歴史

August 29, 2015

* 『世界の辺境とハードボイルド室町時代』にぐいぐい引き込まれています

世界の辺境とハードボイルド室町時代
高野 秀行
集英社インターナショナル
2015-08-26


Twitterで見かけたこれ↓がとても気になったので、思い切って購入しました。もう、この部分だけでぐいぐいと引き込まれるくらい、魅力的な内容でした。

中世ヨーロッパ好きとして、「日本人にとっての中世ヨーロッパって理解が難しい……」なのですが、この本は中世ヨーロッパの社会を知るヒントになると思ったのです。ヒントになるかも、と思ったのには、自分なりの理由があります。



たぶん、その筋(どの筋だ)の方には有名な本だと思うのですが、ここでは、中世の日本とヨーロッパの共通するところや相違するところについて述べられています(と思っているのですが、違ったらすみません)。

中世日本と現代世界の辺境に似ているところがあるなら、中世ヨーロッパにだって似ているところがあるんじゃないの? という、「マイ理論」ではあります。でも、現代の日本では存在しない価値観を知ることは、中世ヨーロッパの理解の助けになるかもしれません。

そんなわけで読み始めたのですが、面白い面白い! 本当に、まだ冒頭部分しか読んでいない段階なのですが、読み終わる前にこうやってブログに書いちゃうくらい興味深い内容です。目次を見たところ、直接言及しているわけではありませんがアジールの話もあるようで、「やっぱりアジールがあるんだ!」と、その部分に到達するのを楽しみにしています。――と、ここまで書いておいてアジールの話じゃなかったらどうしましょうね、というくらいです。

ところで、『中世の再発見』は、Kindle版もあります。



これも買うべきなのかな〜。

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July 25, 2015

* 偶然見た放送大学の講義が興味深い内容でした

地上波やBSに面白そうな番組がなかったので、番組表を眺めていて見つけました。さっさとCSの番組表に移動していたら、気づかなかったかもしれません。見てみたところ、非常に興味深い内容でした。なんというか、「どまんなか」という感じです(笑)

先ほど検索してみたところ、このような授業でした。で、昨日見たのはこの2つです。上記のページからの引用です。
  • 写本から印刷術へ 〜書物の文化の発展〜
    初期中世には、カロリング時代の教会改革とともに聖書やラテン語古典の写本の文化が開花し、13世紀の大学成立の時期になると、書物には頁や索引が付され、より合理的な知識の検索ツールとなる。そのような書物の発展が活版印刷の発明を導き、書物の大量生産の時代を到来させた。その過程を考える。

  • 中世の民衆と文字文化
    中世の民衆の間で、いかに俗語の文字文化を発展していったかを中世後期まで辿る。とくに、都市の実務文書と俗語文字文化との関係や、「往生術」、「死の舞踏」といった宗教的な木版印刷が俗語文字文化の発展にどのようにかかわったかを考察する。
活版印刷についての話は、先日見たヴァチカン教皇庁図書館展とも重なるところがありました。活版印刷が、知識や思想を広めるという活動にどれだけ貢献したか、というのを考えさせられます。

それ以前は書物の「コピー」は写本しかなかったわけですから、知識や思想が広まる範囲やスピードは、今とは比べ物にならない(小さい)規模なのです。木版で印刷するとしても、それこそ活字を組んでいたわけではないですから、作成のスピードには限度があります。現代から過去を見る場合、そういう違いを意識しないといけないのですよね。

アントワープにあるプランタン・モレトゥス印刷博物館に、行ってみたいなあ、と思います。活版印刷が発明されたころから19世紀半ばまで、300年にわたって質の高い印刷を手掛けた会社が、今は博物館として保存されているのだそうです。

そして、ヨーロッパ各地に誕生した大学が地図に表示されていたのですが、やはりスペイン・イタリア・フランスに比較すると、ドイツ以東(中欧〜東欧)は大学の数が少ないなあ、と思いました。

