歴史

January 12, 2013

* 熊本県宇土市も気になります

うちの息子は、男の子の基本として戦国時代が好きです。キリシタン大名に関心があるらしく、一番好きなのは小西行長です。そんなわけで、昨年春には堺に残る史跡を訪ねたりもしました

でもまあ、彼は堺の生まれではありますが、領地として治めていたのは熊本県宇土市です。彼について本格的に調べたいと思ったら、そちらに行くべきというか、行ったほうがいいですよね。

――とは言え、どこにあるのか、どういうところかも知らないので、まずは市のホームページを見てみることにしました。
  • 宇土市(公式ホームページです)
意外と「小西行長推し」でした。ゆかりの人物として紹介するページもあります。
メインはまさに小西行長公です。戦国武将ブームの影響かな? これは、息子が行ったら喜びそうです。

そして、市のトップページを見て、「これは……」と思ったら、やっぱり行長公をモチーフにしたゆるキャラが! ゆるキャラグランプリにも出場していたそうです。

名前は「うと行長しゃん」です。

うとん行長しゃんイラスト

うとん行長しゃん着ぐるみ

写真は、宇土市のサイトとうとん行長しゃんのブログからお借りしました。かわいいもの好きの息子が見たら、喜ぶ……かな? ブログもありますが、Facebookページもあります。

「これは行ってみないとね!」ということで、先日購入した旅行用ノートの「行きたい場所リスト」に、「宇土」と書きました。宿泊は熊本市、という感じでしょうか。

予習として、教文館などのキリスト教関連の書店に行って(イグナチオの売店でもいいのですが……)、小西行長に関する書籍を調べたほうがいいのでしょうね。

uriel_archangel at 15:53 | 日々の記録 
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December 18, 2012

* アメリカ社会での銃規制は《刀狩》に近い

――と思います。

阿部謹也さんが、「アメリカ社会は現代でも中世の価値観を残している」というようなことを書かれていました。その本が手元にないもので、詳しくご紹介できないのですが……。確か、ナサニエル・ホーソンの『緋文字』から、そういうふうに展開していたと思います。

それは現代じゃないだろう、という話ですが、西部劇に出てくるような、あのサルーン(酒場)や人々の雰囲気は、ウイスキーをビールやワインにして銃をなくせば、そのまま中世ヨーロッパとして通じるそうです。「ああ、確かに」と納得です。

ピューリタンたちがメイフラワー号でアメリカに移住した時代までさかのぼらなくても、ヨーロッパの人々の生活は、中世的なものが色濃く残っていたのだろうなあ、と想像しています。教科書では政治の仕組みの変化に合わせて章が変わりますが、生活面では「ここからは別の章」となるほどの大きな変化はないのでしょう。そして、中世的な価値観をそのまま持ち込めば、確かに「自分の身は自分で守る」という話になるのは自然です。

だとすると、現代のアメリカで銃の所持を規制するとなると、それは日本での《刀狩》に近いのかなあ、と思います。一般人の武装解除、ですね。刀とか、まだ精度に問題のある火縄銃が対象だと、圧倒的な権力を背景にこういう作業も進められますが、現代でとなると、相手に暴れられたらそれなりに被害が出そうで大変だろうだなあ、と思います。

そうやって考えているうちに、ヨーロッパでは、こういう一般人の武装解除って、どうやって進んだのかな? というのが気になりました……。支配者の軍事力が安定し、治安を維持できるようになってからかな? と想像しています。そうすれば、刀狩同様、一般人の武装解除が進められるでしょう。

現代のことを考えていても、結局頭の中身が中世に飛んで行ってしまいます……(汗)

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October 15, 2012

* 自分より優秀な部下を上手く使えるか

――って、大事なことだなあ、と思います。

仕事柄、ナチス時代のドイツに関する映像を扱うこともあります。数年前に、仕事の資料として本(数は多くありませんが)やWebサイトをあちこち見ているときに、そう思ったのです。どこで読んだかは記憶があやふやなのですが、

