そこで、ブラウザの挙動に左右されないデスクトップ版をインストールしてみました。正直なところ、「どうして今までこれを使わなかったのだろう」というくらい快適です。実はブラウザからだとタグが追加できないことがあったのですが、デスクトップ版ではそういうこともありません。
文書内の検索もできるということで、半分くらい勢いもありますが、プレミアムに登録してみました。今のところ大きな差は感じられないのですが、プレミアムの恩恵が受けられる使い方を考えようと思います。
恩恵と言えば、プレミアム版になると、文書と関連する情報というのを出してくれます。思いついたストーリーのメモを書いているときに、そこに出てくる単語に反応してニュースを出してくれるのですが、創作だしそもそも異世界の話だしで、わざわざ情報くれてるのに悪いなあ、という気分になります(笑)
FireFoxの動作が、遅くなったり固まったりしてしまうことがあるのです。こうやってブログを書いていても、容赦なくそういう状態になることがあります。待っていれば戻ることもあったり、タスクマネージャーで「終了」から「反応がないので待機」で待っていると動いたり、ということもありますが、最悪の場合は強制終了です。
このブログの場合は、書きかけのデータをどの程度復旧できるかは運次第、というところがありますが、Evernoteはきちんと最新のデータが反映されるので、そういう面での問題はありません。でも、書きたいときに書けないのはストレスです……。
そこで、ブラウザの挙動に左右されないデスクトップ版をインストールしてみました。正直なところ、「どうして今までこれを使わなかったのだろう」というくらい快適です。実はブラウザからだとタグが追加できないことがあったのですが、デスクトップ版ではそういうこともありません。
文書内の検索もできるということで、半分くらい勢いもありますが、プレミアムに登録してみました。今のところ大きな差は感じられないのですが、プレミアムの恩恵が受けられる使い方を考えようと思います。
恩恵と言えば、プレミアム版になると、文書と関連する情報というのを出してくれます。思いついたストーリーのメモを書いているときに、そこに出てくる単語に反応してニュースを出してくれるのですが、創作だしそもそも異世界の話だしで、わざわざ情報くれてるのに悪いなあ、という気分になります(笑)
September 07, 2015
ポジティブなフィードバックは仕事でも趣味でも嬉しいものです
汎用性の高い表現にしようとしたら、横文字だらけになってしまいましたよ。
週末に、中学高校のミニ同窓会がありました。参加者は20人くらい? という小規模なものです。最近のことから思い出話から、話に花が咲きまくりました。
自称永遠の17歳と言っても、卒業してから年数は経っているし、実は同じクラスになったことがないという人もいます。それでも、多感な中学高校の6年を同じ環境で過ごしていると、大学以降に進んだ道が様々でも、すぐに「自分がかつていた場所」を思い出す空間ができるのがいいですね。
なんというか、私は履歴書は立派な感じに作れますが、内情はそんなにご立派なものではありません。でも、仕事をバリバリやっているかいないかとか、結婚しているとかしていないとか、している場合は配偶者がどういう地位にあるのかとか、そういうことは気にせずにいられるのもありがたいです。
多分、そういうことが気になる人もいると思います。でも、こう言うと偉そうなのですが、自分が引っかかっているところが、相手が鏡になって反射されて、はねかえってくるだけなんです。そして、相手に「劣等感を感じるところをえぐり出してやろう」という意思はありません。だから、自分自身が気にしていなければ、本当に気楽に過ごせます。そういう精神状態になるまでのほうが大変かもしれませんが……。
ともあれ、こういう考え方は残念ながらどの集団でも通用するというわけではありませんが、「懐かしい仲間とおしゃべりしたい」という気持ちがあれば、楽しく過ごせる空間だと思います。様々な場所や立場で努力する友人たちの話は、本当に刺激になりました。
自分の仕事や得意とするもので、社会に対して何ができるか、というようなことを考えている人がいる一方で、私のやりたいことというのが、端的に言うと「マイワールドに籠って自分の作り上げた妄想に浸りたい」という自分勝手なものなので、「社会のこととか深く考えてなくてスミマセン」という感じなのですが(汗) でも、そういう我が道を行くスタンスも理解してくれるので、本当にありがたいです。
そんな状態ですが、複数の人から(具体的な数字は挙げないところでお察しください、というやつです)、「中学のときにREMIさんが書いていた文章(小説とかではなく、普通の日記?のような文章)が面白かった」とか、「今書いている文章(ブログとか小説とか)も楽しみにしている」と言ってもらって、とっても嬉しかったです。
――で、これって仕事でも同じだなあ、と思ったのです。事務の仕事でも翻訳でも、自分が作ったものを「この前のあれ、助かりました」とか「とっても分かりやすかったです」みたいに言ってもらえると、「頑張ろう」という気分になります。
実際に成果物を使う人から、そういうふうに直接言ってもらえる(またはエージェント経由で話を聞く)のが一番励みになりますが、エージェントの人の「個人的にいいと思った」レベルの発言でも、やる気アップです。魔法の言葉ですね。
なので、エージェントの人は、「この人は手放したくない」という翻訳者さんがいたら、そういう「ぷちぷちヨイショ」で「気分よく仕事を引き受けてもらおう」という努力を続けると、効果的ではないかと思います。即効性はないかもしれませんが、地味〜に効いてくると思いますよ。