「中世の民衆と文字文化」は、知らなかった話が多く、非常に勉強になりました。当時の人々にとって「読める」と「書ける」は同じではなく、違う人が担っていたのです。文字を書けるようになるためには、専門の教育が必要でした。

普通の人は(どのレベルかはしっかり覚えていませんが)、「ここに書かれているのは自分の名前だ」というのは分かっても、内容は口頭で説明を受けなければ分からなかっただろう、ということです。

そして、ワルド派についての説明が、私はまったく知らなかったことで、とても勉強になりました。ワルドは聖書の内容を俗語で(日常で使っている言葉)で記した書物を作り、それをもとに人々に説明することで、聖書の教えを知ろうとしたのです。

先ほども書きましたが、それまでは(そしてその後も)教会にあるラテン語で書かれた聖書を聖職者が説明してきたわけです。場所によっては、教会にも聖書は置いていない、ということはあったと思います。

そこで、「自分たちの言葉で聖書を読む」という活動をするグループにとって、当然教会での説明に納得いかないところも出てきます。いろいろと端折ってしまうと、そんなわけでワルド派は異端とされ、迫害されました。

ここで、分かる人には分かると思うのですが、聖書を自分で読むというワルド派の姿勢は、プロテスタントと非常に近いのです。活版印刷のある時代だったら、ワルド派の広まりや扱いも、違ったのではないかと思います。

実際、ワルド派の人々は、宗教改革期に多くがプロテスタントに合流したそうです。どこかは忘れましたが、ルターとワルド(ワルド派の創始者)の像のある宗教改革の記念碑(だったかな?)が紹介されていました。

偶然見つけた番組ですが、とても勉強になりました。

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May 02, 2015

* 現代日本のシングルマザーの置かれた状況は中世ドイツとあまり変わらないと思った

……なんて、ちょっと刺激的なタイトルにしてみましたよ。

詳しくは書きませんが、何か月か前に起きたある事件を契機に、シングルマザーの置かれた厳しい状況が話題になりました。母親の手記を読んで、「ああ、あそこに書かれていた状況と同じだ」と思ったのが、何度も書いている私の愛読書での描写です。



ありがたいことに、今はKindle版もあります。最近はもっぱらこちらで読んでいます。




以下に引用します。ページ数は文庫版のものです。
 彼女たち[引用者注:未婚の母親や寡婦]は市民権を持っていなかったから、親方になれなかったどころか組合に入ることも、徒弟になることも、賤民の職業とされていた刑吏、牢守、皮剥人などになることも出来ない。彼女たちはこれらの賤民のように職業・身分の故に賤民だったのではなく、その存在が既にこの社会でポジティヴな地位すらもちえないようなものなのであった。
 彼女たちが賤民に数えられるのは、まさに彼女たちが配偶者を失ったことによって身分制原理から、財産もなく、働く機会を奪われたことによって金銭の原理からはじき出されてしまったからに他ならない。(後略)[p.135]
補足すると、当時は、贈与関係で結ばれる身分制社会から金銭を媒介とする近代的な社会への過渡期であり、商人が台頭しつつある時代でした。未婚の母親や寡婦は、新しい身分制度と古い身分制度、そのどちらからもこぼれてしまう存在だった、ということです。
 身にはボロを纏い、同年輩の女房などがそれぞれの亭主のことを自慢したり、こきおろしたりしている立ち話の横をうつむきながらも毅然としてすりぬけ、男たちの好色なまなざしにさらされながら、子供の成長だけに一生の期待をかけていた彼女たち、こうした女性たちは無限に続くように思われる、昼と夜の交代をどのような心境で受け止めていただろうか。
(中略)
 だがドイツ中世都市の日常には我が国の現在のように、駆けずり回るほどの忙しい仕事があったわけではない。彼女たちは仕事がありさえすれば喜んで働いたことだろうが、実際はそれがなかなか難しかった。オーストリアの歴史家ヘーアは中世後期にドイツの都市が衰退していったのは、これらの婦人の巨大な労働力が男性によって駆逐されたせいだとまでいっている。商業が発達した大都会ならいろいろな下働きの口はあったが、ハーメルンのような小都市では仕事にありつくことがすでに大仕事であり、屈辱的な経験であった。(後略)[pp.137-138]
前半部分は阿部氏の想像ですが、豊かな空想の産物というものではなく、ご自身がそういう状況にある女性の姿を見聞きしていて、それを踏まえて書いたのではないかと思います。これも私の想像でしかありませんが、戦中・戦後は配偶者を失って苦労していた女性は多かったはずです。