「ここでヒトラーがこの人の意見を取り入れていれば、ドイツ軍勝ってるよ」

という局面が、何度もあるのです。ただこれは、「○○の戦い」とか「○○作戦」、せいぜい東部戦線・北アフリカ戦線というレベルでの話であって、第二次世界大戦全体で勝てたかどうかは分かりません。(また、ドイツ国防軍に限定しての話なので、ユダヤ人虐殺など人道的な犯罪とはまた別の問題になります)

で、どうしてそういう意見を容れなかったかというと、ヒトラーが自分の意見に固執するから、なのですね。上層部でも総統のご機嫌取りをする人物は、無批判に彼の意見を正しいとするでしょうし。

総統と言ったって軍隊で下士官どまりだったんだから、将官にもっと任せればいいのに、と思うのですが、そういうところで手を出す口を出す、だから独裁者なのですよね。こうやって何十年も経って振り返ってみると、「だから負けたんだよなあ」と納得します。

反乱を企てた人物もいましたが、プロイセン軍の伝統で「司令官の命令には絶対服従」というものがあり、優秀な軍人でもヒトラーの命令に従っていたそうです。マンシュタインがそういう人物にあたります。この「司令官の命令には絶対服従」は、戦後、西ドイツ軍の創設にあたり、反省材料となったそうですが。

ともあれ、組織や活動のスケールが大きくなってくると、自分より優秀な人間が部下になる、という日がやってきます。そういうときにその人物をどういうふうに遇するか、意見が対立したときにどう対処するかが、さらに拡大できるか、ある程度のレベルにとどまるかの分かれ目なのだろうと思います。

こういう話をどうして思い出したかと言うと、昨日このツイートを見たからです。


私は、「こういうグループって、結局トップの力量程度の規模にしかならないよね」と思っています。そこをうまいこと超える(超えてしまう)のが独裁者なのでしょうが、歴史を見る限り、結局は瓦解し、消滅します。

ナチス時代のドイツを思い出したのは、私が自分の経歴上、独裁者と言えば……で思い出すのが彼だから、というだけです。

普通に生きている人間は、そういう「自分より優秀な人物が部下になる」ときのことを心配しなければならないことはそう多くなく、たいていの場合は「この頼りない手勢で、物事をどう上手く運ぶか/彼らをどうすればきちんと働けるようにできるか」が悩みどころになります。

まあ、自分自身のこととして考えてみると、「自分の欠点をどうカバーするか」が向上のポイントなのでしょう。

uriel_archangel at 22:59 | 仕事 
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February 26, 2012

* 女性の貧困問題は中世ドイツも同じだったらしい

昨年12月に、日経ビジネスONLINEで気になる記事を読みました。


私がこれを読んだ最初の感想は、「ずっと前に、こういう話を読んだことがある」でした。ずばり、学生時代から「旅の友」だった、阿部謹也先生の『ハーメルンの笛吹き男』です。

ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫)ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫)
著者:阿部 謹也
販売元:筑摩書房
(1988-12)
販売元:Amazon.co.jp
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以前書いていたブログでも、同じような箇所を紹介したことがあります(こちらです)。当時は、「女性の労働力を使いきれていないのは、中世ドイツも現代の日本も同じ」という観点でした。今回は、女性の貧困問題について、です。

(前略)戦乱があいつぎ、成人男子の多くが死亡し、人口に大きな割合を占めていた聖職者は独身であったから、結婚出来ない婦人の数は極めて大きかった。その結果未婚の母親の数も寡婦の数も想像以上にのぼっていたのである。
 彼女たちは市民権を持っていなかったから、親方になれなかったどころか組合に入ることも、徒弟になることも、賤民の職業とされていた刑吏、牢守、皮剥人などになることも出来ない。彼女たちはこれらの賤民のように職業・身分の故に賤民だったのではなく、その存在自体がすでにこの社会でポジティブな地位すらもちえないようなものなのであった。
 彼女たちが賤民に数えられるのは、まさに彼女たちが配偶者を失ったことによって身分制原理から、財産もなく、働く機会を奪われたことによって金銭の原理からはじき出されてしまったからに他ならない。(後略)(p.135)

