永代橋
February 12, 2014
永代橋の崩落事故のこと
なんだか「ぼのぼの」風味のタイトルになってしまいました。江戸の大事故というテーマで、永代橋の崩落事故が取り上げられていました。今回の番組概要はこちらです。
狂歌師の大田南畝が、証言集とも呼べる「夢の憂橋」を著しているのが興味深かったです。恐らくはそうやって集められたであろう、現場に居合わせたけれど助かった人や、事故を目撃して救助に向かった人々のエピソードが、番組内で紹介されていました。
当時から、こういうジャーナリズムのようなものはあったのだなあ、と感心しました。当たり前のことかもしれませんけれど。
そして、現代の私たちにも「うーむ」と考えさせられることがありました。それは、インフラ維持の難しさです。
もともと永代橋は、五代将軍綱吉が50歳になったときに、渡し船を使っていた場所にかけられた橋でした。ですがやはり年数が経つうちに老朽化が進み、修繕にもお金がかかるということで、幕府は取り壊しを考えていました。
町民たちの嘆願で、修繕に必要な費用を彼らが負担するという条件で、取り壊しは免れました。でもやはり、町民たちにも修繕は負担でした。橋の両側でどちらがどれだけ負担するか、こっちは負担しない、などとやってしまい、修繕が行われぬまま、事故の当日をむかえてしまったそうです。
立派な橋は便利で、完成すれば人々は喜びますが、実はその後の維持にかかる手間や費用のほうが、ずっと負担が大きいのですよね。事故が起きたのは文化4年(1807年)のことですから、200年以上も前のことです。でもこれは、現代の私たちも抱えている問題だと思います。
こういう、「現代と過去に共通するもの」というのは、私が歴史で一番好きなところです。そんなわけで、とても興味深く見ました。勉強になります。
狂歌師の大田南畝が、証言集とも呼べる「夢の憂橋」を著しているのが興味深かったです。恐らくはそうやって集められたであろう、現場に居合わせたけれど助かった人や、事故を目撃して救助に向かった人々のエピソードが、番組内で紹介されていました。
当時から、こういうジャーナリズムのようなものはあったのだなあ、と感心しました。当たり前のことかもしれませんけれど。
そして、現代の私たちにも「うーむ」と考えさせられることがありました。それは、インフラ維持の難しさです。
もともと永代橋は、五代将軍綱吉が50歳になったときに、渡し船を使っていた場所にかけられた橋でした。ですがやはり年数が経つうちに老朽化が進み、修繕にもお金がかかるということで、幕府は取り壊しを考えていました。
町民たちの嘆願で、修繕に必要な費用を彼らが負担するという条件で、取り壊しは免れました。でもやはり、町民たちにも修繕は負担でした。橋の両側でどちらがどれだけ負担するか、こっちは負担しない、などとやってしまい、修繕が行われぬまま、事故の当日をむかえてしまったそうです。
立派な橋は便利で、完成すれば人々は喜びますが、実はその後の維持にかかる手間や費用のほうが、ずっと負担が大きいのですよね。事故が起きたのは文化4年(1807年)のことですから、200年以上も前のことです。でもこれは、現代の私たちも抱えている問題だと思います。
こういう、「現代と過去に共通するもの」というのは、私が歴史で一番好きなところです。そんなわけで、とても興味深く見ました。勉強になります。