もう何年も前に、オーストリアの歴史家ヘーアは中世後期にドイツの都市が衰退していったのは、これらの婦人の巨大な労働力が男性によって駆逐されたせいだとまでいっている。という部分から「女性の労働力の活用は大事だよ〜」的なことを書いたことがあります(こちら)。

私はこの本での女性たちの描写を「遠い国の遠い昔の話」と思っていましたが、それは私の世界が狭いだけで、今でもこのような状況は続いているのだな、と考えさせられました。

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November 04, 2014

* 阿部謹也『ハーメルンの笛吹き男』Kindle化されていたとは!

マメにチェックしなくてはいけませんね。早速購入しましたよ。



しかもKindleになったのは1年以上前でしたか……。ともあれ、これで長年の「旅の友」といつも一緒にいられます。iPad miniだと文庫よりも字が大きくなるので、そこはありがたいですね。

ちょうど先日、この本を久しぶりに本棚から取り出して読んでいたところでした。学生時代から、旅行の時には必ずカバンに入れて持って行って、移動中や時間が余ったときに読んでいました。何度も何度も読み返したい本です。私の(脳内にとどまってなかなか表に出てこない)物語世界にも、大きく影響を与えています。

ちょっと話が外れますが、今のダイエットが順調なのは、参考にしているダイエット本をKindleで買っていて、いつでもどこでも読んでモチベーションの維持につなげていられるからだと思います。好きな本や常に手元に置いておきたい本が電子書籍としてタブレットやスマートフォンに入れておけると、とても便利なのだなあ、と、しみじみ思います。

そんなわけで、このあたりも私の「旅の友」なので、Kindle化希望です……。







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February 12, 2014

* 永代橋の崩落事故のこと

なんだか「ぼのぼの」風味のタイトルになってしまいました。江戸の大事故というテーマで、永代橋の崩落事故が取り上げられていました。今回の番組概要はこちらです。

狂歌師の大田南畝が、証言集とも呼べる「夢の憂橋」を著しているのが興味深かったです。恐らくはそうやって集められたであろう、現場に居合わせたけれど助かった人や、事故を目撃して救助に向かった人々のエピソードが、番組内で紹介されていました。

当時から、こういうジャーナリズムのようなものはあったのだなあ、と感心しました。当たり前のことかもしれませんけれど。

そして、現代の私たちにも「うーむ」と考えさせられることがありました。それは、インフラ維持の難しさです。

もともと永代橋は、五代将軍綱吉が50歳になったときに、渡し船を使っていた場所にかけられた橋でした。ですがやはり年数が経つうちに老朽化が進み、修繕にもお金がかかるということで、幕府は取り壊しを考えていました。

町民たちの嘆願で、修繕に必要な費用を彼らが負担するという条件で、取り壊しは免れました。でもやはり、町民たちにも修繕は負担でした。橋の両側でどちらがどれだけ負担するか、こっちは負担しない、などとやってしまい、修繕が行われぬまま、事故の当日をむかえてしまったそうです。

立派な橋は便利で、完成すれば人々は喜びますが、実はその後の維持にかかる手間や費用のほうが、ずっと負担が大きいのですよね。事故が起きたのは文化4年(1807年)のことですから、200年以上も前のことです。でもこれは、現代の私たちも抱えている問題だと思います。