阿部先生が社会の最下層にあった女性たちの姿を想像して書いた部分が、実に先ほどのコラムと重なるのです。もしかしたら、阿部先生が実際に見たことのあるシングルマザーの姿なのかもしれません。いつの時代も、このような女性が社会で置かれている立場は大差ないのでしょう。

 身にはボロを纏い、同年輩の女房などがそれぞれの亭主のことを自慢したり、こきおろしたりしている立ち話の横をうつむきながらも毅然としてすりぬけ、男たちの好色なまなざしにさらされながら、子供の成長だけに一生の期待をかけていた彼女たち、こうした女性たちは無限につづくように思われる、昼と夜の交代をどのような心境で受けとめていただろうか。
 日雇い労働者の妻でさえ、亭主が昼食に帰ってきた時にもってくる日給で晩飯の支度をしたのである。夫をもたない彼女たちの頭のなかにはいつも次の食事の費用をどうするかということだけしかなかっただろう。朝のスープや簡単なパン一片の、そして出来れば昼の粥の用意さえあれば、彼女たちは健康である限り満足して藁床で昼の衣服をかぶって眠りについたことだろう。そしてまた真黒になって働かなければならない朝がくる。
 だがドイツ中世都市の日常生活にはわが国の現在のように、駆けずりまわるほどの忙しい仕事があったわけではない。彼女たちは仕事がありさえすれば喜んで働いたことだろうが、実際はそれがなかなか難しかった。(後略)(pp.137-138)

そしてこの直後に、昔々にブログで紹介した引用が続きます。

今も昔も同じだ、というのは簡単です。昔から状況が変わっていないのは、とても歯がゆいです。

uriel_archangel at 23:56 | 学び 
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February 02, 2012

* 奥の深いはがき

どこで、とは申しませんが、こんなクラフトを見つけました。


奥が深すぎるクラフト


こんなところにこんなものが飾ってあるなんて、凝っているなあ……と思っていました。時間があったのでじーっと見ていたところ、右側のはがきに「あれ?」と思いました。
こういうデザインなので、フランス語だよなあと思っていたのですが、ドイツ語も書いてあります。

気になったので、ドイツ語を読んでみました。

“戦争捕虜収容所あて”

と書いてあります。無料で送れるのだそうです。見たところ、フランスから、ドイツの収容所あてに送ったもののようです。いつの時代かまでは分かりませんでした。第一次世界大戦かな? と思いながら見ていました。

これを作った人は、どういうはがきか知らないで使ったのかな? と思っています。知っていたとしたら、こういうふうに使うって奥が深いなあ、と思いました。どれくらい深いかというと、簡単に書けない哲学的な感じさえするので以下略、というくらいです(汗)

家族にこのはがきの話をしたところ、「赤十字がやってたんじゃないの?」と言っていました。

このはがきを書いた人は、どういう思いで、誰にあてて書いたのか……。ちょっと妄想がふくらみます。

――というわけで、意外な場所で面白いものを見つけたという話です。

uriel_archangel at 20:23 | 日々の記録 
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June 28, 2011

* エロイーズの近代性

読み終えた本が増えました。相変わらずブクログに書けていませんが……

西洋中世の男と女―聖性の呪縛の下で (ちくま学芸文庫)
西洋中世の男と女―聖性の呪縛の下で (ちくま学芸文庫)
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きちんとブクログで感想を書こうと思うのですが、最終章で取り上げている、アベラール(ペトルス・アベラルドゥス)とエロイーズに関する阿部先生の分析が、とても印象的でした。

アベラールの「自分の師の間違いも容赦なく指摘する」という姿勢も、エロイーズの「愛の快楽を悔いる気にはなれないし、記憶から消し去る気にもなれない」という考え方も、とても近代的です。どちらかというとエロイーズの考え方のほうが、アベラールより新しいと思います。

さらに、エロイーズは過去の2人の愛を振り返って生きるばかりではなく、女子修道院の運営についても合理的に考え、アベラールに質問を投げかけています。本当に優秀な女性なのだと思いました。