別に、「ホメてホメて」とおねだりしているわけではありません。もちろん、自分で自分のモチベーションを維持するために努力をしています(そういうものも込みでフリーランスです)。でも、そういう努力以上に、自分以外の人のフィードバック(できれば良い内容のもの)は励みになるのです。足場の悪いところで一生懸命ジャンプしていたら、足元にサッとトランポリンを置いてもらえた、という感じです。
細々と書いている小説だって、無言の読者1000人よりも、具体的な感想をもらえる読者が1人でもいるほうが、「よし、この調子で書くぞ」と思えます。自分が書いていて楽しいのも大切なのですが、楽しみに読んでくれる人の存在は、本当に貴重なです。
プチ同窓会自体も楽しかったのですが、「私が書いているものを楽しんでくれる人がいたし、今もいる」というのが感じられたのも、本当に嬉しかったです。次回の集まりでは、私も誰かにポジティブな行動ができればいいな、というかそうする努力をしようと思いました。
――で終わればキレイなのですが、家族に対して自分がポジティブな働きかけをしているか、というところで「うーん」となったので、そういうところも改善したいと思います。
週末に、中学高校のミニ同窓会がありました。参加者は20人くらい? という小規模なものです。最近のことから思い出話から、話に花が咲きまくりました。
自称永遠の17歳と言っても、卒業してから年数は経っているし、実は同じクラスになったことがないという人もいます。それでも、多感な中学高校の6年を同じ環境で過ごしていると、大学以降に進んだ道が様々でも、すぐに「自分がかつていた場所」を思い出す空間ができるのがいいですね。
なんというか、私は履歴書は立派な感じに作れますが、内情はそんなにご立派なものではありません。でも、仕事をバリバリやっているかいないかとか、結婚しているとかしていないとか、している場合は配偶者がどういう地位にあるのかとか、そういうことは気にせずにいられるのもありがたいです。
多分、そういうことが気になる人もいると思います。でも、こう言うと偉そうなのですが、自分が引っかかっているところが、相手が鏡になって反射されて、はねかえってくるだけなんです。そして、相手に「劣等感を感じるところをえぐり出してやろう」という意思はありません。だから、自分自身が気にしていなければ、本当に気楽に過ごせます。そういう精神状態になるまでのほうが大変かもしれませんが……。
ともあれ、こういう考え方は残念ながらどの集団でも通用するというわけではありませんが、「懐かしい仲間とおしゃべりしたい」という気持ちがあれば、楽しく過ごせる空間だと思います。様々な場所や立場で努力する友人たちの話は、本当に刺激になりました。
自分の仕事や得意とするもので、社会に対して何ができるか、というようなことを考えている人がいる一方で、私のやりたいことというのが、端的に言うと「マイワールドに籠って自分の作り上げた妄想に浸りたい」という自分勝手なものなので、「社会のこととか深く考えてなくてスミマセン」という感じなのですが(汗) でも、そういう我が道を行くスタンスも理解してくれるので、本当にありがたいです。
そんな状態ですが、複数の人から(具体的な数字は挙げないところでお察しください、というやつです)、「中学のときにREMIさんが書いていた文章(小説とかではなく、普通の日記?のような文章)が面白かった」とか、「今書いている文章(ブログとか小説とか)も楽しみにしている」と言ってもらって、とっても嬉しかったです。
――で、これって仕事でも同じだなあ、と思ったのです。事務の仕事でも翻訳でも、自分が作ったものを「この前のあれ、助かりました」とか「とっても分かりやすかったです」みたいに言ってもらえると、「頑張ろう」という気分になります。
実際に成果物を使う人から、そういうふうに直接言ってもらえる(またはエージェント経由で話を聞く)のが一番励みになりますが、エージェントの人の「個人的にいいと思った」レベルの発言でも、やる気アップです。魔法の言葉ですね。
なので、エージェントの人は、「この人は手放したくない」という翻訳者さんがいたら、そういう「ぷちぷちヨイショ」で「気分よく仕事を引き受けてもらおう」という努力を続けると、効果的ではないかと思います。即効性はないかもしれませんが、地味〜に効いてくると思いますよ。
別に、「ホメてホメて」とおねだりしているわけではありません。もちろん、自分で自分のモチベーションを維持するために努力をしています(そういうものも込みでフリーランスです)。でも、そういう努力以上に、自分以外の人のフィードバック(できれば良い内容のもの)は励みになるのです。足場の悪いところで一生懸命ジャンプしていたら、足元にサッとトランポリンを置いてもらえた、という感じです。
細々と書いている小説だって、無言の読者1000人よりも、具体的な感想をもらえる読者が1人でもいるほうが、「よし、この調子で書くぞ」と思えます。自分が書いていて楽しいのも大切なのですが、楽しみに読んでくれる人の存在は、本当に貴重なです。
プチ同窓会自体も楽しかったのですが、「私が書いているものを楽しんでくれる人がいたし、今もいる」というのが感じられたのも、本当に嬉しかったです。次回の集まりでは、私も誰かにポジティブな行動ができればいいな、というかそうする努力をしようと思いました。
――で終わればキレイなのですが、家族に対して自分がポジティブな働きかけをしているか、というところで「うーん」となったので、そういうところも改善したいと思います。