こういう、「現代と過去に共通するもの」というのは、私が歴史で一番好きなところです。そんなわけで、とても興味深く見ました。勉強になります。

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June 30, 2013

* シンポジウム「領土とナショナリティー」(第29回 日本ドイツ学会総会・シンポジウム)

お昼を挟んで、午後の部です。
  1. 領土と国益——ドイツ東方国境紛争から日本を展望する 佐藤成基(法政大学教授)
    第二次大戦でオーデル=ナイセ線以東の領土を失ったドイツは、戦後東方国境をめぐってポーランドとの間に紛争が発生した。しかしその紛争は、ドイツの全面的な領土の放棄という形で最終的な解決をみた。これは20世紀の国境紛争史のなかでは特異な例である。なぜそのようなことが可能だったのだろか。また、この紛争解決の経緯は、現在日本が抱える領土問題にとって何らかの指針となるのか。本報告ではこれらの問題について考えてみたい。

  2. 失われた東部領/回復された西部領――ドイツ・ポーランドの領土とオーデル・ナイセ国境 吉岡 潤(津田塾大学准教授)
    第二次世界大戦の結果、ポーランドはドイツから領土を獲得する。戦後政権は新たにポーランドの領土となる地を非ドイツ化し、「ポーランド人の」領土にしようとした。領土・民族問題の20世紀的解決なるものが想定できるとすれば、これはその極端な型の一つだったと言えはしまいか。本報告では、ポーランドで「回復領」と呼ばれた旧ドイツ東部領のポーランド化の諸相を検討し、同地がドイツ・ポーランドの現代史において担った意味について考察する。

  3. 多民族国家の解体と「ドイツ人」意識の変容 ―両次大戦間期ルーマニアにおけるユダヤ系およびドイツ系ドイツ語話者を事例に― 藤田 恭子 (東北大学教授)
    第一次世界大戦後にハプスブルク領からルーマニア領となった地域には、数多くのユダヤ系およびドイツ系ドイツ語話者が居住していた。「帝国民」であると同時にドイツ語を母語とする「ドイツ人」でもあるといった多民族国家時代の多重的自己意識は、国民国家内のマイノリティとなった後、共有不能となる。ドイツ政府による「在外ドイツ人」政策にも触れつつ、ドイツの外周地域の視点から、「ナショナル・アイデンティティ」をめぐる問題の一端を照射する。

  4. 領土と国籍・市民権−「ナショナルなもの」を考える 広渡 清吾(専修大学教授)
    近代国家は、「主権」を絶対的要素とし、主権の対象として、「領土と国民」を実在的与件とする。土地に対する支配は、通常その土地に住む人々に対する支配を含むが、近代において国家と国民の関係は、土地に対する支配とは独立に、観念的、抽象的な「保護と忠誠の関係」として次第に確立する。この関係を表現する制度が、国籍である。また、歴史をみると、戦争等に起因する領土の変更が、そこに住む人々の国籍の変更を産み出すことがある。他方で、国籍者は、その国のなかで完全な市民権を有するが、歴史的にも、概念的にも国籍と市民権は異なった機能を担う。これらの問題をドイツと日本に例をとりながら分析し、現代において「ナショナルなもの」を再検討する手掛かりをえたい。