エロイーズの著作が残っていたら、どのように彼女が物事を考え、書いていたか、読んでみたいと思うくらいです。この本によると、中世ヨーロッパでは女性のほうが教養があった(読み書きができる)とのことなのですが、残念ながら、日本のように女性が書き著したものはあまり現存していないようです。もったいないなあ、と思います。

調べているうちに、アベラールとエロイーズの往復書簡は、新訳で出版されていることが分かりました。学生時代に入手した旧訳はまだ手元にあって、読破できていないはずです。とりあえず旧訳を読破するところから始めないといけません。

アベラールとエロイーズ 愛の往復書簡 (岩波文庫)
アベラールとエロイーズ 愛の往復書簡 (岩波文庫)
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それにしても、商品の説明欄に「神なき修道女」となったエロイーズからの懊悩の手紙に、いかに答え、いかに導いたか。とあるのですが、阿部先生の書きぶりだと、「エロイーズの先進的な考え方にアベラールがついていけないところがある」感じのようです。

こういう知識を仕入れてから読むと、いっそう興味深く読めるのではないかと思います。

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May 22, 2011

* 『101歳の看板娘〜ハワイ日系移民の営み』


BSジャパンで何度か放送されている番組です。機会があれば見ています。今日も、mixiのハワイコミュで放送されていることを知り、あわててチャンネルを合わせました。

テレビで紹介されるハワイというと、オアフ島のホノルル(特にワイキキ)を中心とした観光スポットがメインで、他の島が紹介されてもそんなに多くはありません。

私は基本的に、海外を取材する番組には期待していません……。なぜ選ばれたのか理由がよく分からないタレントが、ろくな知識もない状態で行っているので、見ていてイライラすることが非常に多いのです(苦笑) もしかしたら、「視聴者と同じ目線で考え、発言する」が大切なのかなあ、と思うのですが。

「私が行ったら、もっと相手の言うことも分かるし、同じものを見てもそこから感じることが違うのよ!」とアピールしたいところですが、若くもないしビジュアル的にも非常に難があるので、そういうところに呼ばれない人間だということは十分承知しています。はい。そんなわけで、ドキュメンタリー番組は、ディスカバリーチャンネルやヒストリーチャンネル、ナショナルジオグラフィックチャンネルに期待しています。あとは、こういうBS民放に期待、ですかね。

愚痴が長くなってしまいましたが、この番組は、ハワイに移住した人々の物語を紹介しています。苦労して開拓した1世、第二次世界大戦で第100歩兵大隊としてヨーロッパ戦線に赴いた2世……と、人生としては非常に劇的です。私たちが観光に行くだけでは分からないハワイの姿が見られます。

でも、映像ではその劇的さが出てこないので、地上波では放送されにくい内容なのだろうなあ、と思います。地上波でこういう番組を放送するのは、NHKくらいでしょうね。

別に派手な映像でなくても、良質な番組がもっと放送されればいいのに……と思うのですが、最近はあきらめています。テレビがターゲットとする層(=広告主がターゲットとする層)は、そういうものを求めていないのでしょう。

この番組に好感が持てるのは、それこそ過剰な演出をせず、淡々と人々を記録しているからかなあ、と思います。

私が初めてハワイに行ったころ(もう20年以上前ですね〜)は、ガイドさんは日系2世・3世の方が多く、日本では聞かなくなったようなきれいな日本語を話していました。3世だとそれほど日本とのつながりが深くないという方もいるかもしれませんが、私がお会いしたガイドさんは、1世のおじいさんおばあさんに育てられたということで、「食べ物は和食が好き」という方でした。

当時の印象だと、ご存命なら7〜80歳代でしょうから、この番組に出演されていた方々と同じような年齢なのかな、と思います。お元気でいらっしゃるといいなあ……と思い出しました。私がこの番組が好きなのは、登場する人々に、自分が会ったことがある人と重なるところがあるからでしょう。

そして、ハワイ島のてしま食堂のシズコさんには、長くお元気で活躍してほしいです。

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May 14, 2011

* 現在の放射性物質とかつての貧困や飢餓と、どちらが危険か?