  5. ヘルゴラント島と竹島/独島 ⎯ 日独比較の観点から ラインハルト・ツェルナー(ボン大学教授)
    Ausgehend von einem Vergleich der Ereignisse um die Rückgabe der Insel Helgoland und die Forderung nach Rückgabe der Inselfelsen Takeshima / Dokdo analysiert der Vortrag die historischen Positionen und Argumentationen der japanischen und koreanischen Seite. Er stellt die Frage, warum die interkulturelle Kommunikation in diesem Fall bislang gescheitert ist. Er setzt sich für eine Lösung ein, die der symbolischen und politischen Bedeutung dieser Inseln für die japanisch-koreanischen Beziehungen entspricht.(報告は日本語でおこなわれます。)
最初の2つは、第二次世界大戦後のドイツ・ポーランド国境が確定するまでの流れや、オーデル・ナイセ線以東で起きていたことを、それぞれドイツ側・ポーランド側から見ています。実は、そもそも(西)ドイツ側の主張も詳しく知らなかったのですが、ポーランドを専門とする方のお話がうかがえたのは、とても貴重な機会でした。今の日本の状況を見ていると、「そういう選択肢って、可能なのかな?」と思うような、オーデル・ナイセ以東の領土の放棄がなぜ行えたのかというのは、とても興味深い話でした。

そして、新たにポーランド領となった地域がどのようにポーランド化(並びに非ドイツ化)されたかという話は、やはり興味深いものでした。現代の日本では想像しにくいですが、ドイツ系だからと言って「自分はドイツ人だ」と主張する人たちばかりではなく、一方でその地にずっと住んでいたポーランド系の人々は「この地がポーランド領となったことは喜ばしい」と感じていた人ばかりでもないのです。帰属意識というのは、時代だけでなく、個人個人でも異なるものなのだと感じます。

さらに不勉強だったのですが、ドイツに追放された人々は、暴力的に住む場所を追われた人たちばかりではなく、終戦前に自発的にドイツ本国に戻った人々や、ポツダム協定に基づいて移住した人々もいたそうです。とは言え、第二次世界大戦で領土を広げた場所に移った人々が戻ってきた、というものではなく、先祖代々暮らしてきた土地を離れなければならなかった、というのは変わりませんが。

そして、このようなドイツ本国を離れた場所に住むドイツ系住民(ドイツ語話者)の状況を調べたのが、3番目の内容です。ハプスブルク領からルーマニア領となった地域の人々は、ドイツ人としての意識を持ち、連帯を意識していました。それと同時に、ジーベンビュルゲン(トランシルヴァニア)などの故郷への帰属意識もありました。

ですが、このような連帯も、ナチ党が権力を掌握するにつれ、ドイツ語話者でもユダヤ系の人々が排除されていきます。今もこのような地域にはごく少数のドイツ系住民(Siebenbürger Sachsenなど)が住んでいるようですが、今回のテーマではカバーしていないので、ドイツ国外に暮らすドイツ系住民の現状は分かりません。

ユダヤ人であっても自分はドイツ人だ、という意識はもちろんあったわけで、ドイツ人として第一次世界大戦に従軍した人もいました。アンネ・フランクの父オットー・フランクも、その1人でした。こういう帰属意識というのは、本人の意思に関係なく、時の権力者によって恣意的に解釈され、利用されてしまうものなのだなあと思います。

4番目の内容では、単純に「ドイツ民族=ドイツ国家の構成員」とはならなくなった、ということが分かりました。「ドイツ民族の国家」ではなく、「多様な民族からなる国家」へと転換しようとしているようです。ドイツに限らず、近代の「国民国家(Nation-state)」という概念は古いものとなり、新たな国家の形が模索されているのでしょう。日本はまだまだ、こういう段階には至らないなあと思います。

最後は、ドイツがどのようにしてヘルゴラント島をイギリスから復帰させたかを、日本と韓国の問題と比較していました。でもまあ、いろいろと条件が違うので、「こうすれば解決!」というものはないようです。

何人かの方が共通して言っていたのは、「国益とは何か。領土を守ることだけか。近隣諸国に自分たちが脅威だと思わせないことも国益となるのではないか」ということでした。これは実際、ドイツが行ってきたことですが……。この方法が日本と周辺国の間で通用するとは思えないのは、マスコミや周囲の意見に悪い影響を受けているからなのでしょうか。

このシンポジウムで登壇者が本当に伝えたいことから目をそらしている感じがするのは否定できませんが、学ぶことや考えるところの多い内容でした。

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June 29, 2013

* フォーラム・台所は誰のものか?−−『ナチスのキッチン』が切り拓く地平(第29回 日本ドイツ学会総会・シンポジウム)

――1週間前の話なのですが、ようやくまとめて書いています。とは言っても、内容が盛りだくさんなので、2度に分けて書こうかと。前回も書きましたが、日本ドイツ学会のホームページはこちらです。

午前のフォーラムは、タイトルのものを選びました。午後のシンポジウムに比べれば、開催時間は2時間と短いものでしたが、凝縮した内容のものでした。
  1. 『ナチスのキッチン』前後 藤原辰史 (京都大学准教授)
    『ナチスのキッチン』は、近代ドイツの台所の合理化過程を、建築、台所道具、家政学、レシピなど、さまざまな観点から論じたものである。この概略を説明したあと、今後の課題と展望について、これまでの書評を参考にしながら考えたい。
  2. 日本女性史におけるドイツのキュッヘ 北川圭子(北海道工業大学客員教授)
    戦後,建築家たちは挙って民主的住宅を模索し、台所空間の改革を提案した。その先鋒が浜口ミホである。ミホは、その範をドイツのWohn Kucheに求めた。DKと命名されたこの空間は、若い世代の人気の的となり、わが国の住生活を一変させ,延いては女性の地位向上の象徴となった。また、住空間に生活最小限住宅追究という科学的視点も 導入させた。しかし,DK のルーツがWohn Kucheであることは歴史の闇に埋もれた。
  3. 戦時下日本とドイツの花嫁学校研究 - 日本の新聞・雑誌の記事を中心として 伊藤 めぐみ(早稲田大学 東洋英和女学院大学非常勤講師)
    ‘本において、1930年代に入り設立されていく花嫁学校の展開過程と特質を三期に分けて報告する。▲疋ぅ弔硫峅燃惺擦よび母親学校の概要を当時日本で出された新聞・雑誌の記事を中心に報告するとともにそれらの記事から、上記の機関が当時どのような関心を持たれ、受け止められていたのかを考察したい。
実はこの『ナチスのキッチン』そのものについては未読の状態で行ったのですが、それでも非常に興味深い内容でした。「『ナチスのキッチン』前後」では、このフォーラムの導入という感じで、出版後の反響やそこから見えてきた課題について、説明していました。これだけ話題になるということは、それだけ切り口が斬新だったのだろうなあ、と思います(未読なものでこの程度の感想ですみません)。書籍が購入できるコーナーもあってので、もしかしたら「著者のサイン入り」にできたのかもしれませんが、財政能力が欠けているため断念しました。がくり。

以降は、ドイツ以外の専門分野の研究者が、『ナチスのキッチン』と関連する内容の発表をします。

次は、「日本女性史におけるドイツのキュッヘ」です。戦後の公団住宅におけるDK(ダイニングキッチン)の誕生に、日本の女性建築家第一号の浜口ミホが大きくかかわっており、彼女の発想のルーツはドイツのWohnkücheにあったということでした。戦前の建築家の視線は上流社会に向かっていました。庶民の住宅への関心は低かったため、「生活最小限住宅」という発想が顧みられることはなかったようです。戦後に建築や女性を取り巻く状況が変化し、庶民の住宅に変化がもたらされたそうです。

ダイニング・キッチンはこうして誕生した―女性建築家第一号浜口ミホが目指したもの (はなしシリーズ)ダイニング・キッチンはこうして誕生した―女性建築家第一号浜口ミホが目指したもの (はなしシリーズ) [単行本]
著者:北川 圭子
出版:技報堂出版
(2002-01)