――ということを、TwitterのTLを見ていてふと思いました。

2011/05/13 19:08:39
たまたまこの時代の日本に生まれて仕事にも食事にもガジェットにも恵まれたように、たまたま震災の影響で他の時代の人々よりちょっと多くの放射線を浴びることになった。どの時代どこで生まれたのと比べて、そう不幸なことではない。そろそろ悶々と寝よう

確かに、化石燃料を使っての発電の環境への負荷、再生可能なエネルギーを用いての発電の効率や採算性(将来的には改善されるのでしょうけれど)、そして電力需要の増加とそれを肯定する社会情勢を考えると、原子力発電という選択肢は避けられなかったのだろうと思います。

ですが、今回の件で、原子力発電は事故が起きたときのリスクが大きすぎると思いました。さらに、危機管理がきちんとできる組織であれば、問題が起きてもきちんと対処できるのでしょうが、東京電力の対応を見ている限り、「彼らには安心して任せられない」と思ってしまう状況です。いまさらですが、自分たちが暮らしていた生活が、まさに砂上の楼閣であったと実感しました。

放射性物質やそれによる被曝の問題は、後日健康に影響があったとしても、「被曝が原因かは特定できない」ことにあると知りました。私たちは、漠然とした不安の中で過ごさなければなりません。東京を、日本を脱出したとしても、被曝の可能性がある地域にいたという事実がある限り、不安を完全に取り除くことはできません。

では、原子力発電などない時代のほうがよかったのかというと、そうも言いきれない現実があります。医学が未発達で衛生に関する知識が不十分だったため、今なら何の問題もなく助かるような病気やけがでも、人々は命を落としました。現代の私たちから見たら、貴族でも貧民でも、リスクに大きな違いはなかったと思います。

さらに、飢饉も頻繁に起こりました。時代が進んで農業が進歩すると、収穫量は増えますが、それでも今ほどの管理はできません。人間は満腹でいるより、空腹を抱えて暮らしていた時代のほうが圧倒的に長いと思います。

私はほとんど日本の絵画を見ないので、ヨーロッパでの話ですが、美術館でいろいろな絵画を見ていると、「この絵が描かれた当時は死が身近で、画家たちも死者を日常のものとして見ているから、こういうふうにリアリティをもって描けるんだろうなあ」と思います。

「死と隣り合わせのそんな生活に比べたら、ただちには健康に影響を及ぼさない範囲で放射性物質が存在する今の生活のほうが、安全で安心でしょう」という意見もあるかもしれません。

確かに、ある意味では正しいですが……納得できません。私たちは、そうならない道を模索するべきです。いまさら、という声もあるかもしれませんが、今からでも、何も考えないよりはずっとましです。

どんな技術でも、「人間が完全に管理・制御できない部分」というのはあるでしょう。でも、原子力の利用は、その部分のリスクが大きすぎると思うのです。

原子力発電をただちに全部停止するというのは、難しいかもしれません。再生可能エネルギーを効率よく電力に変換する技術を発展させつつ、原子力を縮小の方向にもっていく……というのが、現実的な道だろうと思います。

でもその前に、現在稼働している原子力発電所は本当に安全なのか、地震などでトラブルがあった際に対応できるのかをきちんと見極めることが重要です。もしも安全に問題があったら、電力の供給よりも、まずはその解決に尽力すべきです。原子力発電においては、「想定外」があってはならないと思います。

uriel_archangel at 13:04 | 日々の記録 
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March 03, 2011

* 阿部謹也『ハーメルンの笛吹き男』と『中世の星の下で』

私にとって、この2冊の本は非常に重要な存在です。

この2冊を最初に買ったのは、ちくま文庫で発売されて間もない高校生のころでした。でも、当時の「中世ヨーロッパといえばお城! 騎士!」だった私には、特に『ハーメルンの笛吹き男』の内容のすばらしさが分かりませんでした。