スピーカーの著書なのですが、お話をうかがった後だと、とても気になります。

その次が、「戦時下日本とドイツの花嫁学校研究 - 日本の新聞・雑誌の記事を中心として」です。高等女学校を初めとする女子教育機関が、良妻賢母教育に十分な効果をあげていないということで、「花嫁養成を直接目的とする」1932年に設立された「御茶の水女子家庭寮」が、いわゆる「花嫁学校」の嚆矢だそうです。そして、日本の花嫁学校を参考に、当時のドイツでも花嫁学校や母親学校というような組織が作られたらしい、ということでした。本当に影響を受けていたのかは分からないのですが、同じ時期に同じような目的で、教育機関が作られています。

でも、日本とドイツで、別々の形で展開していくところがとても興味深く感じられました。ドイツでは労働者の多い地区に最初に作られ、親衛隊員と結婚するには党の花嫁学校を卒業しなければならないくらいだったそうです。一方で、勤労動員が必要になった日本では、都市部の花嫁学校は不要不急のものとしてとらえられるようになり、閉鎖された学校もあったようです。この種の学校は、ドイツでは社会福祉の面が強く、日本では「余裕のある家庭の娘の習い事」という感じになったように思います。

日本とドイツの比較というより、「今も昔も、どうして日本だと目標から離れたところに着地するのだろう」というのが、とても印象的な内容でした。そして、女性手帳を花嫁学校と同じと批判する人たちがそう感じる理由が、はっきりと、とは言えませんが、根っこにあるものが同じなのだろうなあ、というのはぼんやりと感じられました。

ほどよく記憶が薄れているので詳しくは書けませんでしたが(そもそも有料で参加するものなので、ここにあれこれ書くわけにもいきません)、非常に興味深いものでした。

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June 20, 2013

* 日本ドイツ学会総会・シンポジウムのテーマが気になります

偶然見かけたポスターに気になるテーマが書かれていたので、帰宅後に検索して見つけました。昔だったら、ポスターの内容をメモして……となったのでしょうね。便利な世の中になりました。
第29回 日本ドイツ学会総会・シンポジウム「領土とナショナリティー 」(日本ドイツ学会のサイトはこちら
開催日:
2013年6月22日(土)
会場:
お茶の水女子大学 共通講義棟2号館
参加費:
一般 1000円 学生 500円、 日本ドイツ学会会員 無料
当日受付可。 どなたでもご参加いただけます。
このタイトルだけでも気になって検索してみたのですが、それ以外も魅力的な内容でした。午前はフォーラム、午後はシンポジウムという構成です。
フォーラム
  1. 台所は誰のものか?−−『ナチスのキッチン』が切り拓く地平
  2. ポスト脱原発を展望する――原子力施設拒絶地域/立地地域の「その後」から
午前のフォーラムは、1のほうが気になります。『ナチスのキッチン』の内容にとどまらず、当時のドイツや日本の女性が置かれた立場を考えるものになっています。そして午後のシンポジウムは、このような内容です。正しい書き方かは分かりませんが、午前のフォーラムも、発表者は省略しました。
シンポジウム 「領土とナショナリティー」
  1. 領土と国益——ドイツ東方国境紛争から日本を展望する
  2. 失われた東部領/回復された西部領――ドイツ・ポーランドの領土とオーデル・ナイセ国境
  3. 多民族国家の解体と「ドイツ人」意識の変容 ―両次大戦間期ルーマニアにおけるユダヤ系およびドイツ系ドイツ語話者を事例に―
  4. 領土と国籍・市民権−「ナショナルなもの」を考える
  5. ヘルゴラント島と竹島/独島 ⎯ 日独比較の観点から
実は中世好きな私は、学生時代に近現代のドイツには積極的には触れてきませんでした。でも仕事で第二次世界大戦がらみのものは避けられず、こういう分野にも関心を持つようになりました。

そんなわけで、会場に出没しているかもしれません。

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April 22, 2013

* ヒストリーチャンネル「ニュース映画で見る昭和の光景」

この週末、午後〜夜にまとめて放送されていたので、全部ではありませんが見ていました。母が興味を持っていたので、ダラダラと見ていた感じです。

こういうニュース映画って、いつごろまで放映されていたのでしょう? 最近は映画館に行くと、予告編と映画泥棒ばかりですよね。

ともあれ、昭和30年代の映像を見ていると、高度成長期というか、オリンピックを控えてあれこれ発展している姿が、テレビで見る最近の中国と重なります。人間、やることはあまり変わらないのだなあ、と思います。

私にとっては、さすがに昭和30年代は「歴史だなあ」という感じです。でも当時を生きた両親にしてみると、「戦後のベビーブームで学校は手狭だし入試も厳しい」という話や、新幹線の前の特急列車(名前は忘れました……)は、「そういえばそうだった」という感じで、なつかしく思い出されるようです。

(慎太郎刈りとか、そういう時代の)繁華街にたむろする若者の姿を見ていると、「今どきの若いもんは……」と言う人々も、昔はしっかり、さらに上の世代に「今どきの若いもんは……」と言われていた人たちなのだなあ、と思います。歴史は繰り返しますね〜。

銀座の歩行者天国に人がたくさんいる様子に、「これは、田舎の人が見たら、『お祭りでもないのに、たくさん人がいる!』と驚くだろうなあ」と思いました。

あと、ナレーションが上から目線で「お前は何様のつもりだ」感があるのも独特ですね。ナレーションの古い感じの口調や「現代音楽の作曲家が生活費のための仕事をもらって作りました」的なBGM(あ、これも上から目線ですね)が、中学や高校の授業で見た「学習用映画」を思い出します。

びっくりしたのは、昭和54年くらいの映像が白黒だったことです! いつまで白黒映画だったのでしょう。私にとって、昭和30年代は過去の写真や映像が頼りなのでモノクロの時代ですが、昭和50年代は自分の目で見ていますから、さすがに総天然色です。

ヒストリーチャンネルの放送予定表によると、29日にも一挙放送! のようなので、録画するなりなんなりしようかと、考え中です。

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January 13, 2013

* 奥が深いというか興味深い「おもてなし武将隊」

旅行の準備の一環として、名古屋のガイドブックも入手しました。

まっぷる名古屋 2013 (まっぷる国内版)まっぷる名古屋 2013 (まっぷる国内版)
販売元:昭文社
(2012-06-15)
販売元:Amazon.co.jp

伊勢のガイドブックとは、全然カラーが違うものですが……。滞在時間が長くないので、観光スポットよりも「どこで何を食べるか」の情報が欲しかったのです。るるぶもそうですが、もれなくSKEのメンバーが出ています。

そうやって見ていて気付いたのが、「名古屋城って、名古屋おもてなし武将隊がいるのか〜」ということです。その手のことには全然興味がなかったので、知らなかったわけではないのですが、頭から抜け落ちていました。

でも、気が向いて調べてみたら、全国各地のお城に「おもてなし武将隊」がいるのですね。元祖は名古屋のようです。なにしろ忍城でも、「おもてなし甲冑隊」がいるくらいです。なんでいきなり忍城かというと、『のぼうの城』に便乗して行田に行ってみようかな、と思って調べたら……というわけです。

名古屋城での演武は週末や祝日だけのようですが、平日も誰かがいておもてなしをしてくれるみたいなので、行ってみたら面白そうかなあ、と思っています。

最初にニュースで見たときは「なんだこりゃー」と思いました。でもB-1グランプリと同じで、観光客を増やすためには、お堅いイメージの役所も、こういうエンターテインメント的なものも取り入れていかなければならないのでしょうね。

当然というかなんというか、昨日調べた宇土では、残念ながら(?)こういう人たちはいないようです。

それにしても、この「おもてなし武将隊」、社会学や観光学的に考察できそうな感じですよね。学部生の卒論に、ぴったりのテーマなのではないかと思います(笑)

uriel_archangel at 16:26 | 日々の記録 
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