じっくりと向き合えるようになったのは、大学生になってからではないかと思います。

きっかけは、海外旅行や短期の語学留学でした。特に語学留学では、持ち運べる荷物が限られています。本が好きと言っても、旅行の目的は読書ではありませんから、何冊も持っていけません。そこで選んだのが、この2冊でした。恐らく、「きちんと読んでいない」「内容が濃いので読み応えがある」という理由だったのではないかと思います。

そうやってじっくり読んだときに、内容の興味深さに気づきました。さらに、幸か不幸か、日本語で読める本が少なかった(この2冊しかなかった)こともあり、語学留学のときは2ヶ月間、一人で部屋にいて何もすることがないときは、この本を読んでいました。何度も何度も読みました。

まさに「精読」をしていたわけですが、おかげでこの2冊の本の内容は、かなり頭に入りました。『ハーメルンの笛吹き男』の内容の深さを理解できただけでなく、それまでも一応読んでいた『中世の星の下で』の奥深さも味わえました。夜寝る前にベッドで読んでいたときなど、読みながら一人でじっくりと考える時間があったこともあり、咀嚼して自分のものにできたように思います。

語学留学ではそんなに「いかにも中世」という町並みの都市にいたわけではありませんが、週末の小旅行や、ヨーロッパ観光ツアーのときなど、そういう歴史を感じられる場所に行くと、本の内容が「自分の身にしみこむ」感覚がありました。

この2冊の本は、大学で史学を専攻しなかった私に、歴史とどう向き合うかを教えてくれた本です。

何度も何度も読んでいて、持ち運びもするので、だんだん表紙がボロボロになってきてしまいました。そこで、それぞれ2代目を購入し、現在はそちらを読んでいます。何度読んでもいろいろと考えることのある本です。

ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫)ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫)
著者:阿部 謹也
筑摩書房(1988-12)
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中世の星の下で (ちくま学芸文庫)中世の星の下で (ちくま学芸文庫)
著者:阿部 謹也
筑摩書房(2010-11-12)
販売元:Amazon.co.jp
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uriel_archangel at 09:25 | 日々の記録 
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February 07, 2011

* 科学技術の発展や西洋文化の導入は、幸福をもたらすのか?

仕事をしながらだったのでしっかり見ていたわけではないのですが、佐久間ダム建設に関する記録映画(時代からして、映画だと思います……)が、ヒストリーチャンネルで放送されていました。最新の技術を用いたダムによって、(恐らく立ち退きなどがあったと思いますが)暮らしが便利になる、という話だったと思います。

この時代(昭和20〜30年代)だと、そういう観点で制作されていても、何の疑問もありません。おそらくダムがなければ、洪水や農業用水・工業用水の確保など、問題があったのではないかと思うのです。

でも、今回ちらりと見かけた映像の話に限らず、それまで何百年もの間営まれていた人々の暮らしや自然とのつながりを断ち切ることが、本当によいことなのかは、簡単には結論が出せないなあ、と感じるところもあります。

これは、2010年代になって、これまでの道のりを振り返ってみると、
「私たちは、過去の日本の文化や技術を古く劣っているものと考え、西洋の文化や技術を新しく優れているものと考え、積極的に前者を排し、後者を受け入れてきた。でも果たして、そうすることで私たちは幸せになっているのか?」
という疑問が(少なくとも私の中に)生まれているからに他ならないでしょう。

そして、そういう疑問が生じるということは、「そんなに幸せと言える状態ではないのでは」と感じているということではないでしょうか。

今さら私がこうやって書く話でもありませんが、現状に違和感を覚える人が多いのではないかと思います。確かに今は、何の憂いもない幸せな状態とは言えません。では、西洋からもたらされたものを積極的に受け入れなかったらどうなっていたのだろう、と思うと、それも恐らく手放しで受け入れられる状態ではないのでは、ということも、同時に思うのです。

簡単に結論が出せる問題ではありませんが、「何かが違う」という感覚を少しでも和らげることができるように、そのために何ができるかを、考えていきたいと思いました。

uriel_archangel at 08:57 | 日々の記録 
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